第12話 血の涙
ホールの中の人々がざわついていたのは、突然知らない人々が室内に入ってきたからだ。
(あいつらは……!)
確認しようと室内に入りかけたアリウスの足が止まった。
なぜなら、その者たちはヴェールド構成員と同じローブを身に着けていたからだ。
「何者だ? 誰かの余興かね」
「警備の者はなぜ止めないんだ?」
舞踏会の参加者たちは彼らから距離を取りながら、ひそひそと話をしている。不審に思っている者もいれば、仮面舞踏会ならではの余興なのかもしれないと様子を窺っているものもいる。
会場内の出入り口には警備のスタッフがいたはずだが、今はどこにもその姿が見えない。
「紳士淑女の皆様、お初にお目にかかります。我々は隠された秘密を探求する者」
音楽の演奏されていた舞台に上がりこんだ構成員が、参加者に呼びかける。
その口調は芝居がかっていて、大部分の者はこれが余興なのだと思ったようだ。次第に周囲のざわつきが減ってくる。
「鉄の列車が馬ではなく蒸気機関によって行き交うこの時代にも、神秘は隠されているものです」
構成員がそういった後、右手を上げると会場内の明かりが消えていく。
(何をしようとしている?)
アリウスが構成員に近づかれないように警戒しながら、彼らの狙いを探っているのが清隆にもわかった。
すると舞台に上がった構成員たちは蝋燭を掲げながら歌い始めた。
「ルー、ラ、ハー、♪~♪~♪……」
その歌詞は意味のわからない、そもそも言語かも分からない音の羅列であった。
言葉の意味はわからないが、メロディーはゆったりと静かな格調高いもので、聞いているだけで清浄な建物の中にいるような気持ちになる。
教会の音楽とは全く違うが、聞いている印象だけは似ているのだ。
清隆が歌う構成員たちを見つめていた時、隣にいたアリウスが突然膝をついた。
「うっ……」
地面に伏せそうなほどかがみ込み、手で顔を覆っている。
「アリウス?」
清隆が驚いて声を上げる。
(あいつら、眷属の歌を逆さにしてる……!)
アリウスが苦しそうに地面を叩いた。
彼の影がぶるぶると震えていた。これまでとは違い、苦しくてのたうち回っているような動きだ。
清隆は以前アリウスに見せられた、名無しの森で繰り広げられる宴の様子を思い出した。
そこで彼の眷属たちが奏でていた歌や音楽は、やかましく騒々しいもので、今ここで流れている音楽とは対極のものであった。
(単に音楽の趣向が離れているというものではない……わざわざ一音一音、森の音楽を打ち消すように、音を選んで作った……ぐっ)
名無しの森の住民がアリウスを讃える歌の反対の存在、つまりそれはアリウスを貶める歌に他ならない。
歌が止まり、先ほどの構成員が口を開いた。
「……この歌は、真理の探究の末、怪物に喰われた同胞に捧げる歌でもあります」
怪物? と参加者たちから聞こえる。何かの比喩だろうかと疑問に思ったようだ。
「怪物……吸血鬼は本当に存在します。そしてこの会場にもいるのです」
構成員たちが一斉に蝋燭をテラスの方に向けたため、参加者たちの注目もそこに向く。
しゃがみ込んでいたアリウスに人々の注目が集まった。
「この者が吸血鬼であると証明いたしましょう。我らが同胞の血を飲んだものが、血の涙を流すところを」
次の瞬間、消えていた会場の灯りが回復する。
「!!」
人々が息を呑む音が聞こえた。
アリウスが両手で顔を抑えていても、はっきり分かる。
構成員の言った通り、彼の目から赤い涙が流れていたのだ。
人々の反応は様々だった。アリウスも含めて余興の一種だと考える者もいたし、すっかり恐れて彼から距離を置く者もいた。
中には血を見て驚き、倒れてしまった女性もいた。
次第に衝撃で会場内のざわつきが大きくなり、もはや舞踏会を続けることは困難でしかなかった。
「大丈夫か!?」
清隆が伏したままのアリウスに駆け寄るが、顔を上げないまま手で制される。
そしてアリウスは立ち上がり、顔の涙を手で乱雑に拭った。
「俺がこんなところに来たのが間違いだったのだ……」
アリウスは人々に背中を向け、テラスから飛び降りた。
身を投げたと思った人々が叫ぶ声が聞こえる。清隆はアリウスが無事であると分かっていたが、あまりのことに呆然とするしかなかった。
「不法侵入者、そこを動くな!」
会場の警備と、誰かが駅前から呼んできたらしい警察官たちが一斉に会場内に入ってきた。
そして侵入者である構成員たちを拘束しようとする。
しかし構成員たちは平然としたままだ。
「それでは我々も退散いたしましょう」
そういった途端、窓が割れ、木の蔓が舞台まで伸びてくる。
清隆は蔓に見覚えがあった。木の護符兵から生えていたものと同じだ。
構成員たちは蔓に捕まって持ち上げられ、窓からあっという間に会場の外へ逃げてしまったのだ。
(アリウスは大丈夫だろうか……?)
清隆は、ヴェールドたちが逃げたことも気がかりだったが、アリウスのことが心配であった。
とにかく、会場内は大変な騒ぎになり、警備や警察がなんとか抑えている状況だ。自然と舞踏会は中止の流れになるだろう。
混乱する人々の中をかき分け、清隆はなんとか会場の出入り口までたどり着く。
荷物を受け取ろうと受付で待っていると、その間に警備員たちの話し声が聞こえた。
「一瞬眠くなって、次の瞬間会場に変なやつらがいて大騒ぎに……」
「俺もそうだ。もしかして全員眠ってしまってたなんてことはないよな?」
ヴェールドたちが入ってきた時、会場の警備員に何かの術を使ったのかもしれない、と清隆は思った。
建物を出る直前、清隆に声をかける者がいた。
「清隆様。大変なことになってしまいましたね」
クラーク博士であった。どうやら彼は会場の外の椅子で休憩していたらしい。
「博士、あの集団が出入りした所を見ていませんか?」
「それが……どうも私も彼らに術を使われたみたいで、覚えてないのです」
警備員と同じく、博士も眠らされていたようだ。
ただ、『術』という言葉を使ったのが引っかかった。博士らしくない言葉であるのもそうだが、会場内で彼らはそのような言葉を使わなかった。
博士は『ヴェールド』が魔術や錬金術といった術を使う集団であることを知っていたのではないだろうか?
しかしこれ以上、なんと言って追求すればいいか清隆には分からない。
とにかく、今はアリウスを探すことを優先しようと考える。
(アリウスはどこに行ったのだろう……いや、きっとあそこだ)
清隆はアリウスの行った場所がなんとなく分かるような気がして、早足で劇場を後にした。