閉幕その3
「カネやん、お疲れ!」
「カズさんこそ、今までお疲れ様でした」
「まだ疲れてないって。今のところはね」
ピッチの隅で、交代を告げられた金田と代わって登場する高橋が軽くタッチした。その光景に特別な事はまるで何もないようだった。今季の高橋は途中出場がメインで、特に前線に変化をつけるためテクニシャンタイプの金田や嶋と交代するパターンが多かった。今日もまた金田と交代。しかし今日は違うのだ。
試合前日、公式ホームページにおいて「高橋一明選手 現役引退のお知らせ」と題した極めて簡素な情報が配信された。JFL時代からの貴重な生き残りの1人であった高橋だが、昨年に負った怪我とそれに伴う運動量の低下は自慢のスピードを低下させた。しかし技術も高い高橋である。今年の夏に復帰してからはスーパーサブとして存在感を見せていたのだが、最後は自ら苦しく悲しい決断を選択した。
まずは生年月日、ポジション、出身地、経歴、通算成績と言った情報が提示され、その後に本人のコメントとして以下のような文章が掲載された。
JFLから7年間、このジェミルダート尾道というクラブでプレーしてきましたがこのたび今季限りでの現役引退を決意しました。多くのスタッフや関係者の皆様、チームメイト、ここまで育ててくださった指導者の皆様、そして何よりサポーターの皆様の叱咤激励に支えられてここまでプレーする事が出来ました。
僕自身は今年限りでユニフォームを脱ぎますが、来年以降も形を変えてこのジェミルダートを支援していきたいと考えています。今季は惜しくも目標に届きませんでしたが、来年こそ必ずJ1という僕の叶えられなかった夢を実現してくれると信じています。最後になりますが、これからも高橋一明とジェミルダート尾道をよろしくお願いします。今まで本当にありがとうございました。
あくまでも「ジェミルダート尾道の高橋」として現役生活を全うした。まだ20代、怪我さえなければという言い方は出来るだろうが、本人がそう決断したならば早いも遅いもないものだ。
もちろん選手たちもこれを知っていた。水沢監督としても最後の試合に高橋を出してやりたいとは思うものの、展開によっては出番なしの可能性も大いにあった。幸い選手たちからも慕われていた高橋である。「高橋さんのために今日は大勝するぞ」と一致団結した結果ここまで4対0と、逆転はまずないと思える点差まで広げてみせた。これで安心して出場させることが出来るというものだ。
「高橋よ。今更言うのも何だが、俺より若い奴が引退するのはどうももどかしいというかもったいないと言うか、考え直すって手はないか?」
「テツさん…… 出来の悪い後輩ですみません。でも僕は割と満足しているんですよ。だから引退するんですけど」
「すまんな、今更変な事を言って。分かってはいるんだが。淋しくなるな……」
「こらこら2人ともウェットすぎますよ! まだ試合は終わってませんよ!」
「ははっ、おう、そうだなテルよ! じゃあ最後の時間、最高の花道を作ってやろうじゃないか」
「おう!」
Jリーグ加入以前から尾道に在籍している現役選手は今シーズン開始時点で長山、山田、高橋の3人だった。この中においても最年長で在籍年数もトップの山田にとって高橋は特別長い間苦楽をともにしてきた可愛い後輩だっただけに惜しむ気持ちは人一倍強い。
「いい場面では出来る限りそっちにボールを送りますんで、一発ドーンとお願いしますよ高橋さん」
「ふふ、いいんです? 点取り屋がそれを言って」
「俺もそうだし、みんなだってそれを願っていますよ」
「期待に応えられるといいですけどね、ふふ」
ドリブルからのゴールが高橋の得意技だった。今の高橋の脚ではドリブルはそううまくできない。しかし最後の部分までうまくお膳立てすればゴールぐらいなら出来るはずだ。そのために協力は惜しまないと秀吉は誓っているのだ。
試合再開の笛が鳴った。鳥取のスローインからリスタートとなるが、尾道の選手たちは最後のスタミナを振り絞ってチェイスに向かう。「高橋さんとピッチで過ごす最後の試合」と思い直せば1分1秒すら惜しいのだ。すでに大差をつけているのに衰えない気迫に驚いた鳥取の選手がパスミスをしてボールがタッチラインを割る。尾道ボールのスローインとなった。一応相手陣内だが、ゴールにはまだ距離がある。
「でもそんな事は関係ねえ。一気に行くぜ!」
