十四、ひとりだけ、違う世界を生きている 9、
「・・・あまい」
「ケーキ、食べましたから」
「アイリーンって、いっぱいいっぱいになると、真面目な声で理論的に話しはじめるよね」
「分かっているから、わざわざ言わないで」
唇はもう触れていないものの、再び触れてもおかしくない至近距離で見つめ合ったままブラッドフォードに言われ、精神が許容範囲を声かけえているアイリーンは、拗ねたようにそう言った。
「ごめん。なんだか、可愛くて」
「・・・・・ブラッドフォード様は、随分余裕がある感じで、もやもやします。これが、練習の成果というものですか?」
女性は、さらっと、本当にひと言ふた言で終わってしまうような閨の授業も、男性側はしっかりと習うと聞いているアイリーンがそう言えば、ブラッドフォードが、アイリーンの鼻をちょんとつつく。
「そうかもしれない。父上やドレイク伯爵、それからたくさんの成人男性に、色々と教えてもらったから」
女性と親密になったとき、自分を偽らず、リードしなければと無理し過ぎて自分の余裕を無くし、居丈高になって相手を見下した発言などするのは最悪だと、皆、自分の経験をもとに肩ってくれた。
『いいか?いい気になってはいけない』
『最初は自分も不安だが、相手はもっと不安だと思え』
『とにかく、相手を思いやれ。自分だけで、先走るな』
『殴られても、殴り返すな』
なかには、いったい何があったのかという助言もあったなと、ブラッドフォードが思い出していると、アイリーンが、小さくため息を吐く。
「ブラッドフォード様。閨教育で他の女性と触れ合うのは、仕方のないことかもしれませんが。私の前で、そんな、あからさまに回想しなくてもいいではないですか。まあ、言い出したのは、私ですが」
「え?僕が思い出しているのは、助言をもらった男性貴族の皆さんだけれど?」
『割り切れません』と、首を横に振るアイリーンが何を言いたいのか分からないまま、真実を言ったブラッドフォードに、アイリーンが固まった。
「え?」
「『え?』って、アイリーン・・・ん?さっき、女性と触れ合うと言った?僕は、一切、そんなことはしていないよ。まあ、耳では色々聞いたけれど」
「そ、そうなんですね。てっきり、女性と、その、色々練習しているのだと思って」
「なるほど。していないから、安心して・・って。そうか!妬いてくれた、ってことか!ありがとう!アイリーン!凄く嬉しいよ!」
言うなり、アイリーンを抱き上げ、ぐるぐると回り出したブラッドフォードに、アイリーンが待ったをかける。
「ちょっ・・ブラッドフォード様!ここ、お店ですから!」
「ははっ。お店だから、っていう理由で止めようとするの、最高だね。だって、前は『落とされそうで怖い』だったのに」
ゆっくりと止まり、アイリーンを優しく下したブラッドフォードが嬉しそうに言えば、アイリーンも微笑んだ。
「今はもう、そんな心配皆無ですから」
「そうだね。アイリーンを抱えて走ることも出来るし、馬に乗ったまま弓を引くことも出来るようになったし、正座も出来るようになった」
指折り、自分が出来るようになったことを言ったブラッドフォードの、その最後の言葉に、アイリーンは苦笑してしまう。
「正座は、別に」
「だって、僕にとって、正座は特別だから」
初めて出会った時の話を持ち出され、アイリーンは、真っ赤になった。
「そろそろ、忘れませんか?」
「忘れないよ。アイリーンと初めて会ったとき。いきなり正座されて、本当に驚いたからね。きっと、一生、あれほどの衝撃は無いと思う」
「あの時は、かなり錯乱していて。相当にとち狂っていたと、自覚しています」
公爵令息に対し、いきなり正座をして婚約を希望しないと言ってくれと発言をした、あの日が懐かしくも恥ずかしいと、アイリーンは頬を染める。
「すっごく可愛いのに、話すことは不思議なことばかりで。またたくまに、アイリーンにのめり込んだんだよ。知っていると思うけど」
「私の話を、笑わずに聞いてくれて、すっごく嬉しかったです。お蔭様で、私もよく考えられるようになりました」
突飛な発言をしても、変人扱いされない。
今にして思えば、それがどれだけ有難いことだったかと、アイリーンは、改めてブラッドフォードとの出会いに感謝した。
「それを言うなら、僕だよ。アーサーズ公爵領の絵具問題とか解決してくれて、領も豊かになった。それに、一緒に色々なことをするのが、本当に楽しいから。これからも、一緒に考えて行ってほしい」
