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第13話 月の下の庭園

 会場を飛び出した清隆が向かったのは、かつて自分と家族が住んでいた家である。

(この前、久しぶりに家に行こうとした時に、アリウスと出会ったのだな……)

 姿を消したアリウスは行方がわからなかったが、清隆はなんとなく、そこに行けば会えるような気がしたのだ。


 長尾邸はボーダーポートの住宅街の中にある、小高い丘の上の2階建ての屋敷である。

 庭も広く、フェンスの向こうに建物が見える。

 庭はしばらく手入れされていないため、荒れていた。

 清隆は久しぶりに門の鍵を手にして扉を開く。

 周囲を見回してみるが、一見、人がいるようには見えなかった。


「アリウス……?」

 名前を呼んでも反応するものはいない。しかし清隆は諦めず、屋敷の裏にある庭園の方へ歩いていく。

 庭園は庭師による英国式のガーデニングで飾られた箇所と、父が趣味で作っていた日本式庭園の再現の箇所で構成されている。

 日本式庭園はごく小規模な再現にとどまっていて、後に流行った日本ブームによる庭園のような豪華さはない。

 清隆は父から話を聞いていたから知っているが、知らない人が見ると池の周りに石が乱雑に並べられている風にしか見えないだろう。


 父が職人に言ってなんとか作らせた石灯籠らしきものの影で、何かが動いたことに気づいた。

 清隆はアリウスだと確信し、静かに近づく。


 影の正体はやはりアリウスだった。

 先ほど会場を去る前は気丈な振る舞いをしていたが、すっかり落ち込んだ様子で顔の涙を拭っている。

 その涙が血であったため、手袋も顔も赤黒く汚れてひどいことになっていた。


「アリウス」

 呼びかけられてアリウスは初めて清隆の事に気づいたようだ。

 驚いて慌てて立ち上がり、次に顔のことを思い出して気まずそうに後ろを向いた。


 清隆は何も言わずに岩に溜まっていた雨水にハンカチを浸して絞る。

「これで顔を」

 清隆はそう言ってアリウスに近づき、ハンカチで顔を拭うように促す。

 アリウスは清隆からハンカチを受け取って乱雑に顔を拭く。


「すまない。せっかくの舞踏会をぶち壊しにしてしまった」

「壊したのはヴェールドだろう。気にする必要はない」

 清隆がそう言っても、アリウスは納得いかないようだ。

 今回の舞踏会はヴェールドの調査のためでもあったが、アリウスは清隆が息抜きをしてほしいと願っていたのだ。

 それなのに大騒ぎになってしまい息抜きどころではなくなってしまった。


「息抜きなら、べつに舞踏会じゃなくてもいい。たとえばここでだっていいだろう?」

 清隆がいつのまにかアリウスの隣の岩に座っていた。

「心が読めるようになったのか?」

「違う、アリウスの考えていることならそれくらい分かる」

 清隆の言葉を聞いて、アリウスは改めて庭を見回した。

 宗一のもとに遊びに来た際、初めて庭で清隆に出会った時……それが何年前かはっきりは覚えていなかったが、まだ清隆は幼子であった。


 アリウスは昔この庭であった出来事を昨日のことのように思い出せた。

(あれは、清隆が初等学校の卒業の年だったはずだ……)

 何年も昔のことである。


 * * *


 その日もアリウスが宗一に会いに来た後、庭を散策していると清隆に遭遇したのである。

 清隆はあまり友人が少ないらしく、よく庭で本を読んでいた。

(今日は休日だというのに、外で遊ばないのかな)

 父が日本人であったことから、どうしても周りと溶け込めない部分があったのだろう。


 その時清隆は庭の木の枝に座って本を読んでいた。

 当時の清隆は今より少し髪を長く切りそろえており、黙っていると東洋の人形のような印象を与えた。

「進学したら寮生活になるけど……色々不安です」

 清隆は近づいてきたアリウスに顔を向けないままそう不安をこぼした。

「いじめられないか不安なのか?」

 アリウスが枝を見上げながら言うと、清隆は本を閉じて、アリウスを面倒そうに見つめた。


「それもですが、ひょっとしたらボーダーポートに帰ってこれないかもって」

「どういうことだ?」

 意外な返事に、アリウスが不思議そうな顔をする。

「鉄道とかうまくいくかわからないし、帰ってきたら父が事業に失敗して一家離散してるかもしれない」

「いくらなんでも悲観的すぎるだろ」

 アリウスが言うと、清隆は木から下りて、池の周りの石に座り水面に息を吐くのであった。

「全くです……父は生まれ故郷から遥か遠くのこの街まで来て、会社まで作ったというのに。僕は少し離れた学校へ行くだけでこんな気持ちになってしまう」

 父が偉大すぎて、自分はそれを超えられないという気持ちなのだろうか、とアリウスは思った。

「宗一の旅は確かに大変だったろうさ。でも彼一人だけで乗り越えてきたわけじゃない」

 アリウスはそう言いながら、清隆の横の岩に座った。

「一緒に乗り越えられる仲間が見つかるといいな」

 アリウスがそういうのを見て、清隆は少し不安が和らいだようだった。


 * * *


(あのとき清隆を励ました場所で、今は俺が清隆に励まされているなんてな)

