幕間 家族の刻 暖かな時間(2)
そんな前騎士爵家当主を見詰め、真剣な表情で言葉を紡ぐ彼の末息子。 何も心配する事は無いと、自分には『責務』が有り、その『責務』を十全に果たす用意が出来ているのだと、言外に伝えつつ、言葉を紡ぐ。
「父上。何事も、やらねば成らぬ時は有るのです。そして、その任務に耐えられる様に兵を養い、錬成をし、鍛錬を積み重ね…… お判りでしょう?」
「事情が違い過ぎるのだよ。既に決してしまった事にとやかく言うつもりは無い。ただ、私の望みを聴いてくれるか?」
「はい。何なりと」
「私より先に、『誉れの宴』に参加するな。 貴様が…… 爺との約束を果たす前に、私から爺に事情を聴いてもらう。 ……その上で、爺に怒られる事だ」
「成程…… 難しくは有りますが、可能な限り」
「何かを背負っているのは判っている。現騎士爵との間に、何やら密約すら有るのだろう? それも、国からの命とも言えるモノが。 故に、貴様に足かせを付けてやる。 貴様が死地に飛び込まんとする時、私が先陣を切ってやるからな」
「それは……」
「騎士爵家の当主として在った私の矜持だ。 私が出張る事が無き様に希望する」
「心得ました……」
そんな事を云っても、この何処か浮世離れした末息子は、暴走するのだろうなと前騎士爵は嘆息する。しかし、心に楔は打った。 一人の辺境の『漢』である前に、可愛い末息子なのだと、そう言い切ったと云っても良い。少しでも、後に残されるモノを思えば、無茶は抑えられるのではないかと…… 祈る様な思いで、末息子を見詰める。
―――
苦笑いと困惑とが共に浮かんだ前騎士爵家当主の末息子。 『騎士爵家が三男』の背後から気配が浮かび上がる。 その気配の人物は、ふわりと纏った認識阻害術式を昇華する。【隠遁】と【隠形】を解いた小柄な北部王国軍の戎衣に身を包んだ女性兵士。 確固とした足取りで、彼女は歩み出る。 長い筒状の”モノ”を肩に掛けた彼女。 周囲に流れるように這わせる視線に、寸刻の油断も感じられない。 上級女伯にとっては、急に現れたようにも感じるだろう女性兵は、物怖じしない言葉をその口から紡ぐ。
「ご安心ください、先の御当主様。 指揮官殿は最前線には出しません。 たとえ、それが騎士爵家が家に生まれし漢の『在り様』であろうとも、探索隊の面々はそれを許容する事は有りませんのでご安心を。 射手隊を率いますわたくしは、中、遠距離索敵を実施し、脅威となるべきモノを早期に発見し、行軍の進路を見定めます。 脅威に関しては、長距離ならば射手隊により狙撃、中、近距離ならば猟兵部隊の精鋭が必ず御守いたします。 御誓約申し上げます」
堅い表情と断定的な口調。 何よりも、碧緑の瞳に浮かぶ紅輪の輝き。 強い意思の光。 『護りたい』…… では無く、『護るのだ』と云う、強い意思の表れ。纏う戦意は歴戦の古強者と同じ。 その気迫に、指揮官は当惑を隠せない。 民を護る事、未知の道行を切り開く事。 その事に『矜持』を持っているのは理解しているが、指揮官先頭の伝統をここまできっぱりと否定されるのは、少々面白くない。 ”言わずもがな”の言葉が口を突いて出てしまった、それは公人としての指揮官と云うよりも、愛する妻を前にした夫の言葉でも有る。
「射手長…… いや、『我が佳き人』。 護られてばかりでは、私が困る。危険を避ける事には善処するが、我が矜持も考えて欲しいな」
「いえ、指揮官殿が堕ちれば、『探索隊は全滅』は、必至なのです。なので、最後の一兵に至るまで、付き従い全力を以て指揮官殿をお守り申し上げるのです。指揮官殿の生存は、探索隊全員の生存戦略でも有るのです」
「……困ったな。 ……分かったよ。 ……父上、兄上、上級女伯家女婿様。 この人が、私の『善き人』です。共に戦場を駆け、共に困難に立ち向かい、共に生き残る事を誓った者。 少々、頑固なところが有るのですが、なかなかどうして、気概と誇り高き者なのです。 ……どうか、お見知り置きを」
ニヤリと黒い嗤いが前騎士爵家当主と、現騎士爵家当主の頬に浮かび上がる。中々に強情そうな精兵だと、その瞳が語る。頷きつつ、彼女に語り掛ける二人の武人。 正に、彼女の態度と言葉は、男達の琴線に触れたのだ。 自身がそうであるように、妻を愛し護り抜きたいと心に誓った、辺境の漢は何処までもしぶとく強くなるのだ。 それに、帰るべき場所となった、指揮官の妻は戦場に共に征くと云うのだ。 剛毅さと、繊細さ、何より未知のモノに対する強い姿勢を男達は、この上なく善きモノだと感じたのだ。
