Fly me to the moon1
防音のための重い鉄の扉を開ける。
二つ目の扉を開けると、ドラムとウッドベースの音が身体中に響き渡る。
「あの……。月曜日にこのお店でジャズのセッションができると聞いたのですが」
「あら、あまり見ない顔ね。ええ、できるけど別にイベントとしてやってるわけじゃないから勝手に入って、好きな時に弾いちゃっていいわよ」
カウンターの女性は身体をこちらに向けて、そう言った。
黒いドレスに赤いピアスをしていた。30代くらいだろうか、80年代の映画のスクリーンからやってきたと言われても僕は信じてしまうだろう。後ろの棚からメニューをとるときに、かき分けた黒髪の隙間から見えるうなじがとても綺麗で絵になる女性だった。
「待ち合わせをしてるわけでもないのに、毎週この時間になると集まってくるのよ。笑っちゃうでしょ。彼らはジャムおじさんの会って呼んでるわ」
「なんでジャムおじさんなんですか?」
「ジャズの世界では、即興でセッションすることをジャムるって言うのよ。おやじギャグでつまらなすぎて、逆に笑っちゃうでしょ」
専門用語はよくわからないが、僕は鈴那さんにつられて笑った。
「あの、こういうお店は初めてで、何を頼めばいいのか……」
「あら、そうなの。私は鈴那。鈴さんって呼んでね。お兄さんはお酒は飲めるほう?」
そう言って鈴さんは、このお店のメニューを見せてくれた。もっと高い金額を想像していたから、内心、胸を撫で下ろした。
「意外と安くて安心しました。これなら通えそうです。でも、座ったら何万円とかとられたりしませんよね?」
「あら、嬉しい!うちは銀座にあるお店じゃないから安心して。チャージは500円で乾きものだけどお通しがでるわ。お腹がすいてたら、簡単なものなら作れるから注文してね。うちのカレー結構人気なのよ」
「バーで、カレーだすんですね! 意外です」
「そうね。うちは半分趣味でやってるようなお店だから、あそこで働かずにドラム叩いてるのがうちの旦那。ただの音楽バカだから、演奏したかったらあとで紹介するわね」
そう言って、鈴さんはステージのほうを見つめた。ステージと言っても、段差もなく狭い店内の奥側をそう呼んでるようだ。
そこには、街中で会ったら思わず道を譲ってしまいそうな強面の男性が半袖半ズボンでドラムを叩いていた。
「彼の趣味で、このお店始めたのよ。普段は建設業やってるからお店の内装なんかも全部自分でやったのよ」
「そうなんですか」と、相づちをうち店内を見回してみた。黒の壁紙と明るすぎない間接照明、赤いソファーにどっしりと重そうな木のテーブル。奥のステージとなるスペースには上からスポットライトで照らされていて、アコースティックピアノ、ドラム、ウッドベースの順に並んでいた。今、汗だくになりながらドラムを叩いてる旦那さんからは、勝手ながら洒落たこの店のイメージは想像できないから、たぶん鈴さんの趣味なのかと思った。
鈴那さんからおしぼりを受けとると僕は生ビールを頼み、またステージを見ていた。
顔は怖いが、楽しそうにドラムを叩いてる姿と半袖半ズボンもあいまって、だんだんただの悪ガキのように見えてきて。なんだか、羨ましかった。