 アリウスは昔のことを思い出しながら少し愉快な気持ちが芽生えてきた。

 清隆はアリウスの表情の変化を不思議そうな顔で見ている。

 彼は昔のアリウスとのやり取りを、果たして覚えているのだろうか。


「すまない。ちょっと昔を思い出してな……清隆が中等学校に行く前くらいのことだ」

「確かに、その頃会ったことありましたね」

 アリウスに言われて清隆はようやく思い出したようであった。

「寮生活でここを離れるのが不安そうだったな。結局、あの後学校へ行ってどうだった? 友はちゃんとできたか?」

 清隆の子供時代を思い出したためか、なんとなくアリウスが年上の親戚のような口ぶりになっている。


「この街で暮らしているだけでは分からないことが、色々勉強にはなりました。友はいたときも孤立してしまったときもあったけれど。恋人は常にいましたよ」

「おっと……」

 話が意外な方向へ行きそうになり、アリウスが目を見開く。

 アリウスは行ったことがないが、この時代の学校についての知識はいくらかあった。

 英国の全寮制の学校といえば、パブリックスクールが有名である。これは貴族や大資産家の子が行く名門校を指す。

 それ以外にもボーディングスクールと呼ばれる全寮制の学校が様々あり、清隆が行った学校はその一つであった。

 いずれにせよ、そのほとんどが当時は男子校である。


「まあ長い歴史の中で似たような例は色々見てきた……」

 アリウスが物思いに耽る。結婚前の若者を男子だけ、女子だけを集めて教育を行うことは、大なり小なり、多くの社会で行われてきたことだ。

 初期の例は地域社会の参入のためであったが、この時代、この国の場合は富裕層やエリート層への教育である。

「もちろんそれがうまく機能している部分もあるが、若者を特殊な環境に押し込める弊害もあるんじゃないかと俺は思っている」

「どういう意味だ?」

 清隆は話の方向が読めなくて奇妙な顔をした。

「若者だぞ。恋とかケンカとかしたい盛りだろ。そうした欲求をスポーツで昇華できるみたいな説もあるが、俺は信じない」

「……実は私もそう思う」

 清隆は少し考えた後、アリウスに同意した。

 全寮制学校で上級生と下級生、あるいは生徒と教師といった間で暴力沙汰などの事件が起きた、という話を在学中に耳にしなかったわけではない。

「そうだろう。まあ、とにかく……卒業して、それから街に戻ってきて、よく生きていてくれた」

 おそらく、清隆の学生時代は楽しいことも、酷いこともあったはずだ。それを詳しく聞こうとは思わなかった。

 アリウスは、幼い頃の清隆との間に流れた時間の長さに、改めて思いを馳せる。


「でも、私は別に『特殊な環境』故に今の自分がこうなったとは思ってない」

「それは、どういう意味でそう言っている?」

 アリウスは目を半ば閉じて、わざと意地悪するように尋ねる。

 本当は、心を読まずともだいたい分かっていた。

 父を好きだったか聞いてきたり、学校で男の恋人がいたとか、わざわざそれを自分に伝えてきたりするのは。

(特に、今の時代は、それをあえて口にするべきではないと言われるだろうに)


「私はダンスのときの印象でついあなたのことを……だが思い違いだったようだ」

 清隆が残念そうな顔をする。

「遠からずといった所だが。気持ちはありがたいがすまんな。まだ俺の中に昔の小さい清隆の記憶が残ってるんだ……少し時間をくれ」

 それを聞いた清隆は、何を思ったのかアリウスに顔を近づける。

 そして呆気にとられているアリウスの頬に触れ、指を口元の牙に沿わせた。

「今すぐ忘れさせてあげましょうか」

「調子に乗るなよ……しかし、この家に来るのも随分久しぶりだな」

 話に収拾がつかなくなりそうだと思い、話題を切り替えようと、アリウスは距離を取った。

「ああ……そういえば、二人でこの家をまだ調べてなかったな」

 清隆は突然思い出したように、自分のかつて住んでいた家を見る。

 このところヴェールドの動向を追ってばかりいたが、清隆としては半年前の事件の現場であるこの家の調査も忘れてはいけなかった。

 これまではなんとなく足を運ぶことができなかったが、アリウスと一緒なら、新たな手がかりが見つかるかもしれない。


「鍵もあるし、少し中を見ていこうか」

「そうだな。俺の眼で見れば、なにか新しい手がかりがつかめるかもしれない」

 アリウスが頷く。すっかり涙も止まり、いつもの顔に戻っていた。

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