情けは己のためならず
虫族のギンは、人の神に祈り、人としての生を歩んでいる少女だ。
しかし彼女は、失くしてしまった信仰の剣を見つけ出さなければ、元の虫に逆戻りしてしまうのだという。
当然ながら、虫と人は全く違う生き物だ。
彼女ら虫族が人としての知能や生態を獲得できるのは、ほぼ全てが神の御業とも言うべき奇跡の賜であり、それ失くして成り立つものではない。
神の力が消え失せ、元の虫へと戻ることになれば、ギンはこうして俺たちをと会話する能力を失い、下手すれば人並みに思考する力さえも失ってしまうだろう。
現に、彼女は既に言葉を失いかけているらしい。かつては彼女も饒舌だったというのだが、今は少しおぼつかない印象を受ける。
雨の中で傷つき倒れていたのは、そうして人の敵である虫へ成りかけてしまった彼女への……町の子供達からのいじめだった、とのことだ。
……確かに、このままではギンは虫に戻ってしまうかもしれない。
そうなれば野生の魔物となり、彼女は人へ牙を剥くだろう。
子どもたちが過剰に反応するのも、わからないではない。
けど、このまま誰も手を差し伸べなければ、本当にギンは虫になってしまう。
二足歩行をやめ、地べたに肢をついて……生きるしかなくなってしまうのである。
……神へ捧げた二本の肢を、失ったまま。
「……雨が止んだか」
話が終わるのとほとんど同時に、外の雨は止んでいた。
思いがけない幸運である。
これでようやく、馬車に乗って次の町を目指せるわけだ。
……が、こうしてギンの身の上話を聞いてしまった以上、彼女をこのまま放っておくわけにはいくまい。
それは、俺以外の二人にとっても同様らしかった。
「これで、探しものできるね!」
「ええ、そうですね。これは後で光輝神に霊力を捧げなければなりません」
雲の割れ目から溢れる神々しい輝きを目にして、二人の目は輝いていた。
馬車なんて知ったことではない。少女の剣を探しに行く気満々である。
心強いことだ。馬車に乗る金は大丈夫だろうか。知ったこっちゃねえや。いったれいったれ。
「ギンさん。信仰の剣を失くしてしまったのは、どこでですか? あと、どのようにして失くしてしまったのでしょう」
「どんなかたち?」
クローネとペトルが、詰め寄るようにギンに訊ねた。
ギンは怯えるように首を竦め、鈎状になりつつある指をモジモジと動かしながら答える。
「あ、アノ、剣は普通の形で……林の中で薪割りをしてたトキ、そばに立てかけておいたのが、いつのマにか……」
「ふむ、この近くで失くなったのですね。でしたら、探せばまだ見つかるかもしれません」
「……どうシテ」
「はい?」
「どうシテ、ワタシに優しくしてくれるノ?」
ギンが複眼を微かに潤ませながら、俺達の顔を見回した。
「貴方が困っているからです」
それに対してクローネは聖母のように微笑み、
「人間さんだもの!」
ペトルはにこにこと笑い、
「子供がそんなこと気にするな」
俺も、こんな不幸野郎の笑みなんて嬉しくはない無いだろうなとは思いつつも、人並みの笑顔を向けてやる。
するとギンの大きな目から一滴の涙が流れ落ちて、曇った声の感謝が聞こえた。
さて、そうと決まれば剣探しだ。
空にはいくつか雲が流れているが、この陽気であればしばらくは大丈夫だろう。
時刻は昼。腹も減っているが、やる気で補えばなんとかなるくらいの丁度良い具合である。
「信仰の剣は、ガシュカダルから下賜される専用の武器です。与えられるそれは、信徒の手にしっかりと馴染み、重さも丁度良い程度に整えられていると聞きます」
町の外、林に近い土の路上。
クローネは長い枝を使って地面に剣の絵を描いている。
……結構上手だ。絵心があるとは羨ましい。
「なので、このくらいのサイズになるはずです」
「そう、ソレ! こんなカンジ!」
出来上がった絵を見て、ギンがこくこくと激しく頷く。
よほどクローネの描いたものが似ていたのだろう。その反応はどこか嬉しそうだった。
「おほ……結構小さい?」
「まぁ、子供用ってことなんだろうな。あんまり大きすぎても扱えないだろうし、このくらいが丁度だろ」
刃渡りは、六十センチ程度だろうか。
全体的にシンプルなデザインで、最初の方の町で買えるショートソードって感じがする。
俺としては、こいつを右手に構えて、左手にはハイラルの盾とかそういうのを……。
「てい」
「あでっ」
ちょっと妄想の世界に浸っていたら、ペトルに腹をはたかれた。
「ぼーっとしたら駄目よっ」
「……はい」
なんだろう、確かに今のは俺がちょっと浮ついてたんだけど、ペトルに言われるとすげえ納得がいかない。
そんな漫才をしている間に、ギンと剣を失くしたという現場までやってきた。
よく整備された、林の中である。近くには古びた木造の小屋が建っており、どことなく安心感を与えてくれる。
「お、これが薪か」
小屋の近くには、手斧が大きな切り株に突き刺さっていた。
鋭くはなさそうだが、分厚く無骨な手斧である。俺はどちらかといえば、ショートソードよりもこっちのほうが好みかもわからん。まぁ、俺の趣向なんてどうだっていいんだが。
「ココ。ここに立てかけてオいたの。休憩中にスブりしようと思って……でも、薪割りからモドったら……」
「無くなってた、と」
「うん……」
どこかに置き忘れているとか、湖に放り投げてしまったとかいうことはないらしい。
ギンはいつものように薪割りをして、いつもの様に素振りをして、そのサイクルの中で突然無くなったと言うのだ。
……正直、全くわからん。
どこか茂みを探せばあるんじゃねーかくらいに思っていたけど、どうもそんなことはないようだ。
しかし、剣が勝手にほっつき歩くとは思えないし……。
「剣、逃げちゃったのかしら……」
だからなペトルさんよ、剣は勝手に……ああ、お前の宝玉は勝手に逃げちゃったんだっけな。
「そう深く悩むことはありませんよ。神器であれば、探すこと自体は容易です」
「え? そうなのか?」
「はい。こういう時こそ、神の力は本領を発揮するのですよ」
クローネはどこか得意気に微笑み、林の広い場所に両腕を広げた。
「教え広める啓蒙の神。教布神エトラトジエの祭壇をここに。“光の祭壇”」




