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夢想その5

 前半戦は膠着した展開となった。久々の先発起用となった秀吉は得意の飛び出しで北九州ディフェンス陣を混乱させる場面を作ったし、雪辱に燃える金田もゴールに直結しそうな鋭いパスを何本も放った。


 しかし全体的に噛み合っていなかったと言うのか、秀吉の飛び出しと金田のパスが微妙にずれてしまいオフサイドとなったり、逆に秀吉が後一歩で追いつけなかったりと、微妙なラインでのすれ違いが見られた。決定的なチャンスとは本当に紙一重なのだが、そのわずかな隙間を埋めるのはたやすい事ではない。


「完全に抜け出したと思ったがな。なんかうまくいかんな」

「どうも今日はついてないというか、変な感じだ」


 どちらが悪いといったものではなく、しかし安易に「運が悪かった」だけで片付けるのも違うと言う釈然としない思いを抱きつつ迎えた前半43分だった。終わりを意識してしまったか山田が緩慢なパスを出し、それを相手にカットされてしまう。そこから一気のボールを最前線まで運ばれていきなり先制点を奪われてしまったのだ。


「しまった! 安い失点をしてしまったものだ」

「へへっ、ラッキーだったぜ」


 突然の出来事に尾道の選手たちは顔色を失い、逆に北九州の選手たちは思いがけず得た幸運に顔をにやつかせていた。それまでの流れはむしろ尾道に有利と思われていたのだが、逆に得意のパスサッカーが不発だった北九州が先制ゴールを叩き込んだ。尾道にとっては微妙に噛み合わない中でビハインドまで許してしまうという嫌な流れである。


 1分のロスタイムにも特に何かが起こると言う事もなく、そのまま前半終了。0対1のビハインドを背負ったままハーフタイムを迎えてしまった。シュートは尾道が7本、北九州が2本と大きく差をつけていながらも点差はご覧の通り。よくある事とは言え簡単には割り切れない。


「あのゴールは事故だ。忘れよう」


 ハーフタイムで水沢監督はこのような言葉をかけたのだが、内心では「今のスタメンは悪くないように見えて実は致命的なずれがあるようだ」などと思い始めていた。


 まずは最前線。秀吉とヴィトルは得点を奪う事に関してはいずれ劣らぬ優秀性を誇るストライカーであるが、ポストプレーに長けた有川不在の影響か、最前線でボールを収めることが出来ていない。中盤の金田は好調なのでボールは供給されるが、そこからより優位な形を作ることが出来ていないように見えた。


「悪くはない。しかしこの試合は落とせない。今のままで本当にいいのか」


 選手には勘付かれない様に苦い表情を作って考え込む水沢監督。誰かが明らかにクオリティの低いプレーをしているわけではないがどこかおかしい。しかし何がおかしいのか見えない。しかしサッカーの試合は90分で決着がついてしまうのだ。モタモタしていると時は過ぎていくだけだし、今取り残されるという事は昇格という目標を取り逃がす事と同義である。


「とにかく、流れは決して悪くなかったんだ。後半はまず同点に、そして逆転を狙っていけ!」

「おう!」


 精一杯の力強さを取り繕って選手たちを送り出した。しかし内心では「本当にこれで良かったのか」という苦悩のみで支配されていた。何が正しくて何が間違いか、それが予知できれば苦労しないのに。ありもしない神業に思いを馳せるほどに水沢監督の精神は追い詰められつつあった。


「練習では野口と亀井の動きが良かったですよ」


 眉間にしわを寄せる水沢監督の背中から佐藤コーチのささやき声が響いた。佐藤コーチはいわば水沢監督の右腕、彼の苦悩は痛いほどに感じている。助け舟を出す、と言うには大袈裟だが、決断を下す任にある監督という職務ゆえの痛みを少しでも和らげることが出来たら、それは佐藤コーチにとって狙い通りと言える。


「そうだな。それに茅野だ。あいつのアグレッシブさはチームに活力を注入するのに適任だと見る」


 普段から「佐藤コーチが右腕だとすると俺は左腕だな」と豪語する中島コーチもその心は佐藤コーチと同じであった。水沢監督一人で軽々しく事を運べないならば、自分たちがサポートしようというコーチの心意気である。


「ありがとう、大分勇気が出てきたよ」

「どういたしまして」


 間もなく、選手交代が行われた。後半9分に、まずは山田に代わって亀井と秀吉に代わって野口がグラウンドに姿を現した。


「ええ!? もう交代かよ」

「しかも荒川秀吉を! なんかもったいなく見えるがなあ」

「山田だって今日の試合ではミスもあったけどチームの心臓と言える選手なのに。亀井じゃ若すぎるんじゃないか」


 北九州まで駆けつけた尾道サポーターもこの交代には疑問符を投げつけた。どうにかしようという意図は分かるし野口が試合出場を果たしたのは喜ばしいが、いささか大胆すぎるのではないかと思えたのだ。しかし水沢監督としてもそれは承知の上、大胆な賭けだった。


