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銀色の北十字 肆  作者: たき
9/13

(9)

 朝、星座キグヌスを訪れた摩羯は、天鵝宮に立ち寄った。主が帰らなくなって何日も経っている星宮はどこかひっそりとして見えるが、それも今日で終わる。

 出迎えた女官に来訪目的を告げると、快く案内してくれた。そうして天鵝の私室に入った摩羯は、開け放たれた窓から入る心地よい風に色違いの双眸を細めた。

 まもなく、女官から報告を受けて女官長が顔をのぞかせた。女官長は摩羯の左耳で揺れる青紫色の玉の耳飾りに気づき、目尻のしわを深くした。

 いよいよ今夜、陽界に入る。必ず天鵝を救い出して帰るので、皆で待っていてほしいと言う摩羯に、女官長は低く頭を下げた。

 再び一人になった室内で、摩羯は机に歩み寄り、そっと表面をなでた。どんなに多忙でも、天鵝は机の上を雑多なままにしない。それは衛士統帥執務室も同様だった。普段はその几帳面さが好ましかったが、天鵝の名残をわずかでも探し回る今は寂しかった。まるで天鵝が跡形もなく消え去ってしまったかのような錯覚に陥るのだ。

 あのとき、なぜ天鵝から離れてしまったのか。東雲の提案を怪しみながらも受けてしまったのか。つきぬ後悔に打ちひしがれた。

 昴祝を捕らえることは長年の悲願だった。それを知る天鵝が、摩羯を昴祝のいる可能性が高いほうへ行かせるのは当然で、摩羯自身も好機と考えた。

 あせりもあったのだ。早く憂いを取り除きたい、何の心配もなく天鵝と寄り添いたいと。

 その結果、天鵝を失った。すぐには参上できない、遠く離れた場所に――さらわれてしまった。

 天鵝を守ると約束したのに。

 灼熱竜の執着は尋常ではなかった。わざわざこちらの世界にまで意識を飛ばし、実体化させるほどに天鵝を求めていたのだ。

 慣れない場所で一人耐えている天鵝がどんな思いで星杖にさわっているかと想像するだけで、息がとまりそうだった。

 もし間に合わなければ――婚儀の日を迎えてしまったら。あるいは、有明皇子の手に落ちてしまったら。

 天鵝の耳飾りを持つ資格はなくなってしまう。大事な主の危機に駆けつけることができない腹心など、存在する意味がないのだから。

(姫様……)

 自分が行くまでどうか、どうかご無事で。

 机に置いた手をこぶしに変え、摩羯は陽界にいる天鵝に向けて想いを送った。



 火使団の詰め所に呼ばれた白羊は、奥で一人たたずむ獅子の背中を目にして足をとめた。

「来たか」

 ふり返った獅子が口の端だけで笑う。今夜には出立するというのに、いつもと変わらない余裕ある態度の獅子にしかし、だからこそ違和感を覚えて動けなくなった白羊に、獅子が浅緋色の瞳をすがめた。

