花の散り来る
こんこんと雪の降る山の頂き近く。白色に跡を残して歩く蓬霧が、大きな岩の上に座る影を見上げて微笑んだ。
「おはよう、凍鱗。今朝はまた寒いね」
「嫌味か、蓬霧」
ちらりと視線だけが寄越される。涼し気な眦に、蓬霧はくっくっと喉を鳴らした。雪によく馴染む静かな声音だ。耳に心地良い。その声が己の名を呼ぶ音が好きだった。
「いいや、ただの感想だよ」
どうだか、とでも言いたげに。肩をすくめた冬の神はまた空を見上げ、麓に向かってふうっと息を吹きかけた。名の通り凍てつく風が過ぎてゆく。山の裾も今日は積もるのだろうか。
大きな岩の上、彼の横に積もった雪を軽く払って腰掛けた。
寝ている間にもいくらか降ったのだろうが、蓬霧が今年見た雪はこれが最初だった。それでいて最後なのかもしれない。季節の変わり目にしか見ることの出来ない雪景色を、春の神は目を細めて眺めた。
「いつものは、」
「うん?」
うっかりと聞き逃した問い掛けを聞き返す。雪景色に惚けていたのは相手も承知だろう。細い指先が蓬霧の隣を指差した。
「あの煩いのは、どうした」
「あぁ、狐のことか。あれには寒かろうと思って家に置いてきたよ。置いていくにも煩かったけどね。他にも目を覚ましていた子たちはいたからね。みんなの世話を頼んできた」
「わざわざ、雪の日を選ばなくてもいいだろう」
毎年この時期に、交代の挨拶とばかりに二神が会うのは恒例行事である。しかし特別この日と決めた事でもないのだから、暖かい日にでも来れば良かっただろうに、と言いたいのだろう。不器用な優しさに笑みを綻ばせる。
「雪が好きなんだ。知っているだろう」
「知ってはいるけどな。せっかくの花も、凍てついたろう」
「あぁ、気にすることはないよ。お前の所為じゃあないだろう。神とは名乗っているが、私たちとて大神の気まぐれには流されるだけだ」
「まぁな」
頷くが、どこか納得はしていない。凍鱗の表情に蓬霧はさらに笑みを深めてみせた。言ってしまえば無いものねだりなのである。
蓬霧が雪を好むように、凍鱗は草花の芽吹く様を好いているのだから。この神は、せっかく綻んだ花が己の所為で傷んでしまったことに悲しんでいるのだ。
なんとも優しいことだと、笑って手を伸ばす。凍鱗の頬はひんやりと蓬霧の手のひらを冷やした。
「冬ながら 空より花の 散り来るは 雲のあなたは 春にやあるらむ」
ひらり、二神の上にも雪は舞う。
「お前が言うのか」
目覚めたばかりの春を覆うように。
「私だから言えるんだろう。なぁ、凍鱗」
「なんだ」
最後の冬を、惜しむように。
「美しい雪だな」
雪はこんこんと、降り続けていた。
冬ながら 空より花の 散り来るは 雲のあなたは 春にやあるらむ
――清原深養父(古今和歌集)




