豊穣の故郷に言祝ぎを。
与えられた日々の職務を全うする。 私の軽率な行動に対する罰則だと、そういう意識ではあった。 納得は行かないが、致し方ないだろう。 それはそうと、『魔の森』の動向を逐一知り、現状を見極める事が、今後の北部国軍にとっては、なによりも重要だと認識している。
参謀としての書類仕事は、従来の遊撃部隊の隊長職の仕事と変わりない。警戒線を何処に敷き、何処までを安全圏と成すかを見極め、森に小道を通し、周辺警戒の為に鳴子残響器を設置する場所を決定していく。
森の全容を掴む為に、網の目のように番小屋を設置する事は、その第一歩。 副官であった戦務参謀と諮り、各管区の戦力配分を見直し、領都であるこの街からの出撃に於いて、万全を期す。 森の中でも川筋にある番小屋は拡充し、屯所として整備し始めても居る。
別の手立ても考えねば成らなかった。 何もかもを北部王国軍で熟す事は難しい。 民間の組織や街の有力者の協力を得なければ、安寧を継続する事は難しい。焦点となる場所の平定は王国軍の任務ではあるが、日々の細々とした状態を維持するまでの人員は確保できていないのだ。
冒険者組合とも、柔軟に連携を取れるように、領都に拠点を誘致した。領都を定める時に、其の打診を冒険者組合にした。組合長とも旧知の仲と云う事もあり、前向きに検討して貰う事となった。こちら側の大きな理由として、冒険者達の中で有力な者達に『魔の森』浅層域の魔物魔獣の間引きを提示した。 組合長は当然と云った感じであり、それを成す為の助力の条件を提示してきた。 それに対し、北部王国軍の総意として、 “ 北部王国軍としては、協力をして貰えるならば、積極的に森の情報を開示して、浅層の森中層域にも進出するように、手筈も整えつつある “ と、彼等が提示してきた『条件』が満たされている事を保証する。
どちらにも『利』と『理』があるのだ。 一致点は多く、協議は困難を伴う事も無く進捗する。魔物由来の素材の需要は高まりを見せているのが現状だ。 母上からも、浅層域の深い場所に生息する魔物魔獣の素材を供給できないかと打診も受けている。どうも、王国内の各所でその様な素材の価値が再認識されているらしい。 もともと取得できる量は限られている事もあり、驚くほど高値で取引され始めていると聞いた。 北部王国軍は森の安寧を保つための組織であるから、狩猟を目的とした行動はとれない。 そこで、民間の組織である「冒険者組合」への働きかけとなったのだ。
こうして『組合長』は、北部辺境伯領都への進出を決定してくれた。 街の特色と云えるのではないか。
この様な事柄を熟しつつ、書類仕事に追われていた。一介の軍人にしては、その職掌範囲は広く任務は多岐に渡る。北部辺境伯家の執政官達とも幾つもの折衝が行われるのだ…… 北部国軍参謀本部執務室に於いて、衆人環視の中様々な政策が策定されて行くのだから、北部王国軍と北方辺境伯は一心同体と云うか、運命共同体というか…… 王都の貴族社会の在り方とは、著しく乖離しているのだとは思う。が、厳しく倖薄い北部辺境という環境に適応した結果であると言わざるを得ないだろう。
一番重要な事は、誰もこの状況に疑問を差し挟む者が居ないと云う事だ。
故に北部王国軍は、北部辺境伯家の問題にも直接関与する事となる。 と云うか、『私が個人的に』だが。 領都は徐々にその縄張りを広げていく。
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農地に関しては、第二十五席がその頭脳と実行力を以て、豊かな大地に開拓していく。通常の開拓とは別次元の、魔法術式を使った、土壌改良を行っているのだ。 朋曰く、王宮魔導院では、散々な扱いでは有ったが、そんな境遇の中でも牙を磨き、爪を研いでいたとの事。自身の研究を、少しずつ、少しずつ現実に落とし込む方法を模索しつつ、有効な魔法術式を編む事に専念していた…… と、仄聞する。
そして、彼の研鑽と努力は、この北辺の地で花開くのだ。 得難い人物を、我が故郷は得たと云える。
第二十五席からは幾度かの協力打診を受け、合同で幾つかの魔法術式を改良した。魔法術式を用い、硬い地面を耕すだけでは無く、土地に不足している養分を摂り込む術式。 幾つかの既知の魔法術式を結合した『土魔法術式』の改良だ。
ふむ…… 前世の記憶の中にある、空中窒素固定を『植物の力』を借りずに、魔法で実現できるのだ…… さらに、有機リン系の肥料は、それまで焼いたり、穴を掘って埋めていた、魔物魔獣の遺骸を魔法術式を以て『有機分解』して手に入れた。
