第32話 いってきます
「――で、本当に、行けるのか」
俺は、ドロテアが広げた道具を、見下ろしながら、そう聞いた。
輪と、珠と、あの日、分身から受け取った記憶の断片。
そして、今、俺の中にある、親父の核。
「たぶん」
「たぶんて」
「やったこと、ないから」
ドロテアは、悪びれもせず、そう答えた。
「でも、時の欠片、あんたの中にある。核が、道を、覚えてる」
「......道?」
「あの日、エイナが消えた、あの瞬間への、道」
彼女は、俺の胸の辺りを、指差した。
「そこに、刻まれてる。行けば、たぶん、分かる」
「......たぶんばっかりだな」
「保証、できないこと、保証したくない」
いつも通りの、正直さだった。
でも、なぜか、それが、今は、心強かった。
「準備、あと少しかかる」
ドロテアは、そう言うと、道具を、丁寧に、並べ直し始めた。
俺は、その手元を見ながら、崩れた王府の天井を、見上げた。
もう何度、この天井を見上げただろう。
シアが死んだ夜。
エイナと出会った夜。
タタが死んだ夜。
親父を、埋めた、あの日。
全部、繋がって、今、ここにいる。
「......ルクラン」
ロルフィが、部屋に入ってきた。
手には、小さな包み。
「これ」
「......何だよ」
「干し肉。あと、水」
「......そんなに、長旅じゃないだろ、たぶん」
「分からないでしょ、そんなの」
ロルフィは、むっとした顔で、そう言った。
「向こうで、腹が減ったら、どうすんの」
「......分かった、分かった」
俺は、その包みを、受け取った。
ずっしりと、重かった。
「......こんなに、入れたのか」
「多い方が、いいでしょ」
ロルフィは、そう言いながら、視線を、俺から、逸らした。
「......ロルフィ」
「なに」
「ありがとうな。ずっと」
「......急に、なに」
「今、言っとかないと、言えなくなりそうだから」
ロルフィの肩が、小さく、震えた。
「......ずるいよ、それ」
「悪い」
「悪いと思ってないでしょ」
「......ちょっとだけ、思ってる」
ロルフィは、洟をすすりながら、笑おうとした。
うまく、笑えていなかった。
「......約束、して」
「なんの」
「絶対、戻ってくるって」
俺は、しばらく、黙った。
約束できるかどうか、正直、自信がなかった。
でも――
「約束する」
そう言うしかなかった。
言葉にすれば、本当になる気がした。
「......戻ってきたら、また、茶、淹れてくれ」
「うん」
「タタの分まで、頑張れよ」
「......うん」
ロルフィは、それだけ言うと、部屋を、出て行った。
たぶん、これ以上、顔を見せていたら、崩れてしまうから。
「......道具、揃った」
ドロテアが、静かに、そう言った。
俺は、頷いて、彼女の前に、腰を下ろした。
「行く前に、聞いていいか」
「なに」
「なんで、そこまで、してくれるんだ」
ドロテアは、しばらく、黙っていた。
「言ったでしょ。エイナは、恩人」
「それだけか」
「......それと」
彼女は、視線を、下に落とした。
「あんたが、いなくなったら。ここ、また、静かになる」
「......それだけか、って聞いたの、俺だけどな」
「うるさい」
ドロテアは、そう言うと、いつもの、栗色の人形を、俺に、差し出した。
「これ、持ってって」
「......名前、なんてつけたんだ」
「お守り」
「......前も、それ聞いた気がする」
「二回目だから」
真顔だった。
冗談なのか、本気なのか、分からない。
たぶん、本気だった。
「何かあったら、呼んで」
「......ああ」
「戻ってきたら」
彼女は、そこで、一度、言葉を止めた。
「......戻ってきたら、また、パン、焼く」
「硬いやつか」
「柔らかいの、練習してる」
「......楽しみにしとく」
ドロテアは、頷いた。
それだけだった。
でも、その目が、少しだけ、潤んでいるように、見えた。
見間違いかもしれない。
確かめる勇気は、なかった。
「......肩、借りるよ」
ルルが、いつの間にか、俺の肩に、座っていた。
「うん」
「怖くない?」
「......怖いよ」
俺は、正直に、そう答えた。
「でも、行く」
「そっか」
ルルは、それだけ言うと、俺の頬に、そっと、頭を寄せた。
小さくて、あったかい重み。
「......ルル」
「なに」
「お前がいて、良かった」
「......急に、なんだよ」
「なんとなく」
「......変なの」
そう言いながらも、ルルの声は、少しだけ、震えていた。
俺は、深く、息を吸った。
裂け目の前に、立つ。
その向こうに、灰色の靄が、広がっている。
奥に、もう一つ――青白く、脈打つ光が、あった。
時の欠片が、教えてくれた、あの場所。
「......行ってくる」
俺は、振り返らずに、そう言った。
背中で、二人の声が、重なった。
「うん」
「行ってらっしゃい」
俺は、光へと、足を、踏み出した。
視界が、真っ白に、染まる。
身体が、重さを、失っていく。
落ちていく感覚。
風が、耳元で、うなった。
思い出は、次々と、頭を過ぎった。
初めて、シアに、笑いかけられた日。
エイナに、初めて、名前を呼ばれた日。
タタの背に、初めて、乗った日。
親父の、不器用な、優しさ。
ロルフィの、震える手。
ドロテアの、素っ気ない、赤い耳。
全部、抱えたまま、俺は、落ちていく。
眼下に――見覚えのある、灰色の靄が、広がっていた。
そこに、小さな人影が、二つ。
一つは、エイナ。
もう一つは、いつもより、少しだけ大きな、ルル。
......ああ。
俺は、落ちながら、そう、思った。
あの日、頭上から、落ちてきた人影。
あれは。
俺だったのか。
風の音が、大きくなっていく。
エイナの姿が、まだ、見える。
木製の、仮面を、顔に、当てようとしている。
俺は、声にならない声で、叫んだ。
――待ってろ。
今、行くから。
身体が、灰色の靄の中へと、吸い込まれていく。
その先に、何があるのか。
まだ、分からない。
でも――もう、迷いは、なかった。
二万年の嘘 1 — 完
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――ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
『二万年の嘘-1』第一部は、ここで一区切りとなります。
そして物語は、まだ終わりません。
第二部では、ここまでの物語で残された謎や伏線をさらに掘り下げ、新たな物語が始まります。
第二部も引き続き連載していきますので、もし少しでもこの物語の続きを見届けたいと思っていただけたなら、ぜひお付き合いください。
それでは、第二部でまたお会いしましょう。
第二部 : https://kakuyomu.jp/works/2912051607990894242




