夜半の一時
北部王国軍の官舎。
その一角には私の居室も整えられていた。 『探索行』の作戦期間中に、その辺りの整備は大層進んでいたとも云える。 前世の常識から言えば、奇跡だと云うしかない。 が、この世界には魔力と魔法が有るのだ。 石材は土魔法の使い手が、砂礫を超高圧縮する事で均一なモノを作り上げる事が出来る。 材木に関しては『魔の森』浅層域から伐り出している。 王都近郊の森や、王国中央に近い領地の『黒の森』と比べ、圧倒的の空間魔力量の多い北辺の『魔の森』では、樹々の成長が著しく早い事も有る。
定期的な伐採を行わなければ『魔の森』が、じわりじわりとその領域を拡大してくるのだ。人の生活圏を護るには、不断の努力が必要とされる。 その為、北辺の邑では、伐り倒す樹々の数は以前から多い。 そして、使いきれない材木は、集積され、良く乾かされ、保管されていた。 それら大量の材木は、建材にも成るし、燃料にも成るが故、領都建設に於いて、大々的に使用する事が決定されている。 北部辺境伯閣下が自領の『森の端の邑』に対し、保管されていた材木の供出を命じたのは、記憶に新しい。
勿論、その運搬には北部王国軍輜重隊が大活躍した事は特記すべき事なのだろうな。
官舎の私室は、高い位置にある。 北部城壁の頂きとさして変わらぬ高さにあった。同階層の官舎には軒並み高位の方々が居られる。肩書が北部王国軍作戦参謀兼次席という、トンデモナイ高位の職務を仰せつかって居る為、他の方々との兼ね合いもあり、この部屋に落ち着いたらしい。 ほぼ、私室には帰らないが、たまに帰ると何時も、あまりの広さと豪華さに驚いてしまう。 実際使っている場所など、ほんの一角に過ぎないのは公然の秘密と云うヤツでも有る。
使用人、執事、メイド、女官は一人も置いていない。故に部屋が余るのだ。何故なら、私も妻も自分の事は自分で出来る上に、食事は大食堂で兵達と混じって取るのだから、必要すら無いのだ。故に私が私室に居る時間は、ほぼほぼ家族の時間となる。 家族…… そう、誓いを交わした彼女と二人きりとなる時間。
しかし、やはり其処には軍務の続きの様な感覚は払拭するに至らない。 私に任務が有る様に、『我が佳き人』にも任務が存在するのだ。 様々な忖度により、こうして私室に戻った時に、彼女は私の側に居てくれるよう配慮されてる。護衛任務にかこつけて、私室に入室する事すら良しとされているのだ。そして、私室で彼女の任務は解かれる。
これ程の配慮は、他の高級将官にはされていない。 申し訳なく思う。 他の方々にも、『我が佳き人』にも……
―――
食事は大食堂で終え、自室に戻る時間が取れた。
背後に護衛の気配がする。 【隠遁】と【隠形】を纏った優しい魔力の流れを感じると云う事は、彼女が其処に居ると云う事だ。 口を開くでも無く、自室に戻る。 豪華と思える自室の扉を開け、室内に入ると、いつもの場所へと向かう。 街中に向けた開口部に大きな扉。 向こう側にはバルコニーが広がり、視界には広がり続けている領都が一望できる場所。倖薄き、この王国北辺に誕生した奇跡の街の様子を、この目で見る事が出来るのは嬉しいと素直に思う。
王国の貧しき民が、倖薄き地に集い、彼等が精一杯生きる場所を我等が鎮守する。その役目がいかに尊く、矜持と誉れに溢れているかを実感できる光景でも有る。もともと、私は街の喧騒が好きだった。 私と関係なく、生き生きと生活して居るモノの笑顔が好きだった。 前世でも人恋しく思う事も多々あった。が、そんな時も私は疎外され続けていた。会社の寮の一室で、自身を抱きしめ床に耳を当て、他の部屋の物音を聞く。自分以外の人の生活音だけが、心の慰めとなっていた事をチラリと思い出した。
だからか…… 私に関与しない、街の、人の騒めきに心安らぐのは……