「これで正しいのか、勝負だ。頼むぞ新人ども」


 後半戦、序盤は比較的拮抗した試合展開が続いたがこの交代以降はむしろ北九州がボールを持つ時間が増えてきた。タフにピッチ上を駆け回る山田が消えた事で単純に尾道のグラウンド支配率が低下したのがまず第一、それに秀吉は経験豊富なので前線のチェイスがうまいが野口はそこまで成熟していないのでディフェンスにおいてはマイナスな交代であった事は間違いない。


「どうしたんだ尾道! 交代ミスか?」

「一気に試合を決めてくれ!」


 北九州サポーターを勢いづける結果となった。しかし尾道ディフェンス陣は宇佐野が相手FWと1対1の局面を右足でセービングするなど気迫を保ち続けた。ここで決められたら負けはほぼ確定。そしてここで負ければ昇格の夢も霧散するのはほぼ確定。まだ、戦っていたいのだ。


「茅野! 茅野はいるか!」

「はい! ここにいます!」

「そろそろ出場だ! 言うまでもないが勝つための交代となる。頑張れよ」

「はい!」


 後半20分も過ぎたところで、アップを続ける茅野のところへ佐藤コーチが声をかけた。いつもの終盤における時間稼ぎ要員とは違う、自分の力でチームを変えることを期待されての交代だ。茅野の表情が見る見る引き締まっていく。


「ルーキーそろい踏みか。ユーマ、しっかりやれよ!」

「2点やで2点! 頼むで!」


 クールダウンをしていた秀吉や、茅野と一緒に身体を温めていたものの今日の出場はないと確定した深田らベンチメンバーから次々と激励の言葉をかけられる。自分は駄目でも茅野に期待、その意味ではまさに尾道の選手たちは一丸となってチームを形成していると言える。


「尾道選手交代のお知らせです。背番号24、御野輝選手に代わりまして、背番号19、茅野優真選手が入ります」


 アウェーゲーム特有の事務的なアナウンスとともに茅野もピッチに入った。この瞬間から、試合の風向きが大きく変わるとはほとんどの観客は予想だにしていなかった。


「ようよう、遅れてわりいな! まあ真打は最後に登場するってもんだからな!」

「あははは! でも初めてだよね、僕ら3人が一緒のピッチにいるってさ!」

「そりゃあそうだろ。俺は初出場なんだから」

「ああ、そして俺達がここにいるって事はさ、期待されてるのは逆転だからさ、とにかく攻める。うん、これが監督の指示だ」

「了解! じゃあ、頑張ろう!」

「おう、俺達の力を見せてやる」


 同期揃い踏みでテンションの上がる亀井、茅野、野口の3人。そしてこの交代の直後、後半27分に早速彼らの真価が発揮された。それは北九州のパス回しを亀井が読んでカットしたところから始まった。


「よしナイスカメ! 前線へパスを!」

「ええい、ここだ!」


 亀井は一気に左サイドを駆けて行く茅野へロングパスを通した。このプレーは全体練習終了後、3人で幾度となく練習してきた形なのでそれこそ目を閉じていても茅野のいる場所に出す事が出来る。


「オーライ! ナイスパスだ! そして行くぞタクト!」


 トラップと同時にマークに走っていた北九州のディフェンダーをかわすと即座にクロスを上げた。ターゲットはもちろんゴール前中央付近に走りこんできた野口だ。


「うおおおおおおおおおお!!」


 相手のセンターバックと競り合いになりながらも一歩も退かずにジャンプする野口。元々恵まれた肉体を誇る男である。ひとかけらの勇気さえあればそう負ける事などない。誰よりも高く羽ばたき、一つ分抜け出した頭で捉えたボールはキーパーの手前でワンバウンドしながらゴールの右隅へ吸い込まれた。


「よっしゃ! 同点!」

「ナイス野口! 初出場初ゴールだ!」

「茅野もいいし亀井だって! これは一気に流れが変わるぞ!」


 尾道の選手たち、そしてサポーターたちは意気高く攻勢を強めた。敵地北九州においても一歩もひるまず戦い抜くという姿勢を崩さない。その勇気に押されるかのように北九州はラインを下げていった。


「もっと前へ押し上げろ! ボールを回すんだ!」


 北九州の三村監督がテクニカルエリアの最前列に張り出して大きく腕を回しながら叫ぶが、逆巻く尾道怒涛の攻勢の前にはほとんど意味をなさないほどであった。しかし最後の最後、ギリギリのところでシュートを防ぐ粘りを見せて1対1のまま時間は過ぎていった。


