禁忌の制約を躱す。
その日の内に、護衛を兼ねた我が佳き人と『砦』に赴いた。
勿論、北部国軍総司令閣下のご許可は戴いている。組織の一員となった私は、思い立って直ぐに行動する事は出来ない。が、周囲の高位高官の方々は、私の自由度を最大限認めて下さっている。懲罰的な内勤状態ではあったが、その任務は全うしている事も、私の突発的行動を容認し、ご理解して頂けた理由であろう。『魔の森』へ足を延ばす事が無いとなれば、私の申請を無下に断る事が無かったのだと思う。
魔の森の「探索」とは、密命とはいえ王命でも有るのだ。その為に必要とあれば、私の ”『砦』に出向きたい ” との申請も御裁可頂けたのも頷ける。 危険度が無きに等しいならば…… と、思われたのも有る。 危険度といえば、何が起こるかは分からない『古代魔導術式』に向かい合う事は秘匿して置いた。 そちらの方は、『朋』である王宮魔導院民生局分局の管轄で在り、朋が『是』と云えば、『是』となるのだからな。
――― ☆ ―――
空は高く晴れ渡り、『砦』への道は何の障害も無い。街道を行き交う荷馬車も、森の端の以前の状況を知る者からすれば、驚くほど多い。この北辺の更に北の端。 そんな辺境に多くの人々が集まってきている。 農地が開墾され、領都の人口が増え続けている現在、街も形成されつつあるのだ。彼等が住まう家々も、街に付随する商家も組合会館も教会も…… 先を競うように建てられている。 皆が笑い暮らせる場所となる事を切に願う。
領都から、『砦』に出向くと知った、北部辺境伯家の使用人達が私に『朋』の領都邸への帰還を進言する様に懇願された。 ” あの御姿は、あんまりです。 是非、お世話しなくては成りません ” との事。 朋は…… 何処に行っても人気者なのだなと、一人苦笑する。
『砦』は、司令部と遊撃隊の面々が去った後、朋により研究施設と魔道具の量産施設に変わっていた。いや、王宮魔導院民生局分局の本拠地と云っても良いか。辛うじて私の研究室は残してもらえた。 と云うよりも以前と比べ、強固な結界が張られ私の許可した人物以外入室出来ぬ程、警備警戒されていた。
そんなに警戒しなくても良いのにとは思う。 煩雑な入室手順がとても面倒だった。 やっとの事で、我が佳き人と私の研究室に入室できたのは、その日の夕刻。 ほっと一息を吐いていると、朋が三十六席を伴い遣って来た。
「貴様も逃げて来たか?」
「いや、まぁ、考えを纏める為には、こちらの方が良いと判断した」
「なにか、また突拍子もない事を考えたか」
「朋よ、一つ聞きたい」
「なんだ?」
「貴様は、古代魔導術式は『禁呪』指定だと云った。すでに封印してあるともな。だが、探索行に於いては、その封印を破っても構わないか?」
「…………また、厄介な事を云う。 まぁ……な。 あの場所では、現有しているモノをすべて動員せねば成らんと云う事か」
「古代の知識と知恵。 それが、突破口に成るとそう思っている。我が佳き人の言葉でも有るのだ」
「貴様の最愛の? ほう…… どういう事だ?」
「あの濃密な空間魔力が顕現する前、古代エスタルが隆盛を極めた時、彼の地でも空間魔力はそれ程濃くは無かったと思われる。文明が崩壊する前は、空間魔力を制御出来ていたのかも知れないと」
「成程、そう来たか。 連綿と続く我等が紡いだ『人の歴史』から、推察したか。 故郷への望郷の念は、なにも私達が持つ特殊なモノでは無いと。古代エスタルが民も、故郷を離れなくては成らなくなる迄、努力を重ねていたと」
「あの隧道が良い例でもある。 故に…… 禁呪を解放して欲しい」
「…………」
深く悩み込む朋。それほど危険な術式なのだと、改めて認識する。 誓って言わねばならないな。 それを使うのは探索行だけだと。それ以外には使用しないと。 頼む、諾と云ってくれ。控えていた三十六席が、言葉を紡ぐ。
「局長、この部屋の中で紐解くのであれば、宜しいかと具申します。ここは、相当強固に結界を張り巡らせております。外からの観測も不可視の術式を何重にも掛けておりますが故、覗く事すら出来ませんし、【防音】も【隠匿】も重ねております。王都の王宮魔導院でもここまでの結界は張っておりますまい。外に漏れる事は無いと思われます」
