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姫柊彩華再び

「助けていただき、ありがとうございました」


申し訳なさそうな表情をしながら榊さんは頭を下げる。すぐに最初の彼女の表情が頭をよぎり、その言葉すら信用できなくなっている自分に嫌悪感を抱いた。


僕に抱きついたまま寝息を立てる早乙女さんを撫でる。気持ちよさそうにむにゃむにゃと口を動かす姿はまさしく赤ん坊のようだ。


「それで、榊さんはどうしてここに来たんですか」


僕の言葉を聞くと榊さんは気まずそうに目を逸らした。先ほどのこともあったし無理もないか。


「いくつか理由はありますが、最も大きいのはABN-132α-102……乙子狭姫オトゴサヒメと呼んだ方がいいですよね。あの個体が私達との取り決めを破り、あなたや姫柊彩華と接触することになった理由を伺いに来た所存です」


取り決め……確か101号室と106号室には相互不干渉という話だったっけ。


「理由はさっき早乙女さんが話してた通りです。石巣比売神イワスヒメノカミさまが天上の座に帰られたということで、代理の管理者が必要になったのが理由です」


「そうですか」


榊さんが立ち上がる。彼女は僕らを見下ろすと、やはり汚物のようなものを見るような嫌悪の視線を僕らに――おそらくは僕の胸の中で眠る早乙女さんに――向けた。僕の表情に気づくとすぐにその表情を隠した。


「秋津平坂さん。一つ忠告しておきますが、乙子狭姫オトゴサヒメは嘘を――いえ、何か隠し事をしています」


「どういうこと?」


「神格の差異があるとよくないからこそ人間の秋津さんに頼んだと言っていましたが、人間に歳の差があるのと同じように『神格』に差異があるのは当然のことなのです」


「最も格の高い石巣比売神イワスヒメノカミが管理者を務めていたのもそのためだと?」


「ええ。ですので彼女が神格の平等にそこまで拘る理由が分かりません。加えて乙子狭姫オトゴサヒメであれば十分管理者を務める格があるはずなんです。それなのにあなたに悟らせないためにわざわざ早乙女などという偽名まで使っていたのですから」


「……」


悔しいけど何も言い返せなかった。姫柊さんも早乙女さんのことは一目いちもく上に見ているのは明らかだったし、早乙女さんもそれを強く否定しようとはしていなかった。それに榊さんが「早乙女」を偽名だと知っているということは、ADA相手に本名は隠してはいなかったことを意味している。


「なにかあればそこに連絡を。身の安全と情報への対価はお約束しますので」


そういうと彼女は僕の返事を待たずして玄関の方へと消えていった。ドアの開閉音が聞こえてくる。


疑念と安堵の混じりあった感情を僕はうまく消化できずにいた。僕にしがみついているこの神が何を考えているのか。早乙女さんと榊さん、どちらを信じればいいのだろうか。


もぞもぞと胸の中で白い毛玉が揺れる。


「……ADAに関しては、信頼はできないけど信用はしても良いと思うよ。倫理観はさておき彼らの信念は本物だから」


「でも、早乙女さんのことを異常アブノーマルと呼んだのは嫌だった」


彼女の背中をさする。この小さな体で僕を守ろうとこれまでずっと頑張って来たんだ。たまにはこうやって甘えたってバチは当たらないだろう。


「その気持ちだけで嬉しい。それに、秋津って苗字になったんだね」


「そうみたい。旧姓だから母親が親権をとったのかな」


彼女の髪の毛を撫でる。他の毛と違い人の毛のようなサラサラとした触感だ。指を櫛のように通しても、絡まることなくするすると抜けていく。


「秋津ってのはトンボのことなんだよ。とっても素敵な苗字だと思うヨ」


「トンボ?あんまりいい苗字だと思えないけど」


「トンボは稲作とは切っても切り離せない、田んぼの守護の要だったんだ。それに日本のことを昔は秋津国とも呼んだんだよ」


「そうなんですね」


早乙女さんの耳に手を動かす。髪の毛の隙間から伸びる耳はまるで大きな一枚の広葉樹の葉っぱのようで、触るとしっかりとした肉厚を感じた。


ぽかぽかとして気持ちがいい。内側の毛は少し湿っていて、触ると毛束感があって面白い。


「あ、あのー……」


早乙女さんが珍しくしおらしい声を漏らす。やはり元気がないようだ。


「今は甘えていいんだから、気にしてないで」


「そうじゃなくて」


彼女が僕の胸に手を押し当てて、ぐぐっと圧力をかける。僕の身体から離れた彼女の顔を見ると、真っ赤になっていた。


「ボク、そこ弱いから……」


涙で潤んだ彼女の瞳がと目が合う。早乙女さんがすぐに目を逸らしたことで彼女の言葉の意味を理解した。


慌てて飛び退く。彼女も同じように僕から距離を取ると、少しの沈黙が2人の間に流れた。


早乙女さんのこういう表情を見るのは2回目だ。1回目は彼女のことを直接祈った時。彼女の女性としての一面を見ることがほとんどないだけに、僕の心臓は早鐘を打った。


「……」


「……っ」


しかし沈黙を破ったのは意外にも僕らではなかった。


黒電話の音が鳴り響き、2人の視線がそこに集まる。僕が取るよと目で合図すると彼女も頷いた。


電話をとる。


「あのあのあのあの、やっぱり動画だけだと信仰足りないみたいなんで、助けてもらえますせんか……」


受話器からは聞き慣れた女性の泣く声が聞こえて来た。


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