「愚弟の事、宜しく頼む。 君が側に居てくれることが、愚弟の幸せと云う事なのだからな。愚弟の『命の綱』である事は見て取れた。 頼んだ」
「末息子は馬鹿なのだ。 馬鹿に付き合せて悪いと思う。 先程の願いは、君に託そう。 この馬鹿を、年長の者よりも早く『誉れの宴』に参加させないでくれ。 ……頼んだよ」
武人達の諧謔味を含んだ苦い笑いは、”やはり三男もまた『辺境騎士爵家の男児』なのだ” と、そう理解した結果だった。 辺境の漢達は、秀でた能力を持つ女性を、とことん愛し抜く気質なのだ。 代々の騎士爵家の漢達が受け継ぐ気質でも有るのだ。 本来ならば…… 並みの貴族家の者ならば、『差し出口』を挟むな…… と、怒鳴りつけるような事柄も、末息子であり、末弟である『辺境の漢』は、苦笑いと共に許容しているのだ。
――― 善き哉 ―――
心の中で、喝采を叫ぶ、騎士爵家当主と、前騎士爵家当主。 何処か老成し達観したかのような漢にとって、射手長の様な女性は正に妻として余人に代えがたい人格を有していると、そう思っていた。幾分苦笑いの成分は含んではいたが、妻女たちも射手長の言葉を嬉しく想いながら耳にしていた。
そんな三人の漢達の様子を、これまた苦笑いを以て鷹揚に受け入れたのは、騎士爵家次男として生を受けた漢。 北部辺境域筆頭騎士爵家の家族にとっては、貴族的な儀礼を無視したとしても、咎めることは無いのだ。 この部屋の中でこの事実を、受け入れ辛く思うのは、上級女伯だけであった。
――― 騎士爵家の次男と云う立場に立ち返ったかのような上級女伯が配は、闊達に言葉を紡ぐ。
「さっそく尻に敷かれて居るのだなッ! ハハハッ! 奇才を持つ貴様でも、『愛する者』には敵わぬのか。騎士爵家男児としては、そうなって当然だ。 そうだな、貴様も勝手に死ねぬ、身となったのだ。 嬉しかろう?」
「次兄様…… それは……」
「いや、いいのだ。 指揮官先頭は騎士爵家が誇り。が、兵がそれを許さぬと口外する程に貴様は敬愛されているのだと云えるのだ。 喜ばしい事だ。 実に喜ばしい。 ……故に、貴様には『箴言』を与える」
「はい……。 何なりと」
「貴様の行動一つで兵は死ぬ。確実にな。 慎重に慎重を重ねよ。 貴様を慕う、貴様の大切な者を失いたく無くばな」
「それは、もう、肝に命じております」
「ならば、良いのだ。 強固な信頼と絆は、部隊全体の能力を向上させる。無謀と勇気を取り違えるなよ。貴様が征く道は、果てしなく険しく危険なのだからな」
「元騎士爵家が主力部隊、実戦指揮官殿の御言葉しかと」
「なに、もう随分と昔の事だよ。 此れからは、上級女伯家が領軍を鍛えて行こうと思うのだ。何が在っても、対処できるようにな。 たとえ、貴様がヤラカシテも、『魔の森』内の拠点に駆けつける事が出来る位にはな」
「次兄上……」
上級女伯が配は、朗らかに笑い…… 目を細め、自身の妻を見る。 護るのだと、そう目は語っている。 自身が出来る事を出来るだけと。 相応しく等とは、もう考えない。 騎士爵家に生まれし『漢』なら、そうであるように、良き人を愛するまでだと、心に覚悟を持った男の爽やかな笑みだった。 ……上級女伯もまた、その視線に気が付き、頬を赤らめる。
――― 明け透けな、家族の会話。
中央の貴族の家庭では見られない、不作法とも云える礼法を忘れたかのような遣り取り。 しかし、上級女伯は、強く憧れていた暖かな『家族の肖像』が、其処には厳然として存在していた事に、心が浮き立つような感覚を覚えていた。
――― 強い絆を持った家族。 その中に自分も含まれていると云う心地よさ。
実父母を失ってから、ようやく得た『家族』の愛。 手放したくは無いと、心の底からそう思った。 ……思ってしまった。 騎士爵家が三男に対しての監視任務など、もうどうでもよくなった。 彼に関しては宰相府からの手出し無用との通達も有る。 半ば、王太子妃の下から出奔したかのような上級女伯は……
帰るべき場所、護るべき場所を見つけたような気がした。この温かい家族の愛こそ……
此れこそが、北部辺境の在り方なのだと…… そう、心の中で確信し、慶びに打ち震えた。
せーの 本日発売!!!
皆様の御手許に届く事を夢見て!
楽しんで頂ければ、幸いです!!
龍槍 椀 拝