土魔法の分野と云うのは、それ程までに広く深い。 決して軽んじられるような魔法属性では無い筈なのだが…… 王国中央では、地味で役に立たない属性と見なされているのか、彼等の社会的地位は低い。 ならば、我等が故郷である北部辺境に、能力に対し低く見られがちの『土属性の魔術師たち』を我等が故郷は受け入れよう。 彼等の能力は、倖薄き北部辺境にて開花するのだからな。
本来ならば、微生物がする役割を、魔力と術式で加速した。 第二十五席と合同で改良した魔法術式の使い勝手はとても良く、何より…… 農具に符呪出来る所もまた素晴らしい利点なのだ。 符呪出来ると云う事は、農具を魔道具化出来るのと同義。 蓄魔池を組み合わせると、土魔法属性を持たぬ民ですら、その術式を振るう事が出来るのだ。 開墾の速度と農地の広がりは、一気に増大する。
魔物魔獣の遺骸の運搬に関しては、北部王国軍の『作戦』に組み入れたのは私だ。輜重隊や工兵達には苦労を掛けたが、領都が豊かになる為には、是非とも必要であった事なのだから仕方ない。 それまで捨て置かれていた、持ち運びに困難を感じる大きさの討伐した魔物魔獣の遺骸が森の中から運び出されるに至り、魔物魔獣の解剖学的な見地も広がりを見せた。 新たな学問の萌芽とも云える。 魔物魔獣を研究する者達が、その話を聞き付け、遠く他の辺境地域からも来訪するようになったと仄聞した。
荒野は豊かな農地として、辺境の倖薄き民に解放される。 邑として辛うじて成立していた領都周りの農地が、収穫豊かな土地として整備されたのだ。 それ即ち、他領の貧しき農民たちの大移動を呼び起こす契機となった。 人が宝だと云う事は、北部辺境域では常識なのだ。『数は力』で在り、有能な人材の補給源ともなる。 故に、朋は…… いや、北部辺境伯は、北部全域は云うに及ばず、王国全土の貴族家に対し、食い詰め倒れそうになっている領民や支配地の民の誘致に積極的な姿勢を示した。
“ 己が命を掛けて未来を掴もうとするのならば、我が領地に来たれ! 自作農を志すならば、農地は用意しよう。 我が北部辺境伯家は、倖薄き生活に喘ぐ君達を歓迎する ”
北部辺境伯の名の元に発布された公示は、北部辺境だけでなく隣接する西部、東部の辺境域にも伝播する。 王国の北半分の辺境域から、一旗揚げようと様々な者達が北部辺境伯家の領都に集う事となった。 王都の貧民窟に燻っていた者達もまた…… その波に乗れるだけの気概が有る者達が遣って来る。様々な階層に属していた…… そして、自身の誇りを失った者達。 もう一度何かを掴もうと、多少の野心も心内に灯しながら、北へ北へと人の流れが生まれたと云えた。
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流入する民草を捌くのは、北部辺境伯家が政務官たち。 有能なのだろう、さしたる混乱も無く瞬く間に街が出来上がっていく。領都全域は相当に広く計画されているが、まだ端緒を開いたばかり。辛うじて北辺の城壁、及び 北部国軍関連の施設群が出来上がったばかりでもある。北部辺境伯家の邸宅は、仮住まいと云っても良い程に質素であり、北辺城壁に並び建つように建設されていた。
民間の「冒険者組合」の建物の方が余程立派であるが、朋は気にも留めない。
有る日、領都の北部国軍の参謀本部で軍務を執っていると、朋が侍従も侍女も帯同せず単身でやって来た。 参謀本部では忙しく他の参謀達が立ち働いている為、朋を誘い応接室に向かう。 作戦立案や北部王国軍の行動指針は既に提出してある。後は参謀本部の全体会議の俎上に載せるだけと云う事もあり、時間の余裕はあった。
なかなかに忙しい我等が時間を共にする事は無い。珍しく、余裕が一致したとも言えた。応接室には二人で入る。従卒が茶を入れてくれ、柔らかい湯気がローテーブルの上のカップから立ち上っている。本格的に茶の栽培も始まっている。茶師もこの地に遣って来た。初摘みと云う事で、献上された一番茶。 なかなかどうして滋味深く、渋みも抑えられた逸品となっている。
カップを口に付け、その芳醇な香りを楽しみながら、朋と対峙する。互いにまだ言葉は発しない。従卒の淹れてくれた茶を喫する。 我等が故郷で、育て、収穫し、丹精を込めて仕込んだ茶葉だ。しっかりと味わいたかった。
豊かになりつつある、我が故郷。 沸き立つような喜びが心に浮かび上がる。
――― 心が満たされている事を、私は実感した。




