第21話 エピローグ:新たな日常へ
昨日のこと、あれは夢だったのだろうか。
八猫亭で朝食を食べるトレヴァーはぼんやりとしか昨日のことを思い出せなかった。
前の日に清隆がアリウスと一緒に舞踏会へ行って、そのまま帰ってこないので心配していたのだ。
そして店の外で町の人々が騒いでいるのに気づき、飛び出したが……。
「うーん、あの後どうしたんだっけ? かなり曖昧で思い出せないな」
朝食を食べ終わり、朝の仕事を始めることにする。
今日は足りなくなっていた食材を港の市場で仕入れてくるのだ。
トレヴァーは市場へ向かいながら、ボーダーポートの街を見渡す。
一見、昨日までと変わったところは無いように見える。
しかし、勘の鋭いトレヴァーは何かが少しだけ、違うように感じられた。
たとえば橋を渡る途中、視界の端に人にそっくりであるが、少しだけ異形の者とすれ違ったような気がする。
立ち止まって振り返っても、歩く人にそれらしき人はいない。
「……?」
港へ行くまでの旧市街は治安が悪いため、遠回りをするものも多い。
しかしトレヴァーは慣れっこなのでそのまま通過する。
道の脇に、浮浪者が寝転がっていることがある。大抵は酔って寝ていることを知っているのでトレヴァーは気にせず歩いていく。
そうした者たちがいる路地裏のさらに奥に、煉瓦造りの壁が奇妙に光り輝く場所があることまでは、さすがに気づかなかったようだ。
その後、港では特に何もなく、無事に食材を買い終えたトレヴァーは昼頃に八猫亭へ戻ってきた。
「おかえり」
酒場のテーブルには清隆とアリウスがいた。どうやら先ほど帰ってきたばかりのようだ。
「旦那、昨日どこへ行ってたんすか?」
トレヴァーが不貞腐れながら何度か店の出入り口を往復して荷物を運び込む。
「元の家を見に行ったりして遅くなってな、アリウスのところに泊まってた」
(まあ、間違いではないな……)
含みのある笑いをするアリウスの言葉が清隆の頭の中にだけ響くが、なるべく反応しないようにする。
「それでトレヴァー、店主とも話したのだが、近いうちにここを出ていこうと思うんだ」
「え!」
トレヴァーが清隆の言葉に驚き、荷物を落としそうになる。
清隆は話を続けた。
「もうこれ以上事件の証拠が出てくることもないだろうし、いずれ捜査も打ち切られるだろう。だから元の家に帰ろうと思うんだ」
「清隆さんがそれでいいなら、まあ……別に僕が何か言うことじゃありませんけど」
でもなんで急に? とトレヴァーは腑に落ちない顔をする。
ふと、その時になって清隆の顔になにか違和感があることに気づく。なにか前と違う気がするのだ。
目の色だ。ルビーのように真っ赤な瞳である。しかし、確か前は青い瞳だったはず。
トレヴァーが不思議そうに見つめているのに清隆は気が付き、席を立ってトレヴァーに近づく。
「私の顔がどうかしたのか?」
清隆がいつもの落ち着いた口調で話しかける。それと同時に一瞬だけ赤い瞳が輝いた気がした。
すると、トレヴァーの中にあった違和感が急に消えていく。
トレヴァーはもう一度舞踏会に出かける前の清隆の顔を思い出す。
今度は瞳は赤だったように思えた。
やはり、前から瞳の色は変わっていない。覚え間違いをしていたのだろう。
「すいません。なんか今日、街全体が妙に変な雰囲気で、急に不安になって……でもそんなわけ無いすよね。清隆さんもアリウスさんもいつも通りですし」
トレヴァーの言葉を聞いて、清隆とアリウスはほんの少し顔を見合わせた。
その後は特に何もなく、アリウスと清隆は酒場で過ごした後、清隆の家に向かうことにする。
「トレヴァーみたいな勘がいい子は街の変化に気づいてるんだろうな」
清隆の家に向かう道の途中で、アリウスが呟いた。
クラーク博士の儀式により、ほんの一瞬だが、この街は外界とつながっていた。
その間に、外から様々なものが入り込んだのである。
門が閉じたことで、その殆どはいなくなったが、微弱な影響は残っている。
それは人や物を少しだけ変化させて、尖った耳や力持ちに変化させ、あるいは路地裏の行き止まりに空間の歪みとして残っていた。
しかし、普通の人はそのような変化に気づかない。
魔力に敏感なごく一部の人だけが、違和感を覚えているようだった。
外界の存在そのものは残っていないはずだが、もしかしたら気づかれないように潜伏しているかもしれない。
「ああ、でも全体としてはそう変わりない。むしろヴェールドの活動が減った分、治安は良くなるはずさ」
清隆が答えた。
儀式の後、生き残っていたヴェールド構成員たちは、どうやら船に乗って街から撤退したようだった。
まだ残っている残党がいるかもしれないし、いずれ戻ってくるかもしれないが、今はとりあえず大丈夫だろう。
「だといいがな……」
もちろんいつまでも平和であると保証されることはない。
