第零話 エピローグ / 泡沫の日々(あとがき)
ここまで一緒に旅をしてくださり、本当にありがとうございました。
幾度となく、春は巡ってきた。その度に桜は舞い、あっさりと散って、枝葉は新緑に染まる。
それを眺めては、思い出す。巡る度薄れていく記憶の中に生きる、英雄のこと。そして、願う。どこかの世界でも、どうか、彼らが幸せであるように。
この世界の幸せを何よりも願ってくれた、彼らのために。
「ひなちゃぁーん」
校庭に根付く大きな桜の木の下で踊る花弁を見上げていると、遠くから風に乗って自分を呼んでいる声が聞こえてきた。見ると、最後の制服を着た女子生徒が二人、もらったばかりの黒い筒を振り上げて、可愛らしい花束を手にこちらへ歩いてくる。
「こら、『先生』でしょ」
「もう卒業したから、良いんだよ」おさげ頭の一人がしたり顔で言う。「ねぇ、一緒に写真撮ってー?」
「うん、良いわよ」
校内では出すことを禁じられているスマートフォンも、今日は解禁だ。一瞬にして撮られた写真を画面越しに見せてもらうと、細い彼女たちに並んでいると腹が大きいのが非常に目立つ。産休に入るギリギリだったが、教え子たちの巣立つ姿を見ることができて良かったと思う。
「ひなちゃんの授業、ほんと好きだった」
「あなたよく寝てたじゃない」
「ねぇごめんー! 疲れてたの、部活でぇ!」
「大丈夫なの? そんなんで。あなたヒーローになるんでしょう?」
そう、彼女は来月から、あの会社に入る。
ヒーローになるという夢を叶えるために。
「わかってる! 頑張るから、私!」
彼女たちの世代は知らない。
シールドが壊れ、モンスターが世界に蔓延っていたあの頃を。
ヒーローたちが、世界の未来と誰かの幸せのために、自身のすべてを懸けて戦っていたことを。
「ひなちゃんが聞かせてくれたヒーローの話、感動した。あれで進路決めたんだ、私」
だから、知っていることを語った。
自分にできるのはそれくらいしかない。世界は無情で、残酷なものだ。誰かに語り継がなければ、廻る力に呑み込まれてあっという間に消えてしまう。彼らの存在が、なかったことになってしまう。
シールドは今日も世界の平和を守っている。その下で、ヒーローは『アイドル』——今日もこの世界のどこかを跳び回り、人々の困り事を解決している。それで良いのだ。それは平和の象徴であり、彼らのもたらした、遺産だ。
だが、ほんの少しでも良い。彼らのことを知ってほしい。誰かの記憶の片隅に残ってくれたらそれで良い——そう願って、毎年、新しいクラスを持つ度にその話をする。
ヒーローは、人間だ。
怪我をする。病気にもなる。ご飯をたくさん食べれば太るし、甘いものも好き。時々意地悪もするし、喧嘩もする。彼らが強いのは仲間がいるからで、決して一人では戦えない。楽しかったら笑うし、誰かを好きになって、大切な人が傷付けば悲しみ、悩んだり、落ち込んだり、立ち上がれないこともある。
そして、死んだら二度と、生き返らない。
そういう、ただの、人間たちの話を。
「先生も困ったら、呼んでよね。私、すぐ行くからさ」
頼もしい限りだ。
——心配いらないよ。
ママたちが守ってくれた世界は、今日もちゃんと廻ってるよ。
だから、もうしばらくそっちで、楽しんでいてよ。
とびきりの笑顔で手を振り、駆けていった二人の背中を見送って、再び顔を上げると、ひらひらと落ちてくる桜の隙間に緑色の葉が覗いていた。今年の桜は気が早くて、まるでどこかの誰かさんのようである。
笑っているのを見られたのかもしれない。柔らかな陽だまりの中、吹いてきた風は少しだけ強く、母になるその背中を押した。
二〇二二年、十月——長きに亘るコロナ禍を抜け出し、世の中が漸く、数年前までの日常を超える活気を取り戻しつつあった頃、横浜市の演劇コンクールに足を運んだのがすべての始まりだったと思います。あの日あの場所へ行かなければ、あんな展開にはならなかったと、何度考えても思うのです。
