幕間 北部辺境域 筆頭騎士爵家
――― かつて、あの場所は『森の端』の邑だった。
騎士爵家の支配領域の中でも、それ程重要視されている場所では無かった。 時は巡り、状況が変化した事により、邑は巨大な城塞都市となるべく礎を築き始めた。 壮大とも形容できる城塞が、城塞都市の北側に聳え建つ。 いずれ、四方を囲む巨大な城塞都市となる事は、その都市を領都とする北部辺境伯から公告されている。
都市の基盤が定礎され、北側の城塞が一応の完成を見た事により都市の御披露目の為と思われる、北部辺境伯から招待状が送られて来たのは、ようやく辺境に穏やかな日々が訪れた時であった。 現騎士爵家当主と、前騎士爵家当主は、その招待状を受け取った後、家族を執務室に呼ぶ。勿論出席の意向では有るが、少々招待状の文言に違和感を、感じた為でもあった。
「父上、コレはどういった意味でしょうか? 新部隊の閲兵式として『ご招待』して頂いておりますが、北部王国軍の事で、直接北部辺境伯が主宰する事に、少々疑問があります。 本当の目的とは、北部辺境伯領『領都』の披露目でしょうが、それにしては『中途半端』な時期ではないでしょうか?」
「ん。 確かに、そうだな。まだ、大部分が完成した訳ではないし、軍部系の建物の主要部分が出来上がったに過ぎない。 北部辺境伯様の居城に付いても、縄張りは引かれているが、完成までにはまだまだ時間もかかるらしい。 官舎や政務関連の建物は既に完了して執務も始まっていると聞くが、『領都』の御披露目としてはどうなのだろうな」
「民の建物や教会の聖堂の方は既に完了していると…… そう、聞き及んでおりますし、多くの家も作られているとか。 都市としての基盤整備は、王宮魔導院の魔導士殿がその絶大な力を用い早々に立ち上げていたとか…… ですが、『領都』の御披露目と云うには、あまりにも……」
「あの方は、本当の意味で新部隊の閲兵式に我等をご招待して下さったのかも知れんな」
「つまりは…… アレですか」
「朋といって憚らない、我ら騎士爵家の末児が任官だ。 精一杯、見栄を張らして下さるのだろう」
「そうですか……」
現騎士爵家当主の瞳に思慮深い光が灯る。 末の弟の秘匿された「王命」を彼は知って居る。 父親には告げられない、様々な事情も彼の頭の中には存在する。 全てを勘案し、一つの結論を得る。 “ 考えたな、北部王国軍と北部辺境伯閣下は ” 。 騎士爵家が末児に課された「秘匿された任務」は、どれ程の時間が必要か分からない。 新たに叙爵された北部辺境伯家の当主が『朋』と呼ぶ漢で在り、北部王国軍総司令次席の職位を持つ者が、表に出てこないとなると、相応の理由が必要となる。 中央の王国軍そのものが何かと騒ぎ立てるやもしれない。
末弟の不在を『二重の意味』で、理由付けする為の策謀と看破した。 さらに、騎士爵家が次男である弟…… 上級女伯家が女婿たる漢にも、この招待状は届いているとの事が、その考えを強固に固めるに至る。
上級女伯閣下は、王太子妃の懐刀とも云える方。 尊き方が『姉妹』として認識しておられ、王太子妃の心強き側近とも云える。 なにやら、急に王都から帰還されたと云う事実は、困惑を覚えるが、まだ弟からは何も聞いていない。 自身の立場の危うさを看破し、極めて抑制的に上級女伯家にて蟄居に等しい状態となっていた弟は、離縁も視野に入れていた筈だったが、今はその事に付いての続報も入って居ない。
――― 何かが大きく動いたと思えるような事ばかりだった。
それにもう一つ。 今の騎士爵家は、北部辺境伯家にとっては、絶対に手放せない位置に居る。 辺境伯家だけでは無く、北部王国軍にとっても要とも…… 丁寧な招待状の意味は、その事実が浮き彫りになっているとも言えた。 騎士爵卿は、父である元騎士爵卿に言葉を紡ぐ。
