古代エジプトの王名表は正しいのか? ③
アビドスの王名表。
これは間違いなく第19王朝時代につくられたものである。
だが、このアビドスの王名表が正しいのか?
言い換えれば、この王名表に記された者が正統な王なのかといえば、疑問を持つべきだといえる。
有名なハトシェプスト女王やアクエンアテン、ツタンカーメンの名がないことからそう主張しているわけではない。
その根拠。
それは第二中間期と呼ばれる中王国時代と新王国時代の間にある期間に存在した王たちがこの王名表から抜け落ちているからである。
たとえば、その期間というのは異民族に支配されたいわば古代エジプトの黒歴史。
なかったことにしたといえなくはない。
だが、その第二中間期のなかでも第17王朝というのはルクソールを縄張りとしてエジプト開放に努力した王たちであり、さらにその末裔が第18王朝となる。
当然王名表に載るべき者たちである。
それにもかかわらず削られる。
ただし、これだけであったのなら、いくらでも理由付けができる。
だが、あるのである。
そう言えるものが。
まず、削られている者たちの名がわかっている。
これ自体がすでに大きな根拠となるのだが、さらに同時期のものとされるこの削られた第二中間期の王たちの名と治世年数を記したパピルスが存在するのだ。
さらにカルナック神殿にも第二中間期の王の名を記した王名表と呼べるものが存在する。
さすがにこうなってくると、アビドスにあるものが正統な王名表であるとはいいがたくなる。
では、アビドスの王名表はどのような位置づけになるのか?
正式な王名表のうち、つくらせた王名表の大きさに合わせて抜き出した。
示された王名表から考えられるのはそういうことである。
もちろんこの王名表をつくらせたセティ1世にとってハトシェプスト女王やアクエンアテンに関わりを持つ者は受け入れ難かったというのは正しいのかもしれない。
だが、第17王朝の王たちにはそのような理由は存在しない。
こじつけ的なものはなくはないが、普通に考えればないというべきだろう。
そもそも王名表と呼ばれているが、見ればわかるとおり、アビドスの王名表はセティとラムセスが先祖を敬う様子を描いているものである。
だから、あの王名表に名がなくても名がない者の正当性が失われるということはない。
これがこれに対する意見である。