僕は小さな頃から物を書いているのが好きでした。中学で演劇部に入り、脚本を書くという行為があるらしいと知り、誰に教わるでもなく見よう見まねで手掛けるようになりました。が、元々は自分が寝ている間に見た夢を小説として書くことをしていました。中学から大学までの間に脚本をいくつか生み出し、それはそれで面白かったのですけれど、やっぱり自分の世界を自分の思うとおりに、リアルに表したいのならば脚本では足りないという結論に至り、卒業して演劇から遠ざかるにつれて徐々に小説を書くほうへと戻っていきました。
すべて独学、プロ志向ではありません。一時、文学賞の類いに応募してみようかと考えたこともありましたが、あくまで僕が書くのは、僕が何気なく創り出した『箱庭』が何かの拍子に成長を遂げてしまった場合に、そこの住人たちに起こった出来事限定です。気が向かなければ書きませんし、誰かの需要も関係ないし、検閲校閲もありません。ありきたりな内容、先の読める展開、炎上しそうな台詞や思考回路、どこにでもいそうなキャラクター——僕の作った世界ではオールフリー、すべて、その人物がそうありたいのならばそれで良しと決めています。だから、万人に認めてもらう必要などないのだと気付いて、それからは自己満足のためだけに物を書き続けています。それがたまたま誰かの目に留まり、たまたま価値観が合って良いねと言ってくれたら、それはとても素敵なご縁だと、ありがたく頂戴するだけで十分なのです。
急加速し始めた世の中にただ押し流されるだけだったあの日、唐突に「もう一度芝居をしよう。脚本を書いてほしい」と言われ、冗談抜きにネタも何も手持ちがありませんでした。学生時代というのは、良くも悪くも子どもで、物を知らない馬鹿です。だからどんな些細なことでも煌めきに満ちていて、それは物語になれますが、大人はそうはいきません。それも四十代がすぐそこに見えてきた素人が集まって、天使だの妖精だの、ボーイ・ミーツ・ガール? そんな物語を紡ごうとするならば喜劇にしかならない。男性がいない集団の中でラブストーリーを目指すならどこかの歌劇団になってしまうし、お仕事サクセスストーリーも生の舞台にのせるのは難しい。悪者に倍返しをするような水戸黄門的スカッとストーリーやサスペンスを三十分で語る技量は自分にはなく、はたまた歴史を語れるほどの知識もない。
社会人って、本当にネタにならない時間の中を生きているのだなあ。昔は誰だって、「大きくなったら◯◯になりたいの」と大きな声で話していたはずなのに。そうだ、自分もそうだった。今となってはしがないサラリーマンだが僕は『セーラームーン』になりたかった——ネタがないと言う僕のために皆が様々なアイディアを出してくれている間に、知人のお嬢さんが塗っていた絵を見て、ぼんやりとそんなことを思い出していました。どうやら今の子どもたちの夢は『プリキュア』のようです。男の子だったら何なのでしょう? でも◯◯レンジャーなんて名前の特撮ヒーローは今もいるし、『アンパンマン』は誰もが知る古参ヒーローです。要するに今も昔も、男の子も女の子も、皆ヒーローには憧れる。大人だって、困っている誰かに損得関係なく救いの手を差し伸べるその人のことをヒーローと呼び、讃えます。そう、皆ヒーローが好きなんです。
じゃ、そういう話にしようか。
幕が開いたら夢の始まり。演劇から離れて十八年、もう二度と見ることのないと思っていた夢を見るチャンスをもらった。ならば、そこに本物の夢をのせてやろう。
まっさらな箱庭に種を蒔き、顔のないマネキンを放ったら、あとは放置。僕はその箱庭で起こるすべてを見て、文字に起こせば良いだけ。とは言っても、最初は喜劇になると思っていました。だって、素人おばさん集団が揃いも揃ってキラキラの美少女ヒーローのコスプレをして舞台に立っているだなんて、どう考えても絵面として耐えられないでしょう? 煌めきを失った中年が魔法少女だなんてあってはならないのですよ、痛すぎです。仕事だったら裏方稼業に転身です。それに当初目標であった三十分なんて短い中に起承転結、奥深い話をまとめる技量は僕にはありません。中身のない喜劇にしてどんちゃん騒ぎをしているうちに幕が下りれば十分だろうと思いました。そうなると踏んでマネキンを放ったのに、ならなかった。真理子に解雇通告をしたチーフが店を訪ねてきた時、「ああ、この話はそうはならないんだ」と知りました。せっかく『エロティカセブン』を聴いていたのに、一瞬で中島みゆきさんになってしまった。『銀の龍の背に乗って』はずっと頭の中に流れていましたね。King Gnuさんの『三文小説』なんかもよく聴きました。とにかくこの箱庭は、喜劇なんかとは程遠く暗かったんです。