「勘がいいな。いいから来い」

 命令に、どうにか足を踏み出す。ようやく目の前にまでたどり着いた白羊に、獅子は手にしていた剣を渡した。

「お前に預けておく」

 それは、団長が所持する剣だった。衛士統帥の星杖と絆を結び、団員に属性を分け与える、火使団長の剣。

「これがなければ、姫様の居場所がわからなくなるのではありませんか?」

「摩羯の剣があるから問題ない」

 さらわれた最初の頃は自分の剣も瞬いていたが、今はもう天鵝は摩羯だけに呼びかけているからと獅子は言った。

「摩羯は耳飾りを持っているから大丈夫だが、俺たちは正直どうなるかわからない。他の団より耐性があるだけで、斬られれば動きが鈍る」

 初めて行く、しかも確実に戦いになる場所に赴く以上、あらゆる結果を想定しておかなければならない。白羊も頭では理解しているが、心が追いつかない。

「……私には、重いです」

「お前が持つことになれば、お前に合う大きさに変わる」

 団長の剣は生きている。持ち主が使いやすい大きさに勝手に変化するのだ。

「そういう意味では……」

「人馬とはもう話したか?」

 不意の質問に白羊は声を詰まらせた。

「……いいえ」

「なら、ちゃんと話しておけ。できればあいつは残してやりたいが、そういうわけにもいかなくてな」

 肩をすくめる獅子に、白羊はうつむいた。

 用はそれだけだとさっさと追い出され、白羊はのろのろと衛府内をさまよった。獅子の気遣いにとまどいながら、人馬の居場所を聞いて向かう。

 疾風と一緒に楽しそうに過ごしているならそのまま放っておこうと考えていたのに、こういうときにかぎって人馬は一人で四阿にいた。

 いつも白羊が天鵝と室女の三人で昼食をとっていた場所に立つ人馬の横顔を、白羊は見つめた。常ならば感情豊かな表情は今、怖いくらい静かだ。

 気配を察したのか、人馬がかえりみた。目があい、今度は白羊が硬直する。

 人馬の視線が白羊の持つ剣に注がれる。やむなく白羊はゆっくりと人馬に近づいた。

「団長から託されたんだ?」

「……ああ、まあ」

 名目だけは副団長だからなと答える白羊に、人馬はくすりと笑った。

「ちゃんと中身も伴ってると俺は思うけど」

「私は団長の器じゃない」

 団長がいるから副団長の務めをこなせるだけだと、白羊はこぼした。

「俺は、団長になった白羊の下で働いてみたいけどな」

 ああでもそれだと今の団長に引退してもらわないといけないなと、人馬が冗談めかして言う。

「私は、団長がやめるときに一緒に役を降りるつもりだ」

「え……それって、白羊は団長のことが好き――」

「団長としてはとても尊敬しているが、異性としては、あそこまで女性関係に緩い人は好みじゃない」

 人馬の問いかけにかぶせて否定する。顔色をなくしかけていた人馬が目をしばたたき、ぷっと吹き出した。

「じゃあ……俺は?」

 沈黙が落ちる。途中で真顔になって尋ねてきた人馬に、白羊は自分の気持ちをどう説明しようか迷った。

「……嫌いじゃない」

「何だそれ」

 短すぎて伝わらなかったらしい。人馬が苦笑して視線をそらした。

「俺さ、ここで白羊たちが食べているところに茶を持っていくのが好きだったんだ」 

 仲良く喋っている三人を見るのが楽しかったのだと、人馬は紺青色の瞳を揺らした。

「兄さんのためにも、みんなのためにも、姫様を取り返すよ」

「頼む。ついでに団長も必ず連れて帰ってくれ」

「そんなにその剣を持つのが嫌なんだ?」

「これは、団長がうっかりあちらで落としてしまわないよう一時的に預かるだけだ。それに……私はお前がこの剣を継承するのを見たい」

 笑いかけた人馬が驚いた顔になる。

「団長から聞いていないのか? お前も次期団長候補に入っている」

 初耳らしい。人馬は自身を指さしたままかたまった。

「落ち着きはないし、考えなしに動くし、かまわれたがりだし、こんなのが団長になったら火使団が崩壊しそうだと思うが」

 次々に刺さる白羊の容赦ない指摘に、人馬が胸を押さえてよろめく。

「でも、何だろうな……何とかなりそうだという期待がもてるから不思議だな」

 微笑する白羊をまじまじと見つめた人馬が、やがて口を開いた。

「……白羊」

「何だ?」

「結婚してくれ」

「意味不明なことを抜かすな」

 なぜここでそういう話になるんだと、白羊は人馬の胸を人差し指で突いた。  

「結婚も何も、私たちは付き合ってすらいないじゃないか」

「俺は気にしないんだけど」

「私は気にする。そもそも、私はお前に好きだと言われた覚えが――」

「好きだよ」

 人馬の目がまっすぐに白羊をとらえる。

「俺は、白羊が好きだ」

 錯乱したわけでも、寝言を言っているわけでもないらしい。人馬は間違いなく白羊だけを瞳に映していた。

「……私は、お前より七つも年上だ」

「知ってる」

「脱いだらお前をがっかりさせてしまうくらい胸もないし」

「それは、脱がせてみないとわからないな」

「口うるさいから、毎日小言の嵐になるぞ」

「それは平気。兄さんで慣れてるし、聞き流すのは得意だから」