「こちらこそ、よろしくお願いします、ブラッドフォード様。私を選んでくれて、本当に嬉しいです」
ヒロインが居る世界に転生したと知って、恐怖に震えた日もあった。
けれど、ブラッドフォードやたくさんの仲間たちと出会い、共に過ごして、その恐怖は領や国の発展の喜びへと変わって行った。
「アイリーンも。僕を選んでくれて、ありがとう。僕は、他の女性と恋に落ちるんだって、一目ぼれした相手に言われたときは、どうしようかと思ったけど。僕を、信じてくれて、ありがとう。ずっと、一緒に生きて行こう」
「はい」
明日は、いよいよ建国祭。
昼間には、カイルがりすの仮装をする、子供たちのパレードがあり、夜には舞踏会がある。
そしてそこに、ゲームのヒロインであるベティ・コーツは存在できない。
「この世界は。私が知るゲームの世界とは、既に随分違っているのですけれど、コーツ男爵令嬢は、その。私が変革してしまったことにも気づいていないと言いますか、お米などもあるのに、それはすべて自分が存在するからだと信じているようなのが、気になります」
「ああ。節操無し女だけは、元のゲームの世界で生きているよね」
先ほども、アーサーズ公爵領で事件が起きると言っていたベティ・コーツを思い出し、アイリーンとブラッドフォードは遠い目になった。
「未だに、王都では疫病が発生すると言っていますし、キーズ辺境伯領では蝗害が、フレミング侯爵領では大森林の火災が起こると、預言のように触れ回って」
「誰も信じていないし、実際、もう起こらない事件だから、気にしなくていいと思うよ?」
遠く離れた領地ならともかく、特に大きく変わった王都を知らない、知ろうともしないのだからと言うブラッドフォードに、アイリーンは曖昧に頷く。
「それでも。私が生き残りたくて、変えてしまった世界かなって」
「うん。それで、多くのひとが助かった。大森林は火災にならず、今も清涼な空気を生み出しているし、蝗害に苦しむことも無いうえ、米の価値が格段に上がった。それに、元貧民街のみんなだって、明るく生き生きと笑うようになったじゃないか。アイリーンは、この国の向上のために、持てる知識を使ってくれたんだ。落盤事故を未然に防いでもらったアーサーズ公爵領の次期当主として、アンブラー王国の一家臣として、とても感謝している。そんなアイリーンが僕の婚約者であることが、誇らしくてたまらないよ」
そう言ってブラッドフォードは、たれ切っているアイリーンの両目の端を、指で持ち上げた。
「ブラッドフォード様」
「だから、そんな顔しない。すべて後悔せずに済む人生なんて、傲慢だと思うよ?それに。アイリーンが背負うなら、僕も一緒に背負うから。少し分けて。ほらほら。いつまでもくよくよしていると、カイルが心配して、しょんぼりりすになってしまうよ?」
言われ『おねさま、どうしたの?どこか、いたい?』とアイリーンの背を撫で、りすの仮装のまま、へにょりと眉を下げているカイルの姿を容易に想像できたアイリーンは、きりりと、その瞳を開く。
「うん。可愛いたれ目になった」
「変わらないじゃないですか!」
思わず叫び、アイリーンは、気持ちがすっきりしていることに気づいた。
「いい顔になったよ、アイリーン」
「なんだか。ブラッドフォード様の手のひらの上のような気が」
「いいじゃないか、それで」
「ブラッドフォード様がそう言うのなら、そういうことにします・・・あ、やっぱり手のひらの上!?」
混乱したように言うアイリーンの髪をひと房手に取り、ブラッドフォードがくるくると巻く。
「いいことになったんだから、問題ないよ」
「そう、かな?なんか・・・うーん。まあ、いいです」
「なら、よかった」
「もう」
「牛かな?ホルスタインもジャージーも可愛いけど、アイリーンが一番だね」
「牛乳プリンも美味しいですしね!」
瞳を輝かせて言うアイリーンに、ブラッドフォードが苦笑する。
「そっちなんだ。うん、大丈夫。知ってた。今度また、牧場に行こうね」
「はい!楽しみにしています!」
笑い合う、ふたりが居る王都は今日も平和で。
遠い領地では米や麦が実り、花や緑は鮮やかに咲き、光に輝いて風にそよぐ。
人々が、希望に満ち、笑いさざめくアンブラー王国。
そのなかで。
「みていなさい。あたしの魅力で、絶対にイベントを起こしてみせるんだから!」
ベティ・コーツもまた、そう決意を新たにしていた。
完
ありがとうございます。




