十、標的 9、
「突然すまない。今の。アイリーン嬢、というのは、どちらのアイリーン嬢のことだろうか」
「っ。なによ急に。もちろん、ドレイク伯爵のところの邪魔なアイリーンに決まっているじゃない・・・って!あ!」
派手な扇を振りまわして語るアンドレアの後ろから、ブラッドフォードが地を這うような声で尋ねれば、面倒そうに振り向いたアンドレアが、その姿を認めて息を呑んだ。
「へえ、そうなのだね。ドレイク伯爵家のアイリーンと言えば、僕の最愛の婚約者で、今もこうして共に居るわけだけれど。そんな『フォー様』なんて奴からブレスレットを受け取ったように見せかけていたなんて、知らなかったな。アイリーン。どういうこと?」
「ブラッドフォード様。わたくしは、誓ってそのようなことはしておりません。それなのに、どうしてそのようなお話になっているのでしょう。不思議ですわ」
そして、黒い笑みを浮かべるブラッドフォードの隣で、アイリーンも困惑した面持ちで答える。
「そうだよね。それに、アイリーンがいつもしてくれているのは、僕が婚約の記念に贈った、僕の瞳の色の石と金細工のブレスレットだものね」
「はい。わたくしの、お気に入りでございます」
「もうっ!なんなのよ、いったい!フォー様!フォー様というのは、ブラッドフォード様のことです!分かっているくせに、意地悪ですわ!」
にっこりと笑い合うブラッドフォードとアイリーンを、ぎりぎりと歯ぎしりして見つめていたアンドレが、勢いよく嚙みついた。
「そうですよ、ブラッドフォード様。うちのアンドレアが可愛くて魅力的過ぎるから、素直に対応できないのは分かりますけれど。どうでもいいからと、他家の者を巻き込むのは感心しませんわ」
ちらりとアイリーンに蔑む眼差しを向け、ギャレット侯爵夫人が言い切るも、アイリーンは涼しい眼差しを返すばかり。
「まあ、怖い。あたくしが言ったこと、聞いていなかったのかしら。ブラッドフォード様は、あなたを隠れ蓑にして、本命のアンドレアに近づこうとしているのよ。理解なさいな。ほんと、ドレイク伯爵家は馬鹿ばかりね」
「なるほど。ギャレット侯爵家では、妄想で他家に迷惑をかけてもいいと、侮蔑の言葉を述べていいと、そういう家訓があるのだな」
アンドレアに負けず派手な扇を振り回して居丈高に言うギャレット侯爵夫人に、ブラッドフォードは厳しい目を向けた。
「なっ。フォー様。そんな言い方。久しぶりに、お話しできますのに」
「そうですよ、ブラッドフォード様。新たに我が家と婚約を結び直すことになるというのに、非礼でしょう」
揃って派手な扇を振り回して言いつのるふたりの後ろからは、ヒル男爵家の親子やアンドレアの腰巾着の令嬢達、それにマドリンが、同じように侮蔑の視線をアイリーンへとぶつけて来る。
よかった。
完全に、カイルから意識が逸れたわね。
「戯言もいい加減にしろ。私が婚姻を結ぶのは、終生、ここに居るアイリーンただひとりだ。そもそも、我々の婚約式での迷惑行為により、ギャレット侯爵家は一家揃って生涯に渡り、アーサーズ公爵家及びドレイク伯爵家への接近を禁じられているだろう。忘れたとは言わせないぞ」
威厳ある態度で言い切るブラッドフォードを、カイルがきらきらとした瞳で見つめていて、アイリーンは微笑ましい気持ちになった。
格好いいものね、ブラッドフォード様。
後で、ゆっくり語り合いましょうね!