硝子が嵌められ、明るい月光を差し込ませている扉を開き、夜風の中バルコニーに踏み出す。眼下に見える、幾つもの街の灯が其処に人々が暮らしているのだと、実感を以て私の心に沁み込んで来る。自然と笑みが頬に浮かぶ。 頭髪を燃やし、眉も無く、凶相とも云える私の顔に笑みが浮かぶと、周囲の者達はたじろぐのが普通。しかし、何の衒いも無く、そんな私に声を掛けてくるのは、只一人しかいない。
「嬉しそうですね」
「あぁ、とても」
「貴方の献身により、民の安寧は保たれているのですね。私も誇らしいです」
「私だけの力では無いよ。 君の献身もまた、この光景を紡いでいるのだから、君自身誇っても良いのでは?」
「私は…… ただ、貴方の後ろを歩いているだけです。他の人とは違います」
「ただ、私の為に?」
「はい。ただ、貴方の為だけに、私は存在する…… つもりなのです…… あの……」
「なんだろうか?」
「困難な事も有ります。 寂しくも、悲しく成る事もあります。 だから…… 今は甘えても宜しいでしょうか?」
「許可など要らない。 私室では全ての任務が解かれるのだろう? ならば、君が此処にいるのは、私の妻としてなのだろう? 私にも重い責務が有る。だから、全てを忘れて良い訳では無いが、私室に於いては私自身を顧みろと朋にも諭された」
「それは…… どういう意味なのでしょうか? 難しい御話は私には理解出来ません」
「簡単な事だよ。『民の安寧と倖せ』を望むのならば、『自身の幸せ』も同時に望まねば心の均衡が崩れ人格が崩壊すると諭されたのだ。自室では、心に湧き出でる思いのまま、行動せよと…… な。 つまりは、私も君に甘えたいのだ。疲弊し擦り切れた私の心に潤いと安堵を君は齎してくれる。 ……この情けない私自身すらも、君に曝け出してもよいとおもっているんだ」
「指揮官殿も…… わ、私と…… お、同じ、なのでしょうか?」
朋より授かった、高級葡萄酒の瓶を傍らのテーブルに乗せる。 未だ建設中の北辺城壁に併設されている軍関連の施設故、資材はその辺に置かれている事も有る。 私室のバルコニーにしても、完成しているわけでは無い。 積まれた資材の内、ガラス板の一枚に手を乗せる。錬金魔法術式を発動して、板ガラスを材料にワイングラスを二個、紡ぎ出す。 葡萄酒が入ったボトルの抜栓は、瓶の口を緩めるだけでいとも簡単に抜ける。
様々な生活魔法が存在するが、私にはこの錬金魔法術式がある。『工人の技巧』が、その精度を高め、様々なモノを容易に作り出し、変形させるのは得意なのだ。 抜栓したワインボトルから、グラスに芳醇な香りの液体を注ぎ入れる。 空気を含くませ『大地の恵み』に命を吹き込む。 華やかな香りが、バルコニーに広がっていく。
「朋より…… いや、北部辺境伯閣下よりの御下賜品だよ。 あの方も、私達の在り方にヤキモキされておられる。 この部屋の中では、私は自身の心を曝け出す事にしたよ。 君には、素の私を見せる。 情けなく、弱音を吐き、自信を失い、木偶の棒である、私自身をね」
「慈愛深く、民を愛し、故郷を愛し、不可能を可能と成す指揮官殿の素ですか? それを、私に?」
「我が佳き人なんだ、君は。 大切にしたいし、護っていきたいのだが、能力不足の私は危険な場所に君を伴わなければならない。不甲斐なくも、みっともない夫なのだよ。 贖罪にも成らないが、私を知って欲しいと思うのは不遜かな?」
「いえ…… 嬉しいです」
「では、私を知って貰うのに、色々と話をせねばならないし、君を知る為に話を聴かねばならないな。 舌が滑らかに回る様に、御下賜頂いた、大地の恵みを戴こう。 これを」
ワイングラスを彼女に渡し、小さく合わせる。 夜風に酒精が躍る。 口に入れ、嚥下する。 香りの暴力が鼻孔を駆け抜け、程よい酒精が喉と胃を焼く。 彼女も口を付けてくれた。
お互いがお互いを視界に居れ、そして、視線により語り始める。
瞳にうっすらと『酔い』による被膜が掛かるが、
心の壁とも云うべきものは夜空に霧散した。




