本当の失敗は小指では払えない
以前お世話になった串焼き屋は、こんな雨の日でも営業していた。
宿場町なので、外食系のお店はむしろ雨で留まっている人向けに売り出せるから、あまり困るものでもないのだという。
「ほらよ」
「おほーっ」
俺がペトルと蟻少女の二人に豚の蛇腹串(モクトーンの串焼きというらしい)を差し出すと、ペトルは嬉しそうにモグモグと頬張り、遠慮なく食べ始めた。
しかし一応俺らの身内ではあるのだから、財布事情を考慮して少しは遠慮して欲しいと思わないでもない。
蟻っぽい虫族の子供はしばらく串を手に持ったまま顔を小刻みに動かしていたが、すぐに肉に齧りついて、ペトル以上の勢いで食べ始めた。
よほど腹が減っていたのだろう。蟻の口が肉をバリバリと千切って飲み込む様子は正直に言って怖かったが、それだけこの子が飢えていたのかと思うと、同じくらいの悲しさも湧いてくる。
「で、宿まで連れて来たと」
「ごめん、クローネ。腹減ってるよな……」
「いえ、良いんです。苦しむ人を手助けすることは、慈聖神も望んでいますからね」
そういうわけで、串焼きを食べたあとはすぐに宿へと戻ってきてしまった。
虫族の子供は雨や汚れで全身びしょ濡れだったし、そのまま飯だけ奢って放置という気にもなれなかったのである。
モジモジと借りてきた猫のように大人しくなった少女を宿に連れて行くと、クローネはそれを温かく迎えてくれた。
戦果もなく浪費だけしてしまったというのに、なんという懐の深さだろう。聖職者ってすごい。改めてそう思った。
「ええと……貴方、お名前は?」
「……ギン」
クローネの問に、少女は思いの外和風な答えを返してきたので、俺はびっくりした。
偶然そうなっただけなのか、それとも虫族のネーミングの感覚が日本人に近いのか、ともかくなんか普通に渋いくノ一って感じのする名前で、親近感が湧く。
「ギンさんですね。なるほど」
「あ、あの……宣教師サマですか?」
「ええ。まぁ、それはともかく。ひとまず体を良く拭いて、早めに乾かしましょう。虫族の方は関節から病が広がることが多いのです」
「ハ、ハイ」
ギンはおどおどしながらも、クローネから渡された柔らかなタオルで全身をゴシゴシと吹いてゆく。
文字通り、ゴシゴシである。鎧のような外殻は人間の肌とは違い、力強く擦っても平気なのだろう。
胸部のわずかな膨らみも同じようになっているのかという邪な考えは極力排除する。
雨水を貯めた桶を使ってしばらく体を清めていれば、少女の体はすぐに綺麗なものになった。
彼女の頭には二本の長い“へ”の字の触覚があるだけなので、髪の毛を洗うような煩わしさもない。まるで機械のメンテナンスのような、こざっぱりした手入れである。
「……ありがとうゴザいます。タスけてくれて、ゴハンまでくれて」
ギンは体を拭き終わり一息つくと、俺達に向かって片膝をつき、頭を垂れた。
鎧のような格好も相まって、まるで女騎士のような礼である。
「良いんだよ。困ってる人は助けるもんだ」
「そういうことです」
「うふふー」
行き倒れの子供を助けた。飯も奢って休ませてやった。
それは当然のこと。そして、これだけで“じゃあ帰れ”とならないのもまた、お約束である。
「で、そろそろ話してもらえるか? どうしてあんなところで倒れていたんだ」
「……」
「ヤツシロさん、彼女の体には、いくつもの靴跡がありましたが……それは」
「うん、けど一応聞いておかないと」
「あの……」
ギンは立ち上がり、今度は立ったまま深々と頭を下げた。
「ワタシ、そろそろ帰ります。沢山、ありがとうございます。お世話になりマシタ」
「え、ちょっと」
「えええ、いやいや」
すると唐突に、ギンはいそいそと帰り始めたではないか。
いやいや。まぁ帰りたいっていうのを無理に止めることはないけど、ちょっと待とう。
俺とクローネはさすがに壁となってギンを止め、とりあえず話をするように促した。
ギンはしばらく“帰ります”とか“けどワタシは”と色々言って無理に出ようとしていたのだが、やがて俺達の堅いディフェンスを前に心折れたのか、大人しく元の位置に戻って座り、俯いた。
どうでもいいことだが、そんな一悶着の中、ペトルはずっと無駄にニコニコしながらベッドの上で正座していた。少しは手伝え。
