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孤得集 ――届かなかった人たち

土星の葬列

作者: FU
掲載日:2026/05/10

君は土星が好きだった。


初めてそう教えてくれたのは、学生街の外れにある古いプラネタリウムだった。


その日の投影室は寒く、座席は少し硬かった。前の列では子どもが二人、ずっとポテトチップスを食べていて、袋の音のほうが解説員よりよほど熱心だった。ドームにはところどころ黒い染みがあり、星の光が映ると縁がぼやけて、拭き残された夜みたいに見えた。


解説員が土星の話を始めたとき、君はふいに背筋を伸ばした。


淡い金色の惑星が頭上に浮かんでいた。輪は細く、静かにその星を囲んでいる。その瞬間、プラネタリウム全体が暗くなり、遠いその星だけが光っていた。


君は小さな声で言った。


「これ、好き」


「土星?」


「うん」


「どうして?」


君はその輪を見上げたまま言った。


「宇宙でひとりじゃないから」


僕は言った。


「あれ、氷と塵だよ」


君はこっちを向いた。


「これからロマンチックなときにしゃべらないで」


僕は黙った。


少しして、君はまた言った。


「私、土星だったらよかったな」


「なんで?」


「どんなに孤独でも、周りを回ってくれるものがあるから」


「じゃあ、僕は土星の輪になるよ」


君は笑った。


「土星の輪って、すごく冷たいんだよ」


「知ってる」


「しかも砕けてる」


「それでもいい」


「ずっと私の周りを回らなきゃいけないよ」


「いいよ」


君はさらに笑って、顔をマフラーに埋めた。


「ほんと、出世しなさそう」


「輪に出世とかある?」


その帰り道、君はずっと土星の話をしていた。


きれいだとか、孤独だとか、あの輪はものすごくゆっくりした抱擁みたいだとか。宇宙にあるものはたいてい大きすぎて、静かすぎて、人間から遠すぎる。でも土星だけは違う。あの星も暗闇の中にいるのに、少しだけ飾りを身につけている。誰も見ていないと知っていても、きちんと服を着ているみたいだ、と君は言った。


それから、土星が見える夜になると、君は僕にメッセージを送ってきた。


> 今日、土星がいる。


僕は返した。


> 惑星は引き続き運行してください。


君は返した。


> あなたも引き続き運行してください。


あのころの僕たちは若かった。


冗談の一つくらい、ずっと使えると思っていた。


---


君はテラフォーマーの打ち上げを待てなかった。


打ち上げの日、空は灰色だった。


そのころの地球には、もう本当に青い空がほとんど残っていなかった。海岸線は後退し、また押し返し、多くの都市が放棄され、人々は地下へ移った。人々が「未来」という言葉を口にするとき、その声はとても小さくなった。まるで、言っただけで壊れてしまうのを恐れているみたいに。


