第73話 徴兵官殺し 〜あの日〜 その7
まるで虚空を切り裂く裂くかのような鋭い感覚。
確かに得体の知れない何かが風の様に目の前を通り過ぎた事だけは分かった。ただ、あまりにも突然の出来事で、カイルもそれが一体何だったのかは分からない。
だが、その後に起こった出来事はカイルの鈍った頭でもなんとか理解することが出来る。
彼に剣を突き立てていたはずの徴兵官の頭だけが、まるで熟しきった果実が地面に落っこちるような速度で、すっと視界を通り過ぎた。
突然、目の前にいた徴兵官の頭と胴体が切り離されたのだ。
一瞬、カイルの視線と徴兵官の視線が交わった。しかし、その視線はまるで彼の時間だけが止まってしまったかのように固まったままだ。
そして――
ドサッ、と鈍い音を立てて、その頭が地面に転がった。
「……え?」
声にならない声。思わずカイルは声を詰まらせた。
そして、それと同時に、左右からもドサリ、と鈍い音が響いた。
自分の腕を押さえつけていた兵士たちの力が、ふっと抜ける。身体を拘束していた力が突然消え、カイルの上体がぐらりと前へ傾いた。
痛めつけられ軋んだ体が地面に倒れそうになるのをなんとか持ちこたえて、カイルはゆっくりと顔を上げる。
と、そこには――
首を失った徴兵官の体が未だ不自然な姿勢を保ったまま直立していた。
それがやがて膝を折り、崩れ落ちる。
左右を見れば、カイルを拘束していた2人の兵士もまた、首から赤い血を流して、無言で地面に伏している。
何が起こったのか――
そして誰がやったのか――
だが、目の前で首と胴体の離れた死体を見せられて、そんな問いかけに冷静に答えられるほど、カイルは図太くは無い。
ただ、呆然としたまま、転がる徴兵官の顔をカイルは見つめる。
いったい自分は、今さっきまで何をしていたのだろうか――
そんな記憶すら忘れかけていたその時。突然思い出したかのようにカイルの視線が慌ただしく動き、彼はその視界から消えていたレイラの姿を探す。
徴兵官のすぐ後ろ。あまりにも異質でカイルはそのことにすぐには気付けなかった。
視界の先――そこに、血のついた剣をだらりと下げ、震えるように立ち尽くす少女の姿があった。
レイラだった。
「……お前、が……やったのか?」
かすれた声が喉の奥から漏れ出た。
問いというよりは、カイルの戸惑いそのままの言葉だった。
レイラは、焦燥に満ちた目を兄に向け、小さくうなずいた。
そんな姿のレイラにカイルは思わず、見てはいけない物を見てしまったかのような怯えた視線をレイラに送っていた。
あの日――道端に落ちていた竜の鱗を「自分が倒して手に入れた」と、つい嘘をついてしまった。 そしてその場を取り繕うため、即興で考えた剣技――それが、彼の空想の産物『千年九剣』だった。
だが、そんな剣技など、世間で通用するはずが無い。
そう考えるのが当然だったはずなのに――
「ど……どうやって?」
カイルの声が震えた。
理解が追いつかない。 今目の前で起こっている出来事が、あまりに現実離れしていて、思考が定まらない。
レイラは手元の剣を見つめていた。
そこには確かに、彼女が人の命を断った証拠である真っ赤な血が付着していた。
「この剣で……」
レイラの声は今にも掠れそうなほど小さかった。
「だって、お兄ちゃんが殺されちゃうと思ったから……」
血の気が引いた。
カイルはかつて、修行に没頭する妹に“絶対に人を斬るな”と言った。 剣は振るっても、人の命を奪うことは絶対にあってはならない。――それがカイルの中にあった、たった一つの倫理だった。
だから、レイラにもそれを誓わせたのだ。
それなのに――
今、レイラは3人もの命をその剣で奪ってしまった。そして、その剣は、あろうことかカイル自身の命を守る為に振るわれた。兄を守るために――咄嗟に、ただその一心で剣が振るわれたのだ。
「…………っ」
声にならない唸るような声がカイルの口から漏れる。
いまさら後悔してもしきれない。
この日。カイルは取り返しのつかない罪を妹に背負わせてしまったのだ。