「……ワタシ、神様からカシされた神器を、失くしてしまったんデス」
重い沈黙の後、観念したように言葉を漏らしたのは、ギンであった。
「神器を失くしてしまった……ですか」
「ハイ……刀装神ガシュカダル様から授かった剣を……どこかへ失くしてしまって……」
「……それで、周りの人から暴力を振るわれていたと」
「……ハイ」
「あ、ごめん、ちょっと待って」
そろそろ置いてきぼりをくらいそうになってしまったので、大事な話だとはわかっていたが、俺はギンの告白に割って入った。
「ヤツシロさん、どうされました?」
「いや、神様から貰った剣を失くして暴力をって……その繋がりがちょっとわからなくてさ」
「ああ……そういえば、説明していませんでしたね。人族以外の方々の信仰について」
人族。そして虫族。
どうやらこの世界には、まだまだ俺の知らない神様の仕組みがあるらしい。
「人は霊力を捧げて神を信仰することができますが、これができるのはあくまでも人間だけ。他の種族は、例えば虫族であれば虫神シャンバーナ。翼人族であれば翼神ムラチくらいしか信仰できないのです」
なに、そうだったのか。種族によって専用の神様がいたとは。
……そういえば、メイルザムで読んだモンスターの図鑑にも、似たようなことが書いてあった気がする。
「それによって、虫族であれば頑強な虫としての生命力を、翼人族であれば大空を駆ける力を手にしますが……」
「ワタシは、そんなのイヤだ」
「……虫族の中には、人としての生活を望む者もいるのです」
クローネの言葉に、ギンは力強く何度も頷いている。
「でも、虫族は人の信仰するような神様を信仰できないんだろ?」
「はい、基本的には。なので、人外の方々は多くの代償を支払うことで、神の力によって人となるのです」
「人になる?」
「はい」
クローネは真面目な表情でギンを見て、彼女の篭手のような手を取った。
「彼女ら虫族は、自らの脚を2本切り落として神に捧げ、人になる権利を獲得できるのですよ」
「……脚を、2本?」
俺は絶句した。
そして、言われてみればと今更になって気付く。
そういえばこの少女は、非常にアリらしい姿をしているのにも関わらず、腕と脚は2本ずつしかない。
昆虫ならば、肢は6本あるべきなのに。
「……ギン、もしかして、お前も足を切り落としたのか?」
「うん。ヒトになった虫族なら、みんなやってる」
ギンはさも当然であるかのように頷き答える。
だが、俺には自らの四肢のうちの1本でも自ら切り落とすなんて勇気はない。
「虫族は、剣のアツカいが上手で、それを仕事にするヒトが多い。だからワタシも父さんも刀装神ガシュカダル様に脚を捧げて、ヒトになった。ソレデ……」
「……その時、一緒に下賜されたガシュカダルの“信仰の剣”を、紛失してしまったのですね」
「……ハイ」
こんな小さな女の子が脚を切り落として……いや、それはいい。今は深く考えるのはやめよう。
とにかく、彼女らは人になりたかったんだ。そのために足を捧げた。うん、オーケー。
それで、神様に足を捧げ、同時に剣を貰って……。
……刀装神ガシュカダルといえば、前にバニモブ村の教会でも、信仰する瞬間を見たことがある。
その時も、信仰を始めた農民っぽい男は、光とともに現れた剣を大事そうに持って帰っていったっけ。
あれが、“信仰の剣”。剣の神ガシュカダルを信仰することによって得られる武器。
そして、それを失くしてしまうと……。
「ガシュカダルへの信仰が薄いうちに“信仰の剣”を失くしてしまうと、その信仰者には“信心がない”という評価が下されてしまうのです。つまり、ガシュカダルが失望するということですね。かの神は、ひたむきに武の道を目指す人を好みますから……」
「うう……ワタシ、いっぱい探したのに、剣がみつからナクテ……」
「……神との繋がりが少しずつ薄れてゆきます。彼女が“信仰の剣”を握ることができなければ、やがて彼女は自らの“人”を失い……」
さめざめと泣くギン。
苦々しい表情を浮かべるクローネ。
彼女の紡ぐ後の言葉は、さすがの俺にも予想がついた。
「彼女は人ではない純粋な虫族へと戻り、言葉も、理性も、人としての権利も全てを失い、魔獣として放逐、または討伐されることになるでしょう」
なんてことだ。