「父上、騎士爵家の支配領域に於いて、王国軍の新兵錬成に力を割いて頂いております事も、関係あるのでしょうね。 これは、父上に対する敬意の表れとも取れます」
「まぁ……な。 あちらは、『魔の森』浅層域の治安を守る事が出来るだけの兵力の維持で精一杯なのだ。 我等が支配領域にて、『魔の森』に対応出来る兵を養い供給する事は、ひいてはこの北辺の安寧に繋がる。 新兵の練兵を請け負ったのは、この地に於ける我等が騎士爵家の責務とも云えるのだ」
「分かっております。 精強な対『魔の森』兵は、末弟が考案した練兵軍法を用いると、早期に強兵を錬成出来るのですからね。 そんな新兵達を北部王国軍に供給するのは、我等が矜持でも有りましょう。 その点を高く評価されておられるのでしょう」
「領都が完成し、北部王国軍に余裕が出来るまでは、兵の下支えは我等が遣り切らねば成らぬ事柄よ。 『責務』と云っても良い。 それが、北部辺境に暮らす我等の安寧に繋がるのだ。努々、疎かにすることは出来ない。 それと、我妻らが差配する『北部政商』と云う立場もある。 貴様の妻も大層、精通し努めていると妻に聴いている。 それも…… ご丁寧なご招待の裏側に有る事柄なのだろうな。 あちらの政務官は目端が利く。 取りこぼす事は無いし、此方を軽んずることも無い。 が…… 安穏とは出来ぬな」
「政務官殿等は、此方を良く学んでおられますが故…… ですね」
「あぁ、その通りだ。 心せねばなるまいて」
父子の言葉をただ黙って聴いていた妻女たちもまた、その言葉に深く頷く。 自身の家名が一旦途絶え、北部辺境伯により再興された事は心より感謝申し上げねばならない事。 が、それもまた、彼の北部辺境伯家にとって死活問題となる事でも有った。 利と利の間に有る「落とし所」と云う事もまた、貴族であれば理解出来ようもの。故に騎士爵家としては、北部辺境伯には恭順の意を顕わにし、彼の方の要請や招待には『絶対』に応えねばならない。
貴族の貴族たるは、安寧を民に齎す事だけに非ず。
国家を運営し、国力を増し富国に努めねば民の安寧など夢のまた夢と、高位の貴族達は肌感覚で知って居る。 この倖薄き北辺では、その感覚が『騎士爵家』という最下層の貴族の者達が共有する感覚でも有った。 一度、驕慢に傲慢に民を支配し、搾取するならば、その倖薄さにより自身の生存迄脅かされるのは、代々続く北辺の騎士爵家に連なる者達の血肉となって継承されている。 民を愛し、郷土を愛し、家族を大切に護り、受け継ぐ誇りと矜持は、王侯貴族の貴種貴顕となんら変わりはない…… 筈でもある。 倖薄き土地柄故、強烈に魂に刻み込まれた『矜持』と云えた。
「さても、さても、我が末息子は恐ろしく重用されていると、改めて認識させられた」
「北部辺境伯様の矜持や誉れよりも、末弟の立場を韜晦する為に挙行される閲兵式を本命とされるのです。 おそらく……」
「『魔の森』の脅威を、如実に感じられ、その脅威に対処する方法を編み出した末息子の能力を高く評価している…… のだと、思う。 が、所詮は北辺騎士爵家が三男。 中央の貴種貴顕の方々にとっては芥も同じなのだろう。 軽く見られる事は、北部辺境伯閣下にも容易に想像が出来ような。 そして、身分の軽さ故に、利を求め何かしらの手練手管を弄しようする輩が出るやもしれぬ」
「……よって、只人である中央の貴種貴顕や、力持つ軍務関連のモノ達、それらの意を受けた者達が手出しできぬ場所へと送り出した…… のでしょうな。父上、末弟は何処まで人を誑し込んだのでしょうか?」