テラフォーマーは宇宙船の腹部に格納された。


それは人類に残された最後の種だった。


中には、海水のサンプル、土壌菌群、植物の種子、大気改造コア、人工磁場システム、生態系起動装置、そして新しい世界に火を入れるだけのエネルギーが入っていた。


目的地は三百光年先。


その惑星の名はニューショア。


君がつけた名前ではない。たぶん君は気に入らなかったと思う。


僕が持っていった君の声は三つだけだった。


一つ目。


「またコントロールパネルのそばにコップ置いてるでしょ。水と機械を近づけないでって、何回言ったら分かるの」


二つ目。


「今日、土星を見た。すごく小さかったけど、まだいたよ」


三つ目。


君が笑いながら言う。


「惑星は引き続き運行してください。あなたも引き続き運行してください」


船が地球を離れてから、僕はその三つを何度も聞いた。


そのうち、船のシステムは僕を起こすたびに、先に尋ねるようになった。


「個人音声を再生しますか」


僕はいつも答えた。


「再生」


すると、君の声が船内に響いた。


とても短い。


僕が君を思い出すには、短すぎた。


---


航行の初めの数年は、まだ地球からの通信を受け取れた。


任務報告、軌道修正、残存生態区画の更新、地下都市からの祝福。子どもが一枚の絵を送ってきた。青い星、白い宇宙船、緑の草原。横にこう書いてあった。


> 春を連れていってください。


君がその絵を見たら、きっと長いこと黙っていただろう。


君はそういうものに弱かった。幼稚だからではない。あまりにまっすぐだからだ。


やがて、地球からの通信は少なくなった。


さらにそのうち、人間の声は消え、自動ビーコンだけが残った。


> 地球ビーコン、送信継続中。


長い間を置いて、また同じ文が届く。


> 地球ビーコン、送信継続中。


まるで眠った人が、まだかすかに呼吸しているみたいだった。


目を覚ますたびに、僕はまずテラフォーマーを確認した。


エネルギー安定。

生態ライブラリ安定。

コア温度安定。

航路安定。


すべてが安定していた。


安定していることが、怖かった。


安定しているということは、任務がまだ続いているということだからだ。続いているということは、僕はそれをニューショアまで届けなければならないということだ。


ニューショアに届けるということは、いつかそこに海ができ、風が吹き、植物が育ち、人間の子どもが見知らぬ空の下で生まれるかもしれないということだ。


それは正しいことだった。君なら必ずそう言ったはずだ。


君は僕の隣に立ち、腕を組み、眉をひそめて言うだろう。


「私情を任務に持ち込まない」


そのついでに、コントロールパネルのそばに置いた僕のコップを、またどけるかもしれない。


分かっていた。


ずっと分かっていた。


けれど、あることが正しいと知っていることと、心の中に別の声がないことは、同じではなかった。


その声は小さかった。


最初は、たまにしか現れなかった。


君の「今日、土星を見た」という声を聞いたとき。

星図の上で、土星軌道が少しずつ近づいてくるのを見たとき。

休眠から目覚め、宇宙船の中で体温を持っているのが自分一人だと気づいたとき。


その声は言った。


お前はニューショアを見られない。


新しい海も見られない。


種が芽を出すところも見られない。


お前が見たのは、古いプラネタリウムのぼやけた土星だけだ。


僕はその声を消した。


何度も。


自分に言い聞かせた。


僕は君を追悼するために来たのではない。


テラフォーマーを護送するために来たのだ。


君もこの計画に関わっていた。君なら、これが到着することを望むはずだ。


人類に二台目のテラフォーマーはない。


僕には、その権利がない。


最後の一文がいちばん効いた。


その言葉が出てくるたび、僕はシステム点検を続け、航路維持を続け、また休眠に入った。


けれど土星は近づいてきた。


星図の点ではなくなるほどに。


目覚めるたび、その光が少しずつ鮮明になるほどに。


---


本当に揺らいだのは、三番バルブのアラームが鳴ったときだった。


小さな故障だった。危険ではない。手動で校正すれば済む。


けれどアラームを聞いた瞬間、僕が最初に見たのはシステム画面ではなかった。


君のことを思い出した。


君はいつも三番バルブを確認しろと言っていた。一度、僕が本当に見落としたことがあったからだ。それ以来、君はその話を何度も僕のことをからかう材料にした。


「あなたみたいな人が、人類を救えるの?」


「向いてないと思う」


「じゃあ、まず三番バルブを救って」


僕は整備区画を開けた。


工具は所定の位置に固定されていた。表示灯が冷たい白で点滅している。僕はバルブを校正した。動きはひどくゆっくりだった。


その瞬間、はっきり分かった。


君はここにいない。


「ほら、また三番バルブだった」とは言わない。

腰をかがめて僕の手順を確認しない。

故障が直ったあと、軽く僕を蹴って「次はちゃんとしなさい」とも言わない。


船内には僕だけがいた。


何度も再生された君の声。


そして眠り続けるテラフォーマー。


校正を終え、ハッチを閉じた。


AIが言った。


「故障、解除」


僕は言った。


「三つ目を再生」


君の声が流れた。


「惑星は引き続き運行してください。あなたも引き続き運行してください」


僕はそこに立ったまま、何も返せなかった。


その日から、僕は別の航路をシミュレーションし始めた。


決めたわけではなかった。


ただ、シミュレーションしただけだ。


もしテラフォーマーが予定通り土星を離れれば、船は深宇宙に入る。三百光年を漂い、ニューショアに到着する。到着の時刻は、地球にはもう意味を持たず、僕にも意味を持たない。船は自動で眠り、自動で起き、自動で修正し、自動で投下する。春を詰め込んだ弾丸のように、僕が永遠に見ることのない場所へ飛んでいく。


