夢想その3
「それにしても迂闊だったな有川よ。あのようなくだらないカードをもらってからに」
「ははは、まったくもってその通り。あれは本当に恥ずかしいミスでした。焦りすぎでしたね」
「まあいいさ。気にしすぎるのも毒だし今週はゆっくり休むが良い。紅白戦では野口に入ってもらう」
「はい、わかりました」
前節の京都戦、ビハインドの展開で相手がボール回しをしていたところを強引に奪いに行ったのが災いして、相手を後ろから倒す形となりレッドカードをもらった有川。本人も認めている通り焦りは禁物である。しかしここまで一切出番のなかった野口にようやくチャンスが訪れたと考えると、チームにまた新たな波が訪れつつあると見る事も出来るだろう。
野口は地元尾道市出身。小学生の頃からクラスで一番の長身と、それに似合わぬ俊敏な動きで近所では知られた存在だった。サッカーを始めたのもこの時期だったが、同時に野球部の助っ人としても活躍していた。ポジションは主にレフトで、長身を生かした打撃のパワーは本職の野球部員をしのぐものだった。
「野球もサッカーもどちらも好きだった。でもどっちかと言うとサッカーのほうが好きだった」
小学6年生の終わり、父親の同級生がチームスタッフにいるという縁で尾道のジュニアユースに入団する。その長身はここにおいても一目置かれる存在だった。当時ジュニアユースの監督を務めていた中尾健次郎は野口の印象について「技術はまだまだだけど身体能力は高かったし、何よりうまくなろうと普段の練習から真面目に取り組む子だった」と話す。天性の素質が本人の強い意志と一流のコーチによって磨かれていった。
高校生に入ると同時にユースに昇格。ジュニアユース当時のポジションはセンターバックだったが、即座にFWへとコンバートされた。当時ユースの1学年上には今年再びチームメイトとなった御野輝がいた。ドリブルが得意な御野を生かすポストプレーヤーとして野口に白羽の矢が立てられたのだ。
「ポジションのこだわりはほとんどなかった。でも点を取るのは楽しいですからね。ディフェンダー時代も結構オーバーラップしてはヘディングで点を取ってたし」
ユースに昇格した当初は長身であるという部分しか見られていなかったが、まもなく野口がFWとしての資質に優れていると発覚する。それは丁寧な、非常に丁寧で精度の高いキックを持っているという事だった。
「ゴールから大外れってのは正直かっこ悪いでしょ。だからとにかく丁寧にとは常に考えている」
恵まれた体格ゆえに他の選手より優位な状態でのプレーが出来る。それゆえに、野口はディフェンダーから邪魔されない自分の時間と空間の中で精度を高めてきた。「確実に点を取るストライカー」として注目された。
先輩の御野と宇佐野が「一期生」としてユースからトップチームに昇格した時、1年後輩の野口も「来年は確実にトップチームに昇格する」とは誰もが一致する見解だった。そして1年後、その通りの展開となった。
ユースから昇格したのは同学年でも野口ただ一人。それ以外の選手たちはほとんどが大学へ進学したが、中盤のダイナモだった兼重幸人のように家業を継ぐためにサッカーを断念した選手もいる。彼らはともに学び、ともに夢を追いかけたいわば魂の兄弟たち。野口の活躍は彼らの願いでもあるのだ。
しかしプロに入って野口は自分のサッカー人生で初めてというほどの壁にぶつかった。無論、野口とてユースとプロはレベルが違うと分かっているつもりだった。しかし野口の考え以上に壁は高く、そして厚かったのだ。
直接的に、最初にそれを感じたのが有川貴義であった。同じ長身のストライカー。それだけに肉体の完成度が一目瞭然だった。やはり野口はまだまだ若く、有川と比べると見劣りする部分が多い。さらにディフェンダーのモンテーロと競り合ってもほとんど負けてしまう。相手が悪いと言えばその通りだが、最前線に身を置く者としてはそんな泣き言を言ってはならない。
さらに壁の厚さを実感させたのは港であった。自分より小柄な選手だ。しかし、野口はその小柄な港と対峙してもまったく制圧できる気がしなかった。まるで隙がない。逆に自分がボールを持っているとあっさり奪われてしまう。自分では完璧と思っていても実は隙だらけ。その隙をベテランの目は見逃さない。
「どうすりゃいいんだ」
野口は打ちひしがれた。「自分は駄目だ。プロでやっていく自信がない」と思わなかった日はなかったと言う。それがいくらか解消されたのは荒川秀吉の入団後だった。
肉体的には自分と比べ物にならないほど小さい荒川秀吉という男。しかしその内部には自分にないものが煌々と燃え滾っていた。それはパッション! 何としてもゴールを奪うんだという執念! そしてその想いを形にするための実戦的なテクニックだ。
「どんだけいい形を作ってもな、シュートを打たなきゃゴールにはならねえよ」
5月頃に行われた紅白戦、同じ「控え組」として秀吉とチームを組んだ野口だが、その試合で野口はゴール前フリーでボールを受けたもののGK玄馬の飛び出しに臆したかシュートではなく秀吉へのパスを選択、しかし港にカットされてスローインにされてしまった。下を向く野口に向かって秀吉が発したのが上の一言である。
「言われてみると当たり前なんですがね、当時の僕は怯えながらプレーしていた。心のどこかで『経験が違うから勝てるはずがない』と逃げていた。もちろんパスという選択肢も大事だけど、それが逃げの心理から出たのでは結果に結びつかない。それより失敗してもいいから勇気を持ってプレーしようと」
怒るでもなく諭すでもなく、まるで自分で自分に言い聞かせるようにつぶやいた秀吉の言葉が野口を変えた。この日以降、自分の肉体を駆使した力強さが出てきたのだ。「そんな事言ったっけ? ごめん覚えていない」と笑う秀吉だが、野口にとってはどんな本よりも大事な金言となった事は間違いない。
「次の日曜日だが、ベンチメンバーには玄馬、橋本、深田、高橋、それに亀井、茅野、野口に入ってもらう」
紅白戦の前、水沢監督はこのように宣言した。途端、監督を囲っていた選手たちは野口に向けて万雷の拍手を贈った。ユース出身ながらここまで苦しんできた野口がついにベンチ入りの切符を手にしたのだ。もちろん茅野と亀井も「おめでとう」などと無邪気そうな顔で祝福してくれている。
「ありがとうございます。でもまだこれからですから」
照れ隠しが半分、自分に言い聞かせているのが半分と言ったところか。しかしまさにその通り、野口の物語はこれから始まるのだ。そしてそのシナリオがハッピーエンドとなるかどうかは野口の努力にかかっている。
100文字コラム
金田の特技は口三味線ならぬ口ギター。特に「子供の頃からよく聴いていた」という松本孝弘のプレイは大の得意。稲葉浩志のマネが上手い長山と組んでの即席ビーズは隠し芸の十八番だ。また御野は猫の鳴きマネが達者。