ひとり、飛びぬけて身長の低いカイルは、周りに埋もれながらも、凛と立ち続けている。
それでも、アイリーンやブラッドフォード達が傍に来たことで、先ほどまでの強い緊張からは解き放たれた様子なのが見て取れて、アイリーンは心から安堵した。
この距離なら、何としてでも守ってあげられるから。
カイル。
あとちょっと、頑張ってね。
「そんな。婚約式でのあれは、ドレイク伯爵家の陰謀でしたのに。フォー様ひどい」
「そうですわ、ブラッドフォード様。アンドレアの言う通り、あれは悪辣なものでしたのよ」
尚も自分達の非を認めないふたりに、ブラッドフォードは更に声を強める。
「アーサーズ公爵子息。そう呼ぶようにと、何度も言っているよな。そのうえ今回は、他領や王家の事業まで侮蔑した」
ゆっくりと言ったブラッドフォードの隣にはクリス、そしてその後ろにはキーズ辺境伯子息アシュトンと、フレミング侯爵子息モーリスが控えていて、流石に分が悪いと感じたふたりは、焦りの表情を浮かべた。
「それは!ドレイク伯爵家なんかと、事業提携するから!」
「そうよ!クリス!それに、アシュトンもモーリスもひどいわ!あたくしを蔑ろにして!」
焦りながらも、ぎゃあぎゃあと喚き、騒ぐ。
そんなふたりに、三人は、ふっ、と小さく息を吐いた。
「有益、且つ信頼のおける相手と事業提携をする。それは、我がフレミング侯爵領でなくとも行うものと思われるが?」
先鋒の如くモーリスが冷徹に言い放てば、いつもの陽気さをどこかに置き去ったようなアシュトンも、冷ややかな瞳をふたりに、そしてその後方へと向ける。
「そういえば。あなた方は、米を食すことを悪だと言っているとか。ご安心ください。我がキーズ領の米は、今後一切、一粒たりとも、ギャレット侯爵家、ヒル男爵家及びハッカー子爵家、ラヴ子爵家に渡らないよう、手配済みですから」
「なっ」
「わたくしたちまで!?」
それを聞いて驚愕に目を見開いたのは、ハッカー子爵令嬢のエイダと、ラブ子爵令嬢のベッキー。
「まあ。何をそんなに驚いていらっしゃいますの?おふたりとも、ブラッドフォード様とわたくしの婚約式の時から、ギャレット侯爵令嬢と共にいらしたではありませんか」
「それはっ」
「だってっ」
こんなことになるとは思わなかったと言わぬばかりのふたりに、アイリーンは、殊更にゆっくりと口角を持ち上げた。
「安心なさって。そんなに仲がよろしいのですもの。ギャレット侯爵家が悪とする我が家、そして邪魔とするわたくしを、よく思わないのは仕方ないことと、理解しておりますから」
そう。
仕方ないと思ったのよ、あの婚約式の時には。
でも、今回、あなたたちがカイルにしたことは、絶対に許さないわ。
「ですからね。ギャレット侯爵家とヒル男爵家同様、今後は、我がドレイク伯爵家が関わる事業の製品すべて、皆様のご一族にはお譲りしないことに決めましたの。それから、我が領へ入ることも、一族の皆さま全員、ご遠慮していただけることになりましたから、ご安心なさって?」
「なっ」
「たっ、短慮はよくありませんわっ。りょ、領へも立ち入り禁止だなんて!そんなの」
察するに、ラブ子爵令嬢エイダもハッカー子爵令嬢ベッキーも、家は関係なく、単独で動いているのだろう。
でも、もうそんなことも関係ないと、アイリーンはにっこりと笑う。
そして、そんなアイリーンに、負けず劣らずの笑みを称え、王妃陛下も前に出た。
「ふふ。当然、王家も同じように動きます。クリス。まさか、後れを取るようなことは、ありませんよね?」
「もちろんです。母上。万事、恙なく」
そして、とどめのように王妃陛下が決定を述べ、それにクリスが答えれば、その顔は真っ青になった。
ありがとうございます。