もし今後、魔術師や外界に絡んだ事件が起きたときは、対処できる可能性が高いのは自分たち吸血鬼である。
アリウスは、ボーダーポートにそうした何かがあったときは自分たちで対処したいと考えていた。
自分が街の異変の一端であるし、そうすることが、親しかった友人が残した街に自分ができることだからだ。
清隆といっしょに住むことにしたのは、そうした思いも含まれていた。
「それにしても、さっきは焦ったな。魔術師でもない普通の人は清隆の変化に気づかないだろうに」
アリウスの言葉を聞いて清隆は意外そうな顔をした。
「そうなのか?」
アリウスが説明する。
「俺が長年ボーダーポートで過ごしていても、誰も何も言わないだろう? わざわざ何年前からいるかなど調べない限り、俺たちはそうした違和感を抱かれにくいようになってるんだ。流石に宗一とトリシアには話してたけど」
おそらくそれも、吸血鬼が世界の情報を都合よく書き換えているからなのだろう、と清隆は納得した。
「そういうものか。でも舞踏会では結構目立ってた気がしたけどな」
「まあそれは、派手な格好をしてたしな」
後日わかったことだが、舞踏会の参加者たちに聞いた所、ヴェールドが乗り込んできてからの記憶は随分と曖昧になっているようだった。
アリウスが血の涙を流したところをはっきり覚えている者はいなかったようだ。
しかしこれは、吸血鬼の能力というよりは、ヴェールドの術または儀式の影響なのかもしれない。
「さっきので誤魔化し方はなんとなく分かったよ」
清隆は先ほどトレヴァーに近づいた時、彼の心を覗いて、ここ数日の記憶をほんの少しだけ改竄したのである。
「あまりに平然と使うからこっちが冷や冷やする。飲み込みが早いのはいいが、魔術師相手にやると反撃に遭うかもしれないから気をつけろよ……」
アリウスがため息を付く。そうしている間に清隆の家が見えてきた。
清隆の住んでいた家はしばらく手入れがされていないため荒れていた。
しかも先日ヴェールドの構成員が押しかけたため、一部破損している箇所もある。
「これはしっかり修繕しないといけないな……」
破損箇所を見回っていた清隆が呟く。
本来は屋敷を修繕して、アリウスも住めるようにするための下見だったのだが、それ以上に手をいれる必要がありそうだ。
そんな事を考えていると、突然アリウスの呼び声が聞こえる。
「清隆〜! こっち来てくれ!」
なぜそんな慌てているのかわからないので、清隆は急いでアリウスの方へ行く。
アリウスが庭園の端のほうで何かを見つけたようだ。
「これは、どういうことだ?」
清隆には理解できない光景が広がっていた。
庭園の端の、本来なら生け垣があった場所に別の空間がつながっていたのである。
そこへ近づくと隣にあるはずの隣人宅が見えず、森が広がっているように見えるのだ。
「どうも俺の影の破片がここまで飛んできて、名無しの森につながったようだな」
アリウスの言う通りなら、繋がっている先はこれまで話に聞いてきた、外界の『名無しの森』そのもののようだ。
「危険ではないのか? 閉じたほうがいいのでは……」
清隆は名前のない吸血鬼から聞いた名無しの森の話を思い出していた。
その森には入ると出られず、次第に森に取り込まれていくという。
「それが、破片を掘り出したら閉じれるかと思ったら見つからないんだ」
「うーん……」
清隆は困ったように腕組みするが、どうすればいいかわからない。
「とりあえず誰か間違って入らないようにだけしておけば、特別危険はないはずだ」
外界と繋がっているとはいえ、名無しの森の中であるので、その中にいるものが出てくるということはないらしい。
「では生け垣か何かで隠さないとな……」
清隆は修繕内容が増えていくにつれ、だんだん他人事に感じられてきた。
「それよりせっかくだから清隆、ちょっと向こうへ行ってみないか?」
アリウスが目の遠くなっていた清隆に声を掛ける。清隆は理解できないものを見る顔をした。
「はあ、しかし、森に入ると出られないのでは……?」
「いや、俺と一緒なら大丈夫」
アリウスは森の中を迷わず行き来することができるから大丈夫だという。
これまでアリウスは森に出入りする方法を忘れてしまっていたが、偶然外界への入口を固定できたのでそれを使って出入りする分には大丈夫なのだという。
「眷属にも会わせたいし、俺の城にも来てくれよ」
アリウスが目を輝かせながら森の奥に見える自分の城を指し示した。
前に見せてもらったアリウスの城が遠くに見える。
「そうだな……」
アリウスがずっと暮らしていた森がどんな所なのか、清隆も気になっていた。
行き来できるというのなら、行ってみるのも悪くないだろう。
そして清隆とアリウスは別世界の森へ足を踏み入れ、奥へと進んでいく。
この後もボーダーポートでは不思議な事件が起こるだろうが、それはまた別の機会に語られるだろう。