もし航路を変えれば、テラフォーマーは土星に落とせる。


そのコアエネルギーは、長期の大気発光反応を引き起こせる。


土星を恒星にするわけではない。


土星はそこまで重くない。宇宙は一人の思い出のために物理法則を書き換えたりしない。


けれど、土星は光る。


一万年。


その数字が初めてシミュレーション画面に出たとき、僕は長いこと座っていた。


一万年は永遠ではない。


それでも一人の人間には、長すぎる。


一つの冗談には、なおさら長すぎる。


僕はシミュレーションを閉じた。

また開いた。

また閉じた。


AIに尋ねた。


「テラフォーマーが土星に落下した場合、人類存続確率はどれだけ低下する?」


AIは数字を返した。


僕は覚えなかった。重要ではなかったからだ。


「ニューショア改造後、第一移民船団はいつ到着する?」


「有効データなし」


「地球に移民船団は残っているか」


「有効データなし」


「地球に人間の通信は残っているか」


「有効データなし」


「地球ビーコンは?」


「送信継続中」


僕はAIの音声を切った。


船内が静かになった。


土星は窓の外で、ますます大きくなっていった。


僕は長いこと考えた。


君のこと。

地球のこと。

二千年後、見知らぬ泥を踏んで「ここは少し家に似ている」と言うかもしれない誰かのこと。


そして、古いプラネタリウムを思い出した。


君が言った。


「宇宙でひとりじゃないから」


僕が言った。


「じゃあ、僕は土星の輪になるよ」


あのときはただの冗談だった。


けれど、長く待ちすぎた冗談は、遺言に似てくる。


僕は舷窓に顔を近づけた。


ガラスは冷たかった。


土星の輪は細い白い線のように、静かに闇を切っていた。


---


航路変更命令には、三度の確認が必要だった。


一度目の確認で、システムは告げた。


> この操作はニューショア任務を終了させます。


続行を選んだ。


二度目の確認で、システムは告げた。


> この操作はテラフォーマーのコア放出方式を変更し、不可逆的損失を生じさせます。


続行を選んだ。


三度目の確認で、システムは目的の入力を求めた。


点滅するカーソルを見つめた。


君の名前を入力した。


システムは告げた。


> 人工責任確認が必要です。


僕は言った。


「僕が負う」


AIが再び音声を起動した。


「確認してください。この行為は撤回不能です」


「確認」


「確認してください。この行為は原任務の権限に反する可能性があります」


長いこと黙った。


もし君がここにいたら、きっと僕を叱った。


狂ってる、と言うだろう。

ニューショアはどうするの、と言うだろう。

そんなふうに覚えてほしいなんて言っていない、と言うだろう。

一万年光る土星なんて要らない、と言うだろう。

あなたはいつも、私の冗談を本気にしすぎる、と言うだろう。


いちばん怖いのは、君が何も言わないかもしれないことだった。


僕は誰もいない船内に向かって言った。


「君が反対するかもしれないのは、分かってる」


返事はなかった。


「でも君は言った。土星は、宇宙でひとりじゃないって」


返事はなかった。


手が震えていた。


僕は少しも平静ではなかった。


ただ、ずっと自分を任務の一部みたいに偽っていただけだった。


僕は操縦席に戻った。


「確認」と言った。


船が偏向を始めた。


---


土星の輪に近づくと、船体は氷粒に打たれた。


細かな振動が船内に伝わってきた。


小さな雨のようだった。


僕は君の三つの音声をすべて再生した。


一つ目。


「またコントロールパネルのそばにコップ置いてるでしょ。水と機械を近づけないでって、何回言ったら分かるの」


二つ目。


「今日、土星を見た。すごく小さかったけど、まだいたよ」


三つ目。


「惑星は引き続き運行してください。あなたも引き続き運行してください」


三つの声が繰り返し流れた。


君の声が船内で重なり、近くなり、遠くなった。


テラフォーマーを解放した。


銀白色のコアが船腹から離れた。


それは海水を抱えていた。

土を抱えていた。

種子を抱えていた。

地球最後の春を抱えていた。

人類が遠い場所へ送った夢を抱えていた。


土星へ落ちていった。


淡い金色の海へ落ちる、一滴の光のように。


僕はそれが消えるのを見ていた。


時間がひどくゆっくりになった。


急に怖くなった。


もし失敗したら?


もし土星が光らなかったら?


もしニューショアを壊しただけで、この葬列すら完成しなかったら?


もし宇宙が、これさえも僕に許さなかったら?


僕はコントロールパネルの縁をつかんだ。


画面の数字が次々と変わった。


コア沈降。

エネルギー放出。

大気層攪乱。

反応確立。


そして、土星の雲の奥に、一点の光が灯った。


とても小さかった。


古いプラネタリウムの日、君が初めて僕に指さした投影みたいに。


遠くで誰かが一つの灯りをともしたみたいに。


その光はゆっくり広がった。


淡い金色が、さらに深い金色へ変わっていった。


土星が光っていた。


僕は笑おうとした。


けれど、うまく笑えなかった。


AIが警告を繰り返した。


「原任務、失敗」


「ニューショア任務、終了」


「船体熱負荷、上昇」


「操縦席退避を推奨」


僕は尋ねた。


「地球ビーコンは?」


AIが答えた。


「地球ビーコン、送信継続中」


「再生して」


しばらくして、ノイズまじりの信号が流れた。


> 地球ビーコン、送信継続中。


それはまだ息をしていた。


僕はそれを聞いて、初めて泣いた。


何のために泣いたのか、自分でも分からない。


地球のためか。

ニューショアのためか。

君のためか。

自分のためか。


もしかすると、全部だった。


君の三つ目の声がまた流れた。


「惑星は引き続き運行してください。あなたも引き続き運行してください」


僕は答えなかった。


自分がまだ運行するべきなのか、分からなかったからだ。


船はすでに不可回復軌道へ入っていた。AIは損傷、温度、燃料、構造応力を報告し続けた。僕はすべての警告を切り、外部観測映像だけを残した。


土星はますます明るくなった。


その光は燃焼の激しさではなかった。


もっと遅く、長く、取り消せない反応だった。


ふいに、古いプラネタリウムに座る君が見えた。


あの古いマフラーを巻いて。

少し乱れた髪で。

瞳の中に土星の光を宿して。


君が言う。


「宇宙でひとりじゃないから」


僕は言う。


「うん」


船が熱を帯び始めた。


金属の縁に金色の光が浮かんだ。


僕は椅子に背を預けた。


君の声はまだ繰り返している。


「今日、土星を見た。すごく小さかったけど、まだいたよ」


窓の外を見た。


今はもう、小さくなかった。


土星は光っていた。


一万年、光る。


僕は目を閉じた。


さよならは言わなかった。


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