番外編1 味見
本編終了後のお話です。1とありますが続き物ではありません。
長尾清隆がアリウスと同居するようになってしばらくした頃のことだ。
昼の生活はあまり変わらなかった。
今も運輸会社へ行き、倉庫や船の手配を取引先とやり取りしていた。
少し出社が遅くなったが、咎める者もいない。
帰りは相変わらず遅かった。
ゆっくり街を散歩したあと、徒歩で長尾邸へ帰っていく。
会社社長でありながら馬車に乗ることも付き人がいることも殆どないのである。
ある日、偶然港で通りすがったトレヴァーはそれを見て、
「旦那、もう少し企業の顔としての見られ方を考えてくださいよ」
と、社員でもないのにぶつくさ言う。
清隆は考えておくよ、とだけ答えて歩き出したが、すぐに姿を消してしまった。
ゆっくり歩いていたはずなのに、どこにも姿が見えないので、トレヴァーは夢を見たのかと思う。
「ただいま」
しばらくして清隆は自宅の玄関ホールにいた。
屋敷に使用人はいない。
自室でコートや帽子を脱いで、アリウスを探しに行く。
予想通り、彼はサンルームにいた。
ガラス張りのサンルームは植物に囲まれている。
そのテーブルでアリウスは月の明かりに照らされながら読書をしていた。
外出しなかったためか、今日は髪を束ねていない。
「明かりをつければいいのに……目が悪くならないとしてもだ」
「おかえり、清隆」
アリウスは本を閉じて、清隆の方に近づいてくる。
清隆は両手を広げてアリウスを受け止めた。
抱きついたアリウスが清隆の首に顔を埋めて、やさしく白い牙を突き立てる。
わずかに流れ出た血を口に含み、味わう。
「……アイリッシュ?」
アリウスが問いかけた。
「そうだな」
清隆は港のアイルランド系労働者たちの集まる酒場へ行き、酔いつぶれた男たちから少しだけ血を頂戴したのであった。
清隆が人間だった頃はアリウスは決して清隆を噛むことはなかった。
アリウスが求めるようになったのは清隆が吸血鬼になってからのことだ。
清隆はこの毎回の『味見』を密かに楽しみにしていた。
「それだけじゃ足りないだろう? 晩酌といこうか」
気づくとテーブルの上に金の杯が二つ置かれており、赤い血で満たされていた。
アリウスの領地である広大な『名無しの森』に貯蔵されている生贄の血である。
「毎日出歩いて血を探さなくても、数十年は蓄えがあるぞ」
「いや、早くこの生活に慣れたいから、少しでも『採集』をしている」
二人は乾杯して杯の血を飲み干す。
名無しの森の血も、外で得た血も、成分は変わらない。
しかし森の血は全てが混ざった無難な味がする、とはアリウスの談であった。
だから清隆が血を吸ってきた時の帰りに味見をしたがるのである。
「はぁ……清隆って、吸血鬼になっても真面目なんだな」
「アリウスの怠惰な生活では、数十年の蓄えも一瞬で消え去るだろうな」
数十年というのも、何も起こらなければの話である。
アリウスがもし規格外な神秘を起こせば、それだけ目減りしていくだろう。
「牙がないのに、毎日勤勉に吸血鬼をやっていて感心するよ」
アリウスが皮肉を込めて言った。
「影の刃を高速で飛ばして、ちょっと足首に傷を入れるだけでいいんだ。鎌鼬というのを聞いたことないか?」
日本に伝わる、痛みがないのに、気づいたら切られているという化け物の伝承である。
「痛くしないというのが中々難しそうだな」
「だから寝ている人を探すか、気絶させる必要はある……」
それでよく酒場へ行くのか、とアリウスは納得した。
座って寝ている者の足首に切れ目を入れ、垂れた血を影で受け止めて回収しているのであった。
必要な血を得たら致死量の血が流れないように、布などで縛って止血する。
清隆はこれをテーブルの下で影を使い全て行えるようになっていた。
「今度は清国の商人たちがいる店へ行ってくれよ。八角の香りが時々懐かしくなる」
「リクエストは受け付けていない……自分で行けばいいだろう」
清隆の返事を聞いたアリウスの目が輝く。
神秘を起こした時の激しい光ではなく、期待に満ちたきらきらとした輝き。
「一緒に行って食べよう」
「羽目を外したら死人が出る」
清隆の食事が『採集』なら、アリウスの食事は『狩り』であった。
吸血鬼になりたてのほんの数日間、清隆はアリウスの狩りに同伴していた。
旧市街の屋根を歩き、適当な獲物を見つけたら飛び降りて、あっという間に暗がりに連れ去るアリウスの姿を今まで清隆は見たことがなかった。
「おいで」
アリウスの呼びかけで清隆が路地裏に降りると、気を失った獲物をアリウスが差し出す。
その首には二つの傷跡があり、血を流していた。
清隆は傷跡に口をつけ、血を飲んだ。
その様子をアリウスは満足そうに見ている。たぶん餌付けしている感覚なのだろう。
それを見ながらアリウスも獲物の腕に噛みついて血を吸う。
「もういい」
「遠慮しないで、俺が加減してるから」
清隆は腹が血で満たされるずっと手前で飲むのを止めてしまう。
「一緒に血を飲む時間をもっと共有したいのに」
アリウスが寂しそうに言いながら獲物を手放し、自分の血を付けた指で傷跡を撫でる。
すぐに牙の傷跡は消えてしまった。
獲物は衰弱しているが、かろうじて息はあった。
それが終わったのを見届けた清隆はアリウスに口づけする。
(ほら、まだ満たされてないだろう)
アリウスは唇を噛んで清隆に血を与えた。
そしてそのまま二人は横たわり、満たされない清隆はアリウスを激しく求めた。
この食事を続けていたらいつか止まらなくなり、死人が出る、と清隆は不安であった。
そのため食事をするときは一人で出かけるようになったのである。
アリウスと一緒の時ほど燃え上がるものではなかったが、その分冷静になれる。
アリウスはそれが不満だったのか、あまり外出しなくなってしまった。
日がな一日屋敷で過ごし、読書したり植物の手入れをしたりしている。
ずっと寝ている日もあれば、何時間も風呂に入っている日もある。
「一緒に血は吸わないけど、中華料理は食べに行こうか」
清隆はアリウスが外に出ないのを心配していた。
食事に問題なくても、こんな生活を続けていては心が塞ぐだろうと。
「いいね」
アリウスも清隆の気持ちが伝わったのか、とりあえず了承する。
吸血鬼の共同生活は、始まったばかりなのにすでに暗雲が立ち込めていた。




