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『追放された宮廷測地士、最果ての毒沼に運河都市を築く ~ゴミスキル《地脈視》は、土を読み、水を導き、国を造る~』  作者: 夕凪 鏡介


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第25話「私を捨てた国が、今さら頭を下げてくる」



 親書を読んだのは翌朝だった。


 中身は想像していたとおりだ。水利の協定を請う一文。それを取り巻く、丁寧な美辞。王の署名。蝋の封。押された紋章は、三年前、俺の解雇通告に押されたものと同じだった。


 俺はそれを最後まで読み、卓に置いた。


「読みました」


 向かいにガレオン・ロウが座っていた。宰相の礼服ではない。旅塵にまみれた、ただの外套姿だ。一晩、都市の宿で休んだはずだが、目の下の隈は深いままだった。


「返事を聞かせてほしい」ガレオンが言った。


「その前に一つ、聞いていいですか」俺は親書を指で叩いた。「この紙には、国がどれだけ困っているかが、一言も書いていない。美辞ばかりだ。本当のことは、どこにある」


 ガレオンはしばらく黙っていた。それから足元の革袋に手を入れた。


 卓の上に、分厚い紙束が置かれた。


「これが、本当のことだ」


   ◇


 それは親書ではなかった。帳簿だった。


 俺は一枚ずつめくった。ガレオンは何も言わずに待っていた。


 餓死者、四万三千。数字は月ごとに増えていた。放棄された農地は、全耕地の六割。疫病で閉じた村、百と十七。国庫の残高は、一年前に底をついていた。


 どの数字にも飾りはなかった。言い訳もない。ただ事実だけが、几帳面な字で並んでいた。帳簿の男が、自分の国の死にゆく様を、一行の誤魔化しもなく書き写した記録だった。


 俺は測量士だ。土地の嘘は見抜く。傾いた地面も、隠れた水脈も、土がつく嘘は一つ残らず暴いてきた。だが、人がつく嘘までは読めない。この三年、それだけがずっと、俺の目の外にあった。


 その俺が見ても、この帳簿には、嘘が一つもなかった。四万三千という数字は、四万三千の墓標だった。それを、この男は一つも切り捨てず、一つも丸めず、そのまま運んできた。


「これを、あなたが」


「私が書いた」ガレオンは言った。「宰相として、最後の仕事だと思っている。何がどう間違ったのか。どこで、いくら読み違えたのか。洗いざらい記した。あんたに施しを乞うなら、まず、こちらの帳簿を開いて見せるのが筋だと思った」


 俺は最後の一枚をめくった。


 そこに、一行だけ、他とは違う字があった。かすかに震えた字だ。


 ――三年前、灌漑と治水の予算を削り、攻撃魔法兵団に回した。決裁、ガレオン・ロウ。


 自分の罪を、自分の帳簿に、自分で記していた。名指しで、逃げ場のない形で。


 俺は、その一行を長く見ていた。ここに書かれた「治水の予算」の中に、俺の三年前の席があった。俺という一行が消えたのも、この国から生きた水が消えたのも、この男の帳簿の上でのことだった。


   ◇


「レヴィン・カルダ」


 ガレオンが椅子から下りた。


 床に両手をついた。宰相が、旅塵にまみれたまま、板の間に額をつけた。護衛も書記官も、ただ無言で立ち尽くしていた。


「水を、分けてほしい。この国の、民のために。……頼む」


 部屋の隅で、メイが息を呑むのが分かった。壁際に立ったまま、こぶしを握っている。あいつの生まれた村も、王都に見捨てられた土地の一つだ。目の前で頭を下げる宰相を見るメイの目には、隠しきれない怒りがあった。


 俺は、その姿を見下ろしていた。


 三年前、この男は俺に言った。地面を眺める男に払う金はない、と。その一言で俺の席は消えた。荷物をまとめて、毒沼へ流された。あの日の屈辱を、忘れたことはない。


 だが、いま俺の胸にあったのは、勝ち誇りではなかった。


 この男は愚かではなかった。ただ間違えた。剣が国を守ると信じ、水を後回しにした。空が青く、川が流れているうちは、誰もその判断を疑わなかった。間違いに気づくのは、いつも川が死んでからだ。


