第105話 天罡吸魔法 その5
次第に薄らいでゆく意識の中でも、天罡吸魔法で吸い取っった邪神の魔力が俺の腹の下で暴れまわっているのがわかる。
ここが俺の現界だった――
果たして俺はちゃんとやれたのだろうか?
そんなことを考えながら、俺の意識はプツリと途絶えた。
しかし――
現実は、そんな俺をいつまでも甘美な達成感に浸らせるほど甘くは無い。
俺の意識が再び戻った時、俺は指先一本すら動かせない状態で仰向けに地面へ寝かされていた。
「お兄ちゃん! ねぇ、カイルお兄ちゃん、しっかりして!」
レイラの必死の呼びかけが、どこか遠くの世界の音のように聞こえる。
生きているのか、死んでいるのか――その境界すら曖昧な意識の中で、俺はぼんやりとレイラの泣き顔を見つめていた。
「ああ……そういえば……」
俺はレイラと初めて剣の修行した日のことを思い出していた。しかし、トンボの数が数えられなくて泣いていた、あの小さな少女はもういない。今のレイラは、立派に戦場へ立つ大人である。
それでも、泣いている妹を見ると、どうにかして泣き止ませてやりたいと思うのは……兄心というよりはもはや親心ってやつなんだろう。
だが、そんな気持ちはあるものの、俺の身体はやはり指一本すら動かすことはできない。
――人は死ぬ寸前に走馬灯を見るという。
異世界転生した俺が見る走馬灯は、いったいどちらの記憶なんだろうか。
この世界の記憶か、それとも前世――現代日本の記憶か。
そんな疑問がふと脳裏をよぎった瞬間、視界が揺らぎ、俺の眼の前に次々と懐かしい記憶が押し寄せてきた。
父親に裏切られた悔しい記憶。
悪漢に追われる娘を救うため、初めて人を殺めた記憶。
春の陽気の中、美しい少女と目隠しをして琴の稽古をした記憶。
褐色の麗人とその部下が、大剣を振り回す大男と戦う大乱闘の記憶。
そして――
地下深い牢獄で、何年も何年も、ただひたすら脱出の技を磨き続けた記憶。
だが、俺は気がついていた。
この匂いや空気までまとった、あまりにもリアルな記憶が現実のものでは無いことに。
小さな山の中の村で、妹と共にほそぼそと暮らして来た俺にはこんな記憶などあるはずが無い。
この記憶は、そう――
妹を喜ばせる為に俺がでっちあげた『千年求敗物語』であって、俺の記憶などでは決して無いのだ。
俺は今、自分の創作した物語を夢に見ているのだ――
とうとう、俺の命も終わりに近づいたらしい。もはや嘘とハッタリで塗り固めたはずの物語と現実の記憶の区別すらつかなくなっている。そこまで俺の意識は混濁し始めている――。
死ぬ寸前に見る走馬灯まで嘘で塗り固められた夢物語とは……もはや自分で自分に呆れるしかなかった。
ただし――
それでも一つだけ腑に落ちない記憶がある、それは地下牢獄の記憶である。
あれだけは俺の創作には存在しない物語なのだ。
だが、それも朦朧とした頭が勝手に作り出した幻覚だと言われれば、それまでである。
――やはり俺の人生は、嘘から始まり嘘で終わるのか――
俺はぼんやりとそんなことを考えていると、再びレイラの泣き声が聞こえてきた。
同時に、身体がふわりと浮くような感覚に包まれる。
視線を下へ向けると、地面に倒れている自分の身体が見えた。これが俗に言う幽体離脱という感覚なのだろう。空中から自分を見下ろすというのは、なんとも奇妙な気分だった。
エイドリアンは必死に邪神をドーマへ封印しようとしているが、邪神の魔力が再び高まり苦戦している。一方レイラは、俺の身体の横で泣き叫ぶばかりで、戦意を完全に失っていた。
この通り――やはり邪神の前で、人間は無力だ。
俺が命を賭けたところで、このままでは邪神は再び復活してしまうだろう……
……………
……………
って――そりゃないんじゃないの。
まったく……俺が命までかけて充分なお膳立てをしてやったというのに、この体たらくはなんなのだ。
死の一歩手間まで足を踏み入れた俺の眼下に広がっっていたのは、思わずそんなツッコミを入れたくなるような情けない状況だったんだ。




