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ゆるり、ゆらりと、前世は廻る。


 私室に於いて、夫婦たる私達が口にするのは、互いの心情。 酒精が程よく廻り、体を温め、口の滑りを良くしてくれた。 語り始めるのは幼き頃の思い出。 二人の『思い出』からだった。今も彼女は歯の抜けた木製の櫛を大切にしている。 紛れも無く、それは彼女の宝物であった。婚姻に際し、なにか贈物をと思っていたが、彼女は言う。


 “ 私には過ぎたる物は必要ありません。 兵として指揮官殿に付いていく私には余分なモノを携帯する余力はありません。 ――― それに、私は、既に指揮官殿から特別なモノを戴いております。 ”


 そう云って、その『木製の櫛』を私に見せて来た。 余りにもみすぼらしく、安価なモノでは有るが、使い込まれたそれには、『記憶』 と云う付加価値が、積み重ねられていると見て取れる。 そして、続けて彼女は言う。


 “ コレは、私が私である為の拠り所であり、私が『人』として立脚する原点(・・)でもあるのです。あの日、貴方に出逢わなかったら、森に骸を晒していたでしょう。 物知らずな、狩人の娘。 世界も知らず、人の温かさも知らず、獣のように森を彷徨う、そんな者と成っていたでしょう。 だから、感謝を。 私を人たらしめた、あの出会いに ”


 その「木製の櫛」は、私の記憶には薄っすらとしか残って居ない。魔道具師になった市井の友達が『母君の贈物』にと仕事の細やかな『櫛』を買った時に、店主が何故か私に呉れた物だったか。 その櫛を取り出した彼女は、おずおずと話を始める。 椅子に腰かけ、眼下に広がる領都が作り上げられつつある街並みを視界に収め乍ら、彼女は子供の頃を語り始めた。


「私は森の端の邑の住人でした。 それも、森に隣接した邑の端に住んでました。 子供の頃は友達も居らず、ずっと父に連れられ、森の中で薬草の採取をしてました。母は素人薬師でしたので、薬の素材を求め彷徨っていたと云っても過言では有りません。人と関わる事はほとんどなく、母が病に倒れた時も救いは有りませんでした。

 父は…… 私の行く末を案じてくれていたのかも知れません。 ただ、私は森と共に生き、森の中で死ぬものだと、ずっと思っておりました。 父が猟の産物を騎士爵家が街に売りに行くと言い出したのは、私の行く末を考えたからかも知れません。 そして、あの日あの場所で、貴方に出逢ったのです。 初めてでした、私に『嫌悪』以外の感情を向けてくれた人は。 家族以外の人で、私を『公平な目で見てくれた人』に出会ったのは。

 そして、私に忠告して下さいました。 人との関わり方を教えても下さった。 さらに、困った事が有れば騎士爵家を訪ねるようにとまで…… 今の私が有るのは、あの日、あの時、貴方と出逢ったから…… 望んでも、叶う訳は無かったのですが、お爺様にお願いして騎士爵家が傭兵軍への志願を認めて頂けた事もまた、私の幸運とも呼べる物でした。 貴方の御側に、貴方の役に立てる者と成る様に、努力を続けておりました……」


「私の唯一と成るのは、君の希望だったのか」


「叶うはずの無い、細い蜘蛛の糸の様な、憧れでは御座いましたが……」


「そして、今、君は私の傍に居て、私の唯一にして無くてはならない『我が佳き人』となった。君の本懐は、達成したのか?」


「…………いえ。 私は欲深い女(・・・・)なのです。 一つ、叶うと、二つ希望が生まれます。 同時に得たいと思う、欲深な女なのです。 得られた物は決して手放す事はありません。母は言いました。望みと云うものは、引けば一つ、進めば二つ手に入ると。 私はそうは思いません。 森で学んだことではありますが、引けば事態の悪化を齎し、最悪『命』すら失うのです。 進む以外に道は無く、その指針を与えて下さる方を選ぶ事が何よりも大切な事。 死にたくないのは誰しもが持つ思いですが、私はその時が来ても前のめりで倒れたいのです。 大切な方を護るという望みを叶えるために……」


「思いの深さは了解した。 君の矜持の深さには感服すら覚える。 心情を吐露してくれた君に、応えたいと思う。 私が口外しない、私の秘密について、君と共有したいのだが…… 良いだろうか?」


