嚥下したのは、気遣いの『毒』
我が佳き人は……
私が語った、荒唐無稽な話を笑いもせず聴いてくれた。 そして、その戯言とも云うべき話に対し、真摯に向き合い彼女自身の心情を伝えてくれた…… この奇跡に感謝せずには居られない……
「貴方に………… この世界に生まれ直す事を命じた神様へ、感謝を捧げたく思います。 私達北部辺境の民へ『明けの明星』を遣わせて下さった事に、無限の感謝を申し上げたいのです。 指揮官殿が遊撃部隊を率いるようになってから、兵の死傷率は劇的に低下しました。 装備装具を改め、森の動向を即時性を以て掴む可能性を現実化されました。 今も通信室はこの城塞砦に移動して稼働中です。 森の状況は逐一報告されるのです。
つい数年前と比べても、それは大きな違いです。森に生活の糧を求める狩人達の安全も格段に向上しております。 お、お父ちゃんみたいな人が一人でも少なく成れば…… 私は喜んで、指揮官殿の手足となります。 そんな貴方を、この世界に招いて下さったのです。 いくら感謝しても、足りると云う事は御座いませんよ」
「……この途方も無い話を聞いて、不審には思わないのかい?」
「ある意味…… 合点がいきました。時折、貴方が遠くを見詰めておられる理由がわかったのですから。この何もない北部辺境の倖薄い故郷では無く、魂が求める故郷に呼ばれていたのですね。 ……でも、放しませんよ? たとえ神様が、貴方に…… 貴方が居た世界への帰還を命じられても、私はそれに『否』を唱えます。 もし、『絶対に』と云われるならば、私も付いていきます」
私が不退転の決意を以て、今の人生を歩んでいると同様に、彼女もまた心に礎として、強く硬い意思を持っていたのだ。 驚くほかない。 私と共に在ろうと…… 魂だけの存在となったとしても、常に側に居たいのだと、そう告げてくれた。 これ程の想いを抱えていたとは、思わなかった。
深い、深い『愛情』と云うものを、私はこの時初めて見せ付けられたと云える。 深く重い、私に対する愛情なのだ。
前世に於いて、切望した形無きモノ。 憧れ、望み、そして、絶望と共に諦めてしまったモノ。 それを、彼女は私に捧げてくれているのだ。 向き合い、互いを知り、初めて吐露した彼女の心根に、私は震えた。
「強い思いなのだな」
「私は欲深い女ですから。 手に入れた物は絶対に離しはしません。 ” いついつまでも、何処までも ” と、誓った私の言葉には、嘘偽りは含まれておりません」
「心強いな。 ……私も君と別離するつもりは無いのだから、神の御意思がどうであれ、我等二人を分かつ事には成らないよ」
「そう在って欲しいです。 あぁ、なんで…… こんな事を、私は…… どうして、口にしてしまったのでしょうか………」
急に気恥ずかしくなったのか、パタパタと手で顔を仰ぐ彼女。 彼女はきっと、公言する事は無いと思っていたのだろうな。 その心情もまた、私は理解できる。 望みを口にする事は、思いが拡散する……
前世に於いて、悪意を以て私に対していた者達は、私が望む事を潰す事に歓びを感じていたとしか思えなかったし、意識的、無意識的にその様な事をする輩は、掃いて捨てる程居たのだからな。
想いを口にする事、すなわち、禍を身に引き寄せる事。
そう確信していた刻も有るのだ。 望みを口にし、その望みをすべて取り上げられ、無為に生きるしか方法が無かった老人の魂は、現世に於いてすら、思いを口にする事を少なからず忌避していたのだからな。 そう、『私の本懐』を知る者は、少ないのだ。
「胸襟を開き、君の素直な気持ちを聴けて私は嬉しい。 そして、君の気持ちを大切にしたい。 我が魂と、敬愛する故郷に誓うよ、君と共に生きていくと。 この北辺の厳しい土地と共に、君を守り、生きていくとね。 ただ、不甲斐ない私は、君を安全な場所に置く事は出来ないのだよ。 それだけが申し訳なくて……」
「貴方、それは最初から分かり切った事です。 不甲斐ない事は全くありません。 言葉を交わし、心内を見せて頂けた事が何よりも嬉しくあります。 だから、気に病まないでほしいのです。 貴方と何処までも御一緒するのは、私の本懐ですもの。 もっと、深く貴方を知りたいと、そう思うのです。 欲深な私からの願いです。 だから…… 」
我が佳き人の瞳が妖しく光る。普段は絶対に出ない、妖艶な雰囲気すら漂わせている。葡萄酒の酒精により、いくらか赤らめた顔。瞳の油膜はいよいよ厚く…… 情念の揺らめきを見せている。私も感情が高ぶって来るのは自覚していた。この葡萄酒を呉れた時に語った、朋の言葉を思い出していた。 月の光はいよいよ、冴え冴えとした霊光を以て、私達を包み込んでいた。 さらに、優しい彼女の内包魔力が私達二人を包み込んで行く。
その時が来たのだと、私は理解した。 朋の言葉が頭の中に木霊する。
“ ……心の許すままに妻女殿を愛してやれ。貴様の最愛は『その愛』に、きっと応えてくれるだろうからな ”
アイツ…… 一服盛りやがったな。 まぁ…… そうか。 そうでもしないと、私達の間にある、精神的な不可視の壁が二人の進展を阻害すると踏んだのか。 『天才』の考える事は極端だ。 しかし、感謝すら覚えるのは…… 私が『意気地なし』で、『木偶の棒』だからだなのだろう。
こんな私に、神様は『月の女神』を恩寵として授けて下さった。
その神様が、私をこの世界に墜とした神か、この世界を司っている神様なのかは分からない。 だから今の私は、只々神様への感謝を捧げるのみ。 曝け出した心情と秘密を、彼女が受け入れ、そして、そんな私を、”丸ごと” 愛して呉れたのだから。
降り注ぐような月光の中、二人の影は重なり、交わり……
歓びに満ちた時を
月の光が消えゆく朝まで
刻む事となった。