それでも淡々とマネキンに任せていたら、データを興してから約二週間——上演時間七十五分の脚本ができました。当初このデータに名前をつけなければならず、仮のタイトルとしていたのが『葉桜英雄奇譚』です。でも三分の二程度書き進んで結末が見えた時、「この話のタイトルはこれじゃない」と思って『ママはヒーロー』に変えました。なぜ『葉桜英雄奇譚』なのだろうと思っていましたが、小説を書いたらしっくりきました。この脚本は途轍もなく長い物語のほんの一部でしかなくて、これはちゃんと『とある人の物語』だったんですね。
ヒーローは、人間だ——必ずというわけではありませんが、ヒーローや主人公って死なない場合が多いと思うんですよね。正義は勝つし、悪は滅びて、皆スカッと幸せハッピーエンド。最終回がやって来ても「◯◯は今日もどこかで悪と戦い続ける……‼︎」なんてナレーションが入ったりして。でも人間って実際そうはいかないですよね。胸糞の悪い思いもするし、もやもやしたまま解消されないこともしばしば、悪は悪のまま蔓延って、バチが当たることもなく、時にそれが正義とされてしまうことさえある。それが現実です。そしてどんなことがあろうと、生き物はいつか必ず死にます。美しく、潔く、時に残酷に、不条理に、死にます。
僕の役割は彼らがきちんと死ぬまで、人生を見届けることでした。そうして初めて、彼らは「ただの人間だった」と言える気がしました。だから一年半かけて見て、書きました。僕に文才がないから、上手く表現してやれなかったところがたくさんあって、彼らには申し訳ないなと思う点もいくつもあります。こうなってくれたら良いのにと望んだことは、たいていそうはならなくて、僕自身悲しい思いもたくさんしました。それでも、とても楽しかった。時に泣きながら、怒りながら、ニヤニヤしながら、本当に楽しい時間でした。
一つ言ってやりたいと思っていたことは、英斗くん。君はね、男の子としては、どうかと思うよ、うん。ルックスは良いのかもしれないけれど、君はね、あおちゃんじゃなかったら、無理だよ。感謝しな? たぶん、あの子は賽の河原で石を積んでいるだろうから、早く迎えに行って。あと、もういい加減食べなよ。な? 何度後ろから引っ叩こうと思ったか知れないよ。あおちゃんはきっと嫌がらないから、いい加減僕を安心させてくれ。人生の八割くらい葵のことしか考えてないって君にはもはや狂気を感じるよ。
腹が立つから個人情報をここで公開してしまいますが、英斗の本当の身長は172cm、体重は63kg。ヒーローずかんには『女の子』として、真実より少しだけ小さい数字が載っています。
これまでいろいろな物語を書いてきて、いろいろな登場人物に死んでもらってきたけれど、彼ほど早く死なせてやりたいと思ったキャラクターはいないかもしれません。たいていは「嫌だなあ、この人ここで死んじゃうのか」って残念に思うし、悲しいので。
最後に、これは『とある人の物語』としました。とある人が誰だったのかは、最後まで見た人にはきっとわかったんじゃないかなと思います。これはたくさんの人の物語であって、とある人が一生をかけて一人を愛する話だったのだなと、僕自身も最後まで来て漸くわかりました。長かったし、途中しんどいところも多かったけど、人生なんてきっとそんなものですよね。いつの間にか彼らはマネキンではなく、実在する友達みたいな感覚になっていました。この話は完全なフィクションですが、それぞれモデルになっている地域や建物、風景はあるので、そこへ行ったら本当に彼らに会えるんじゃないかと時折思うのです。それくらいに、自分の中では人としてリアルになってしまいました。
生まれてくれてありがとう。君たちは僕の一生の友達。
また、夢で逢いましょう。
二〇二四年七月三十日