「今何分だ! 佐藤コーチ」

「後半の43、今44分になったところですね」

「あと少しだな。この流れで引き分けだと勝ち点2を失うと言って間違いじゃない。何とか後1点、頼むぞ」


 ベンチでは水沢監督がしきりに時計を気にしていた。間もなく後半ロスタイムは4分と表示されたがいずれも決定的な攻撃ができないまま3分が過ぎていった。


「引き分けか? いや、駄目だ! 勝ち点2を失ってしまえば上位とは引き離されるだけだ!」

「必ず勝ってくれ! 頼むみんな!」


 尾道ベンチにありながらピッチ上で戦っている選手と同じように鋭い眼光でボールをにらむ秀吉。内心では焦りも芽生える時間だったが、まだボールは相手がキープしている。まずはこれを奪わない事には始まらない。


 亀井と今村の積極的なプレスによってボールを下げる北九州、しかしその際に生じた一瞬の隙を見逃さなかったのは野口であった。パスカットに成功すると、すかさず走り始めた茅野に向かって一条のパスを繰り出した。


「よーしナイスパスタクト!」

「そのまま決めろユーマ!」


 焦った北九州ディフェンダーが強引にスライディングを仕掛けた。後ろから右足をえぐる形になって茅野は大きく転倒。レッドカードが提示された。ゴール前18mといったところか。もはや時間もなく、直接FKを叩き込むしかない。


「おいユーマ! 大丈夫か!?」

「へへっ、この程度! それよりも最後のチャンスですよ」


 茅野は思いのほかピンピンしていた。「ここまで来たからには負けてたまるか」と言わんばかりに集まって堅固な壁を構築する北九州の選手たちを眼前に金田はボールをセットした。


「頼みますよ金田さん。しっかり決めてください」

「お前も俺が蹴ると思うか」

「えっ、どういうことです?」


 キック前、言葉をかけて少しでも緊張をほぐそうと近づいた亀井に向かって意味深な言葉を投げかける金田。きょとんとする亀井の表情を見て、確信を深めたようにぎらついた目のままニヤリと口元を歪ませていた。


「ひとつアイデアがあるからよく聞けよ。それはな……」


 亀井に向かって金田は何事か耳打ちした。亀井は一瞬表情が凝固したが、すぐさま首を縦に振った。そして笛が鳴り響いた。同時に金田がゆっくりと助走を取り、一気に走り出す。最後の一撃が今振り下ろされる、と思いきや金田はそのままボールの横を素通りして行った。この動きにつられて壁がやや崩れたその瞬間、亀井の右足がボールを捉えた。


「金田じゃないとは、うおお!?」


 完全に裏をかかれた北九州のGKは狼狽しながらもゴールの右方向へと飛びついた。しかし急激に落下するキックは拳の下を潜り抜けて、ゴールネットを揺らした。亀井が密かに練習していた無回転ブレ球FKが火を噴いて尾道が逆転に成功、その直後に試合終了を告げる長いホイッスルがスタジアムに響いた。


「あああああ……」


 ホーム北九州の観客は、自分たちにとってはまさに悪夢そのものの展開に言葉を失った。まさにラストプレー中のラストプレーで逆転されてしまったのだから。そして順位も後退してしまい、プレーオフ圏内への進出はかなり厳しくなった。逆に尾道はこの一撃で7位に浮上。まだまだ戦いは終わらない。


 ピッチ上では尾道の選手たちによって歓喜の輪が作られていた。何より喜ばしかったのは若い選手たちが確かに力となり、頼もしい結果を残したという事実である。確かに実力を発揮するには多少時間がかかったかも知れない。しかしプロ入りしてからここまでのたゆまぬ努力は確かに実を結びつつあるのだ。


「これだよこれ! ただ勝利を得ただけじゃない! タクト、ユーマ、それにカメ! 俺より10歳よりも下の子が活躍して勝利をもぎ取ったことに意義があるんだ!」


 興奮の中、秀吉は不意に少し前に見た夢を思い出した。さすがに監督は先走りすぎだがすでに31歳、まだまだ先の話だと思っていた引退もそれほど非現実的なゴールではなくなってきつつあるのは自分の肉体が一番良く知っている。もっとも技量でははるかに上なだけに、今はまだその座を明け渡すつもりはさらさらないのだが。


 どうせなら若い選手たちには自分を越えてほしいと願っている。そのために自分が出来るのは最後まで全力で走り続けることに他ならない。手取り足取り教えるのではなく自分の姿に何かを感じ、それをどうにかして追い抜こうとする。そこに活力が生まれる。


 それが続けば、きっと尾道は今より素晴らしい、愛される、そして何より強いチームになっているだろう。チーム強化に特効薬はない。小さな積み重ねが気付いたら形となっているものなのだ。たとえ自分たちの代では間に合わないにしても、いずれはあの夢が叶う日は来るかも知れない。その時のために、今という時間を思い切り駆け抜けるのが自分に課された責務だと改めて誓う秀吉であった。

100文字コラム


尾道のファン気質は一般的に瀬戸内海のように穏やかだと言われている。人数の少なさもあるがまだまだ人々を熱狂させるには足りていないとも考えられる。順位浮上は当然としてスタジアムなど環境の整備も必須だろう。

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