「言い得て妙だな。 『誑し込む』か。 アレの本心を知れば、その崇高な思いや、『郷土』ひいてはこの国を愛する心に突き当たるのだ。その想いをどう使うのかが…… 中央の者達の関心事ともなろうな。 末息子を王都の魔法学院に向かわしたのは、善き事だったのだろうか」
「善き事ですよ、父上。 あの地に於いて、末弟は北部辺境伯閣下と友誼を結びました。 様々な自身の力を伸ばしました。 そして、仮初とは言え、この地に安寧を齎し続けております。 勿論、国王陛下や宰相閣下も大変大きな庇護を与えて下さいました。 『魔の森』浅層域を丸ごと王領と定義し、その太夫に北部辺境伯閣下をして任じられたのです。 この事実に、我等北辺に棲まう者達は、大恩を感じ国王陛下の藩屏たるを自認するのは然るべき事柄なのだと、そう思います」
「そうか…… 貴様は、既に騎士爵家が当主となったな。 その心根、決して忘れる事は許さぬ。 王国の藩屏たるは、貴族の末席を穢す我等が唯一の矜持。 その矜持を忘れるな」
「承知しております。 この倖薄き地に於いて、我等が成すべきを成す。 それは至極当然な事柄でも有るのですから。 さて、このご招待を受けるにあたり、街の防御はどうなさいます?」
少々、思案のしどころでも有る。 万が一を鑑みれば、街をもぬけの殻にするは、如何かと思う前騎士爵家当主。 が、招待を辞退する事は出来ない。 分家の者達の中で、目を掛けている者達も居る。 老兵とも云える彼等は、この何もない北部辺境域に途轍もなく愛着を感じてもいる。 暫く思案に耽った前騎士爵家当主は、その碧緑色の瞳に光を浮かべ、淡々と言葉を紡ぐ。
「分家に暫し任せるが良い。 アレは、この地を愛している。 万が一の場合には、練兵中の兵を率い街の民を逃がすだけの才覚は備わっている。 策は色々とな…… 授けてある。 連綿と続いた、我等が騎士爵家の在り方が問われているのだ。 なに、準備は怠って居らんよ。 それにな、次男が元に居た漢達も帰っている。 次男が云うには、『彼等の力が最も発揮できる場所へと返して遣って欲しい』とあった。ならば、矜持と共に生き抜く場所は『魔の森』と騎士爵家支配領域。 鍛えられていたぞ、あの者達は。 合力させる」
「父上は、身内に甘いですからな。 いや、しかし、その甘さが『父上の度量』と云うものを醸し出しているのかも知れませんね。 素直に頭を下げる、偉大なる北辺の守護者。 父上が一言『頼む』と言葉を紡がれたならば、分家筆頭ならばこれに完璧に応えるでしょう。 そういう質の漢なのですからね。アレは。 分かりました。 手配は私の方から。 根回しは父上が」
「ふむ。 貴様も喰えぬ漢になったな。 頼もしい。 不甲斐ない私には過ぎたる『三つの宝』が有ると再認識させられた。 では、行動に移す」
「承知。 母上も君もいいね」
嫣然と微笑む二人の女性。その眼に信頼を乗せ、軽く顎を引き「了承」の合図を送る。 そう、既に家族の間には、言葉は要らない。 妻たちは、子供たち孫たちに、北部辺境伯閣下の領都を見せる事に深い満足を覚えても居た。 何より、子供達に誇るべき叔父が存在する事を強く心に刻み込む事を望んでも居る。 彼女達の了承は当然のモノでも有った。
―――― § ―――――
北部辺境伯閣下が元に参じる前…… 上級女伯家よりの書状が届く。 家族皆で心配していた、実弟の現状と立場。 その書状により、実弟の立場が確立し、本当の意味で上級女伯様と夫婦に成れたのだ、安堵した。 後顧の憂いは無くなった。 晴れ晴れとした気持ちを掲げ、頭上げ、誰に憚る事も無く、上級女伯領を経由し、矜持高く北辺の領都へと……
―― 彼等は出立した。
あと二日!