「何なりと。 たとえ、貴方が魔王であると言われても、私の心の向く先は、変わりは有りません」


「そうか。 ……遠く、時の狭間にまで話は遡る。 私はね…… この世界の魂の持ち主では無いのだよ。 しかし、此れだけは変わりない。私は私を変えたいのだ。私に連なる全ての者に安寧を齎せたいのだ。 その本懐を果たす為に、此れから語る事は邪魔にしかならない。 だから…… 私の秘密は私達の間だけの事にして欲しい」


「御意向、承りました」


「有難う。 それでね、私の秘密とは………… 」



 私は神により、前世に於いて『無為に生きた罰』として『この世界』に墜とされた罪人であった…… 彼女に話す私の秘密は、今の今まで誰にも語った事のない『私の真実』。 そう、それが理由なのだ。 なぜ、ひたすらに故郷の安寧を求めていたのかの。 大いなる存在の前に、『無為に生きた』と云う前世の罪を償う為に生まれ直した事実を、彼女に語った。 前世の出の私は何も成せない、只無意味に生きていたと云う事実は、忸怩たる思いも抱いている。


 どう行動すればよいかもわからず、愛された記憶も無く、愛すると云う事すら理解出来ず、大切なモノを理解する事も無く、生きながらにして死んでいたのも同然だった事。 訥々と私は自身の前世に付いて語っていた。私の根底にある自我がそうなのだ。成長も無く歳を重ねただけの老人。傷つけられ、踏みにじられた人生の記憶だった。故に、この世界に生まれ直した時、父上や母上、そして兄上達家族から無償の愛を受けた時の驚きは、どう云い現わして良いか分からなかった。


 前世に於いて、その様な愛情を受けたことは無かった。 だから…… 報いたかった。 向けて貰った愛情と慈しみを返す方法を考え続けていた。 そして、そのまま家族を愛する事だけでは足りないと、確信に至る。 騎士爵家の者達の心根の根底にある物は、故郷への愛と慈しみ。 何もない倖薄き地に懸命に生きる同胞を、自身の誇りと矜持を掛けて護り抜くと云う気概。ならば、私も同様の信念を持たねばならない。強固な思いで全うするのが私に課せられた使命でもある。そう思ったのだ。


 (よわい)を重ね、経験を積んでも、私は私に対しその先を求め続けていると云ってもよい。前世の自分は全てを諦めていた。だが、現世の自分には、護るべき者達があったのだ。気を抜けば、手を抜けば、全てを失うのだ。倖薄き北部辺境に於いて、安寧とは容易(たやす)く瞬く間に失われてしまうものなのだから。


 協力してくれる者達も、沢山出来た。 なかでも小さな頃から近くに居て、指導鞭撻してくれた『爺』への感謝は今もって変わらない。 『爺』が遠き時の輪の接する処で、時が意味を成さぬ場所において、戦士の祝宴に合流できた事は、喜ばしい事だと思うのだ。 いずれ、其処へ行くとなれば、私が成せたことを、誇りに思う事を存分に披露したいと思うのだ。そして……


「……君が私の側に居てくれる事を願ってやまない。我が佳き人よ、私の帰る場所である君を、先人たちに私の妻として紹介したい」


「私を庇護して下さった『お爺様』は…………   貴方のいう『爺』様と同じ方なのですか?」


「あぁ。 私が生まれる前から、この北辺の辺境の地を愛し護り、そして逝った方だ。護り抜いたと云っても良い、歴戦の戦士だった方だ」


「それは…… 分かります。 私も鍛えて貰いましたから。そうでしたか。 ……一つ、お伝えしたい事があります」



 真摯に私を見詰めながら彼女は言葉を口にした。 伝えたい事? 私の荒唐無稽な話を聞いて、何かしら思う所があったのか。 やはり、不気味に感じられたのか。 真っ直ぐな彼女だからこそ、彼女の言葉には強い力が宿る。 そんな彼女に否定や疑義を持たれるのは…… 心に来るものが有るのだ。 故に、ゆっくりと聞く。 偽らざる心情は、恐れにも似た感情だった。





「……なんだろうか?」




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― 新着の感想 ―
しばらく続いた政治の話が終わりました。 この間はストーリーを進めるために必要なものだと言い聞かせて、せめて大筋を理解しようと努力していましたが、やっと「物語」が動き出しますね! 雪女?
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