 人は間違える。問題は、間違えたあとにどうするかだ。この男は逃げなかった。言い訳の紙ではなく、罪の記された帳簿を持って、自分の足でここまで歩いてきた。土下座で許しを買おうとしたのではない。ただ、勘定を合わせに来た。


「頭を上げてください」俺は言った。「あなたに土下座をされても、水は一滴も増えない」


   ◇


 俺はガレオンを外へ連れ出した。


 運河の脇の、小さな畑まで歩いた。そこに一本の若い木が立っている。ひょろりとした、頼りない木だ。実は一つもなっていない。


「これが何か、分かりますか」


 ガレオンは首を振った。


「果樹です。三年前、この土地に来た初日に、まだ鍬も持てない子供が植えた」俺は細い幹に触れた。「実がなるまで、四年か五年かかる。今年で三年目だ。まだ、実らない」


 風が葉を揺らした。まだ青いだけの、薄い葉だった。


「あなたが三年前に切ったのは、地図じゃない。治水の予算でもない」俺は言った。「この木が実る、その日までの時間だ。植えて、水をやって、待つ。その四年を、あなたは帳簿の上で、贅沢な赤字だと切り捨てた」


 ガレオンは若い木を見上げていた。何も言わなかった。ただ、その目が、これまで一度も勘定に入れてこなかったものを初めて数えようとしていた。


「土は嘘をつかない」俺は言った。「一年で実れと命じても、実らない。根が張るまでに四年かかるものは、四年かかる。剣で脅しても、金を積んでも、変わらない。あなた方が本当に捨てたのは、その四年を待つ辛抱です」


   ◇


「……水は、分けてもらえるだろうか」


 ガレオンが静かに言った。


 俺は若い木から手を離した。


「分けます」


 ガレオンの肩が、わずかに動いた。


「ただし、施しでは分けない」俺は続けた。「施した水は、また奪われる。三年前と同じことになる。だから協定を結びます。水がどこへ、どれだけ、どんな約束で流れるのか。すべて紙に書いて、両方が印を押す」


「条件を、言ってくれ」


「明日、話します」俺は運河のほうを見た。夕日が水面を赤く染めていた。「今日は、あなたも部下たちも、まず休んでください。腹を満たして、水を飲んで。話は、それからだ。飢えた頭で結ぶ約束は、あとで必ず破れる」


 ガレオンは、深く頭を下げた。今度は土下座ではなかった。ただ、一人の男が、もう一人の男に礼をする形だった。


   ◇


 ガレオンたちが宿へ下がったあと、メイが俺のところへ来た。「本気なの」と、押し殺した声で言った。「あいつらは、あたしたちを捨てた。あんたを真っ先に捨てた。なんで水なんか分けるの」


「奪われるより、分けたほうがいい」俺は言った。「あいつらは、水がなければ、いずれ剣を持ってここへ来る。飢えた国は、なりふりを構わない。そうなれば、こっちの水路も畑も、戦で潰れる。分けて、約束で縛ったほうが、こっちの水は減らない」


 メイはしばらく黙っていた。「……それだけ?」と、ようやく言った。「恨みとか、ざまあみろとか、ないの」


「ある」俺は正直に言った。「あるが、それは水利協定の条項には書けない。感情で引いた水路は、必ずどこかで決壊する。恨みでは、水は流れない」


 メイは鼻を鳴らした。だが、それ以上は何も言わなかった。あいつも分かっている。この土地を生かすのは、感情ではなく、水の通り道だということを。


「あんたって、ほんと」メイが背を向けて歩き出した。「土に生まれてくればよかったのに」


 俺は、その背中を見送った。土に生まれていたら、たしかに、もっと分かりやすかっただろう。


 俺は、運河の水音を聞いていた。


 水は高い所から低い所へ流れる。それだけの、単純な理屈だ。


 若い木の葉が、夕風にかすかに鳴った。あと一年か、二年。この木は必ず実る。その日、この土地に何が育っているのかを、俺はまだ誰にも言わずにいた。


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