山田のスローインはマルコスに渡る。今村とのパス交換をしながら左サイドを突破するかに見えたが中央、上がってきた橋本にパスを送った。橋本が今年一番成長したのはハートの部分と言われており、さらに試合に慣れる事で本来のオーバーラップがたびたび見られるようになって来た。その橋本は即座に逆サイドを爆走中の山吉へ長いパスを出した。
「ナイスパス橋本さん!」
ジャストなタイミングでトラップした山吉はマーカーを行きがけの駄賃とばかりにスピードだけで振り切ると、フリーになった瞬間を逃すまいと素早くクロスを上げた。カミソリで切り裂いたような低く鋭いボールが中央を急襲する。中には有川がいるが相手も必死だ。センターバックは頭でクリアしたが、そこに走りこんだのが秀吉だった。
「身体を張って守れ!」
「おう! これ以上取られてなるものかよ!」
秀吉がモーションを起こすより早く、2人のディフェンスが肉体を最大限まで広げてコースを消した。とは言ってもかなりギリギリの体勢でのシュートブロックなので隙がまったくないわけではない。しかし秀吉はここで無理に自分のゴールを狙おうとはしなかった。自分よりも取ってほしい人がいるからだ。
「俺にマークがつくって事は他のマークは薄くなってるって事だ。ならば!」
秀吉は右足でボールを後ろに流した。そこに走りこんでいたのは高橋だった。元来高橋は得点力のある選手。感じていないはずがないと確信していたのだ。そして秀吉の読み、と言うか想像通り、高橋はそこにいた。ゆっくり転がるボールに照準を合わせて右足を振り上げていたのだ。
「高橋!」
「カズさん!」
「行けえええええ!!」
尾道というクラブを愛する人全員の願いを全身に受けて放たれたシュートは、しかしクロスバーのわずかに上を通り過ぎて行った。「ああっ、惜しい!」とため息が漏れる中、高橋は秋空を見つめて大きく息を吐いて、満面の笑みを浮かべた。戦士としての仮面を脱いだ男の、惜別の微笑みであった。間もなく終戦のホイッスルがスタジアムに響き渡った。
「勝ったか。終わったんだな、すべてが、もう……」
「ふう、最後は惜しかったな、高橋よ」
「まあ、仕方ありませんよテツさん。逆にここで決めてたら引退する必要なんて……」
「さあ集合だ」
試合後はシーズン終了のセレモニーが開かれた。選手全員に加えて林GMや辻社長と言ったクラブのトップもフィールドに立ち、ちょっと長い挨拶などをした。サポーターは今季の戦いぶりに関しては概ね満足だったようで「いい夢見させてもらいました」「全員で行こう! もはや昇格以外眼中になし」などと言う手書きの巨大な横断幕が掲げられる中、温和に進行した。
「シーズン前、私たちは『プレーオフ圏内』を目標に掲げました。終わってみれば7位。人は『良く頑張った。健闘した』と言われるかも知れません。しかし、6位と7位の狭間にある断崖は限りなく深く大きく、そこにたどり着けなかったという悔しさははっきり言ってあります」
水沢監督のスピーチでは初の1桁順位でフィニッシュしたという達成感よりも後一歩でプレーオフの進出を逃したという点を強調していた。J2に参戦して5年目。15位、12位、15位、11位と来て7位である。歴史的に見るとまさに「躍進」の一言なのだが、実際プレーオフ争いに身を投じると「あの時もう少しディフェンスの集中力を保っていたら」「もしもあのシュートが入っていたら」などという事が後悔になって募るのだ。それまでなら「引き分けで勝ち点1ゲットできたからいいや」だったものが、贅沢を覚えると変わって行くものだ。
「しかし確かに私たちは強くなったという感触もそこには存在します。来年はもっともっと強くなり、サポーターの皆様により多くの勝利という歓喜を、そしてそれを積み重ねた上に待っているJ1という舞台をはっきりと目標に定め、必ず仕留めてみせます! そのためにもサポーターの皆様には来年も変わりない声援を送っていただきますよう、よろしくお願いします!」
もはや「6位以内」などと言う目標は設定しない。目指すのはただ自動昇格の2位以内のみ。「来年も頼みます水沢監督!」「その言葉、嘘にするなよ!」などと言うサポーターからの歓声と拍手に包まれて水沢監督はピッチの脇に退いた。そして高橋の出番である。先ほどまでの喧騒は収まり、水を打ったような静けさに包まれる中、高橋がピッチの真ん中に歩み寄った。
「カズさん、今までありがとうございました!」
「ありがとうテル。これからはお前たちの時代なんだから、しっかりしないとね」
「はい!」
「お疲れ様です高橋さん」
「ええ。私の分も任せましたよ」
「おう、任されましたとも。淋しくなりますがね……」
「あなたがいれば大丈夫ですよヒデさん」
