星の海
夜の森は、とても怖かった。楓さんと二人でなければ、こんな場所は歩けなかっただろう。
夜風でこすれ合う木々のざわめき。吸い込まれたら二度と戻ってこれそうにない深い森の闇に、得体の知れない恐怖を感じていた。時計を見ると家を出て10分ほどしかたっていかった。坂道を登っているのも合間って自分が進んでいるのかわからず、永遠に近い時の流れを感じていた。
「もう少しだからね」
赤く橙色の光を放つランタンだけを頼りに進んでいく。私は楓さんのランタンを持っていない方の腕にしがみつき、体を縮こませながら歩いた。
「木が怖い......。楓さんは怖くないんですか?」
「最初は怖かったさ。でもね、この先に何があるか知ってると、暗い道でもわくわくしながら歩けるもんだよ。それじゃあ、目は閉じたままでいいよ。代わりに、この明かりを持っておくれ」
私はランタンを受け取り目を閉じる。楓さんは私の瞼の上に手を添える。
「もういいよ。目を開けてごらん」
私は目を開けると息を飲んだ。
星だ。星の海だ。見上げたのではない、私が世界を見つめた、その先に星がある。
遠かった星が、いつもより近く見える。自然と星に手を伸ばす。星屑が一つ一つ輝きを放ちながら、私の目の前に存在している。遮るものは何もなく、ただこの世界に、この景色に圧倒される。
キャンバスにおさまらない絵画のように、黒い画用紙に筆先から絵具を飛ばして散らべた跡は無秩序なはずなのに、そこに何らかの秩序や法則なようなものを感じる。言葉の意味が生まれるより、はるか昔から存在している星の輝きに出会ったとき、人は言葉を失い必要としなくなるのかもしれない。それでも、それを胸にしまっておきたくて言葉を口にするのだろう。
「きれい……」
口から言葉が零れた。
「ここが私たちの思い出の場所。きれいでしょ」
「はい……。言葉になりません」
「よかったら、座らない? ここに、ちょうどいい切り株があるの」
「コーヒーも入れてきたけど飲む?」
「あぁ、はい、ありがとうございます」
「ここであの人が入れてくれたコーヒーを飲むのが好きだったわ」
私は受け取ったコーヒーカップを両手で包みながら、話に耳をかたむけた。
「ここに二人で初めてきた時にプロポーズみたいなことを言ってくれたのよね」
「プロポーズみたいな?」
「なんだか、恥ずかしくなってきちゃったから内緒」
楓さんは自分の頬に触れながら、本当に照れくさそうに、でも嬉しさも混じったように笑っていた。
「えぇ!! 気になる!」
「小枝ちゃんは、どうなの? 最近、何かいいことあった?」
「私は……」