「三十六席…… コイツはな、時折トンデモナイ事をヤラカスのだ。 我が生家の特異点も斯くやと云う程にな。 ……仕方ないか。 貴様の研究室に入室できる者は、以後、貴様と、貴様の妻の二人だけだ。それしか許可できない。 人員の全てと思って呉れ」
「つまりは、私だけでやれと? 三十六席の知恵、貴様の豊かな才能も必要と思うが?」
「貴様の研究室は、貴様の他、誰にも手出しはさせない。 が、その他の部分では、私が差配している。 機密の保持は怠っては居ない。 結果のみを知らせて呉れれば良いのだ。 それに、此処は謂わば王宮魔導院民生局分局の本拠地とも云える。 その長は私だ。この『砦』に於いて、私の意思は最優先と成るのは貴様も了承したでは無いか」
「あぁ、したな」
「ならば、私が首を突っ込む事は織り込み済みでは無いのか? 今更だ」
「有難い。 ならば、始めようか……」
「古代魔導術式を研究するのは良いが、使うなよ?」
「善処する」
私の研究室は、私の思考の場でも有る。 つまりは、私の頭の中を曝け出したようなモノ。 雑多で纏まりも無く、それでいて前世の記憶の産物があちらこちらに置かれている。この部屋を見て理解出来る者は、私の頭の中を理解出来る者であると断言する事すら吝かでは無い。 そんな研究室を一瞥した我が佳き人は、この部屋を私がどれだけ大切にして来たかを見て取った。
「私は難しい事は判りません。 ただ、この部屋には貴方の思いが詰まっていると、そう感じます。 だから、この部屋に関しては何も手を出す事はしません。けれども、心配でも有ります。 没頭すれば時間を忘れ、寝食を忘れ、全てを投げ出してしまいかねません。 私の役割は、そんな貴方の身の回りを整える事ぐらいでしょうか。 以前は、騎士爵家に於いて下女として働いておりました。厨房方も洗濯方も一通りは習い憶えております。 存分に研究して頂ける様に、努力いたしますが、命を保つ時は測らせて頂きます」
「そうだね。 行き過ぎてしまえば、何も成し得ず斃れるかもしれないからね。 分かった。 君の言葉には従うよ。眠れと云うなら眠るし、食べろと云うなら食べる。頼んだよ」
「お任せください。 『砦』は私の家でも有りました。 何が何処に有るかは、知っておりますから。 この研究室以外の場所で、色々と致しますが『私が必要』と有れば、いつでも御呼び下さい」
「あぁ、理解した。 すまない」
「皆の事を思い、成すべきを成す。 貴方はそういう人なのですから」
微笑みと共に、彼女は『砦』の中に消えて行く。 遊撃部隊の時から、休暇や時間の有る時は通信室の寡婦たちと交流を持っていたのは知って居る。彼女達から様々な教えを受けているのだ、心配はしていない。 早速洗濯方へ向かうようだった。 私から見れば、男所帯であり機密事項が多いこの『砦』に於いて、侍女や下女など居ないのだ。 朋は見た目は女性だが、実質漢と変わりない。 何日かに一度、領都に出向き北部辺境伯家が雇用した侍女に悲鳴を上げさせているとも聴いている。 まぁ、そうだろうな。 朋も時間を忘れ没頭するのだからな。身形など気にしない。
さて、役割は決まった。
朋は自分の研究室に、三十六席は執務室に戻り、私が持ち帰った幾つもの古代魔導術式に付いての検証を始める事となった。時間は夜半。辺りは静まり返り、微かに魔石粉、魔晶粉を擦っている巨大石臼の稼働音が聞こえている。集中できる時間と場所であったとも言えた。三十六席は、古代魔導術式の幾つかを、私達の知る魔法術式に既に落とし込んでいた。 それをまず検証の対象とした。
古代魔導術式の体系というか、思想と云うか、そういった根本的な部分を、彼は理解する様に努めていたと云える。
私自身、輜重長に教えを受け、色々と弄ってはいたが流石王宮魔導院に入職していただけあって、三十六席の知恵と知識と考察力は瞠目に値する。基本的な解析を成すには、彼の能力なしに達成するには、膨大な時間が必要であっただろう。全く未知の言語を対訳するが如く、各種の断片からその魔導の大枠を見つけ出し、検証し、実践に持ち込む手腕は、驚く程であった。
私も負けてはいられない。
第三十六席が齎してくれた『知恵と知識』を携え、私は自身の研究室に籠る事となった。