花束の贈呈には本人の希望から御野と秀吉が選ばれた。高橋には妻も子もまだいない。両手いっぱいに抱えきれないほどの花束は自分ごときには文字通り手に余ると謙遜する高橋だが、尾道における功績を見れば期間は短くともその輝きは永遠に記憶されてしかるべきだと疑う者は少ないであろう。
「ええ、7年間という長いように思えましたが改めて振り返ってみると本当にあっという間だった気もします。私、高橋一明は今日この瞬間を持ってユニフォーム姿に別れを告げ、広報として私の愛する尾道を支えていく事になりました。今まで応援ありがとうございました。
私が尾道にサッカー選手として入団した時、チームはJFLに所属していましたがどの選手も自分などよりもはるかにうまく見えて『このままじゃとてもやっていけないだろう』と思っていました。そこで自分に出来ることは何かと考えた結果行き着いたのがドリブルを磨く事でした。自分は何でも出来る選手じゃないと割り切っていなければもっと早くにユニフォームを脱いでいたでしょう。しかし、その磨いたドリブルも去年怪我してからは、特にスピードが落ちてしまってはなかなか難しく、本来のプレーが出来なくなりました。
幸い今年の夏に怪我からは復帰できましたが、最初に出たのが和歌山戦でしたが、あの試合は自分でもそれなりに動けたと思っています。しかし試合後1週間は満足に身体を動かせず、しかも次からは試合に出るたびにその間隔が大きくなっていきました。もっとやりたいという気持ちにいささかの衰えもありませんでしたが、もはや肉体がプロの動きにはついていけず、これからも怪我と治療の合間に試合に出るという形になるようでは……」
ここまでは一気にしゃべってきた高橋であるが、こみ上げるものを押しとどめるためかいったん言葉が途切れた。その空白を埋めるようにサポーターたちの大歓声がスタジアムに舞った。高橋は勇気を取り戻し、大きく息を吐くとまた言葉を紡ぎ始めた。
「これ以上チームにとって負担になってはいけないと、最後は自分で決断を下しました。10月の終わり頃、監督に『今年限りにしたい』と告げました。監督からはまだ必要だと言っていただきましたが、決意は変わらず、最後は監督にも納得していただきました。チームメイトに告げたのはそれがすべてはっきりした、この試合の3日前でした。やはり皆驚いていましたが港さんやテルが音頭を取って、いい形で私を送ろうとよりまとまってくれたので、そういう意味では遅まきながらチームに貢献できたかなと思っています。
チームが昇格を目指して戦う中で自分だけ個人的な、違うところを向いていていいのかとずっと思っていましたが、一度『引退する』と口にしたらとても心が軽くなって、今もそうですがすがすがしさで満ちています。今日の試合などもシュートを外してしまいましたが、もしあれが入っていたら考え直したかも知れませんが、ああいう形で終わるのが結局私らしいかなとは思っています。
とにかく、至らない所ばかりだったこの私を今まで応援していただいたサポーターの皆様には感謝してもしきれない思いでいっぱいです。悪い時は悪いと、良い時はほめてくださり、その言葉ひとつひとつがすべてサッカーを続けていく上での励みとなりました。これから私のいないジェミルダートになりますが、それでも変わりなく叱咤激励の言葉をかけていただければ幸いです。
さて、今年のジェミルダートは7位に終わりました。最後は力及ばずという悔いはあります。しかし小学生の頃にサッカーを始めて中学高校、大学は東北のほうですがまた戻ってきて、最後まで愛した尾道で永遠に一度しかないサッカー人生を走り抜けることが出来た私はとても幸せだとも思っています。最後に、このチームは私の叶えられなかったJ1という夢を来年にも叶えてくれる力を持っていると信じています。だから、来年からも私たちジェミルダート尾道への変わらないご声援をよろしくお願いします」
すべてを話し終えた後に深々と頭を下げて、高橋のスピーチは終わった。最後に選手や監督コーチ、それにスタッフ全員がスタジアムを1周するウィニングランを行った。その間、スタジアムにはサポーターによる感謝の拍手と歌い納めとなる高橋のチャントがいつ果てるともなく響き渡っていた。
100文字コラム
嶋はドライフルーツに詳しい。特におすすめなのがデーツ。「ナツメヤシの果実で重たいほどの甘さが美味。オタフクソースにも使われてて馴染みもあるしもっと広まるはず」と語る。カレーの隠し味にも活用してるとか。