 黙り込む白羊に「もう思いつくものはない?」と人馬がからかいとぬくもりのこもった笑みを浮かべる。

「いきなりは嫌だと言うなら、結婚前提のお付き合いをしてください」

 頭を下げてから、「返事は?」と人馬が顔をのぞき込んでくる。 

「……帰ってくると約束してくれ」

 白羊は人馬の胴着をにぎりしめた。

「返事を用意しておくから……お前が無事に生きて戻ってくるのを待っているから。だから……」

 人馬の手が白羊の腕をつかむ。顔を上げた白羊の額に、人馬の接吻が落ちた。一度離れた顔が再び近づき、今度は唇を触れ合わせた。

 これまで積み上げてきた想いをすべて出しつくすように深く口づけてから、人馬は白羊の頬に自分の頬を寄せた。

「約束する。絶対に生きて帰ってくるから」

 待っていてくれ、と言葉にした人馬を、白羊も剣を持っていない手でぎゅっと抱きしめた。



 月暈宮の慌ただしさを、天鵝は呆然と眺めていた。

 まだ実感がわかない。整えられていく婚儀の間を見ても、そこに自分が入るという想像ができなかった。

 昨夜、夕食を終えて一息ついていたときだった。灼熱竜の喜々とした叫びと地鳴りに驚いた自分のそばで、朧がはっとしたさまで窓に駆け寄った。

 悲鳴混じりの声の朧に呼ばれて行き、そこで目にしたのだ。光り輝く太い柱が上空へのびているのを。

 献花台に太陽の花が置かれたのだと、朧は説明した。婚儀の準備が始まるのだと。

 まもなく訪れた有明から、霞が許可も取らずに太陽の花を供えてしまったと聞いた。

 一度置いたら、もうとめることはできない。準備期間は三日以内。もしその間に配偶者が婚儀の間に入らなければ、灼熱竜はその炎で日暈宮を焼いてしまうと言われている。

 配偶者となる女が婚儀の間に入ると、灼熱竜も入る。その後は交わりがすむまで両者とも部屋を出ることができないらしい。

 相手が側女の場合、灼熱竜が去った寝所に遺体が残るが、冷妃は名実ともに月暈宮の主として死ぬまで灼熱竜を迎え続ける。

 今朝、灼熱竜は上機嫌でやって来た。あれは間違いだと天鵝が口にしたとたん、灼熱竜は激しく憤り、炎を噴き上げたのだ。どうにか輝力で抑えながらなだめて帰ってもらったが、怖かった。だから夕刻の対面では、余計なことを口にしないよう気をつけた。

 灼熱竜の本質を侮っていた。ずっと我慢してくれていたのだと思い知らされた。

「私が何とかする。あなたを灼熱竜になどやらない」

 有明もあきらかに動揺していた。何とかしようにも方法がないのは、天鵝にもわかっていた。

 自分か朧が婚儀の間に入るしかない。だが、朧は務めを果たせば死んでしまう。だいいち、八歳の子供を灼熱竜に差し出すようなむごいまねはできない。しかし、ならば自分が――という決心がつかない。

 自分なら死ぬことはない。ただ……色違いの瞳を思うたびに、胸が苦しくなる。

(摩羯……)

 もう無理なのか。ともに歩むことは望めないのか。

 たとえ冷妃として一生を終えようと、会うことはできる。それくらいは許してもらえるはずだ。

 叶わないのは、添い遂げることだけ。それだけだ……。

「姫、泣かないでくれ」

 ぽろぽろと涙をこぼす天鵝を有明が抱き寄せる。違うと突き放す気力もなかった。自分がすがりつきたいのは有明ではない。その腕に飛び込みたいのは――。

 嗚咽のとまらなくなった天鵝を寝所で休ませるよう、有明が露玉に命じる。痛ましげな容相で露玉が天鵝の手を引いて去るのを見送ってから、有明は腹心をそばへ呼んだ。

「姫をここから連れ出す。馬車を用意しろ」

「では、婚儀は朧様に……?」

「朧は失敗したときのために置いておく。先に放り込むのは別の女だ」

 すぐに意図を読んだらしい腹心が目をみはった。

「しかし、あの方はすでにあなたと――」

「あやつがしでかしたことだ。あやつに責任を取ってもらう」

 男と通じてしまった女を前に灼熱竜がどう反応するか、実のところ誰も知らない。禁忌とされてきただけで、何が起きるかわからないのだ。

「姫が私のものになれば、灼熱竜もあきらめるだろう」

 とんでもないことをやらかしてくれた女を、有明は顔が腫れるまで蹴り続けた。すでに視力を失くした女は、自分を痛めつける者が誰かすら判別できていないようだった。いや、もはや正気ではなかったのだ。

「どうせ顔はベールで隠すんだ。髪の長さも近い。色だけ染めておけ」

 それで本当に灼熱竜をだませるのかと言いたげな腹心をせかし、有明は朧と会うべく爪先の向きを変えた。そのとき、ちょうど朧が姿を見せた。

 違和感に有明は眉をひそめた。耳飾りが両方ないと気づいた有明に、朧が言った。

「ずっと横になっていたから、耳が痛くなって外しているんです。それよりも有明兄様、お話があります」

 緋色の瞳に強い意志が表れている。唇をかたく引き結んで自分を見据える妹に、有明もうなずいた。


 

続きはお盆明けから書き始めるので、投稿は遅くなります……。

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