150 北塔のクラーク様
今日の私の授業は『書類の偽造』だ。
まず国が発行する正式な身分証と私が偽造した身分証を二つ並べて板の上に置いた。本物の身分証は文官さんから借りたものだ。
それを板に載せたまま生徒たちに回して、「どちらが偽造かわかりますか?」と質問した。
生徒たちは集まり、「右かなあ」「左じゃないか?」と意見を交わしている。光に当てたり匂いを嗅いだりしているが、首をかしげている生徒が多い。
「右だと思う人は手を上げて」
手を上げたのは生徒の半分。意見は真っ二つだ。私が「右側の身分証は私が偽造しました」と言うと、手を上げなかった生徒たちが「ええ? どこで見分ければいいんだ?」「僕は絶対に左が偽物だと思ったよ」とざわついた。
生徒たちに見破られるようでは偽造したことにならないが、こうやって驚いてもらうことは大切だ。やる気につながる。
「身分証や本は活字を組んで印刷されています。その活字を持っていれば便利ですが、身分証に使われる活字を作るのがまず難しい。身分証用の活字は特別製です。だからこれは私の手書きです。それと、インクを全く同じ色にしなくてはなりません。身分証に使われるインクは、どの国でもそれ用に作られていて、売っていません。同じように見える黒や紺色でも、見る人が見れば違いが判ります」
生徒たちが「見る人って誰のこと?」「馬鹿だな、国境の役人だよ」と言い合っている。
「先生はどうやってそのインクを手に入れるんですか?」
「身分証と同じインクが欲しいと言って探し回ったら、すぐ通報されます。私は自分で数種類のインクを混ぜて自作します。でもね、それも活字そっくりの字をかけるようになってからの話です。今日からあなたたちは、国境の役人が見ても見分けられないほどの字を書けるようになるよう、練習しましょう。この結果で、卒業後の仕事を振り分けられることもありますよ」
「うわあ」
「たいていは事前に身分証を用意してもらえますが、それを待っていられない場合もあります。すぐに身分証を偽造できるようにしておくことは、任務を遂行するためだけでなく、自分の命を守ることにつながります」
生徒の中にはこの手の作業に向いていない子も一定数いる。偽造技術で脱落しても養成所を辞めさせられることはないし、もし辞めさせたら食べるに困って習ったことを悪用する子も出てくるだろう。他国に情報を売るかもしれない。
すべての課題に合格した生徒は、重要な仕事を与えられる。それはどの国の特殊任務部隊でも同じだ。
ハグル王国では一軍と二軍に分けられていた。アシュベリー王国では生徒の位置に露骨な呼び名をつけていないが、与えられる任務を見ていればおのずと誰が評価されているかわかるだろう。
私はずっと一軍だった。一軍になればより難しく、より危険な仕事が回ってくる。語学に偽造、変装に体術剣術。尾行に身分ごとの会話術。どんどん任務が難しくなって、当時はそれが嬉しかったっけ。
子供たちは張り切っている者、途方に暮れている者、絶望している表情の者と様々だ。
「まずはアシュベリー王国の身分証で使われる活字からです。我が国で使われる活字の一覧表を配ります。そっくりに書けるようにしましょう。それが終わったら周辺各国で使われている身分証の活字もそっくりに書けるよう、練習あるのみです。重要な任務を任されたかったら、頑張るしかありません」
最終学年の生徒たちは、「重要な任務」という言葉に反応した。第三騎士団入りを目指している以上、誰だって重要な任務に就きたいのだ。
頑張れ、と思いながら机の間を回って、注意すべき箇所を指摘して回った。
子供たちは国によって育成され、非合法な手段も教わって国のために働く。たくさんの嘘もつかなければならない。
誇りを持って働く子もいれば、自分がしていることに苦しむ子も出てくるだろう。私はたくさんの嘘をつき、人の信頼を利用した。
かつて私は心の隅でいつも(私はいつか罰が当たる)と思いつつ働いていたけれど、その罪の意識はどこで種が撒かれたのだろうか。ランコムや組織の教官のはずはないから、八歳まで育ててくれた両親だろうか。
両親は忙しかったからそんな善悪の話をされた記憶はない。けれど母に爪切りされていたことを忘れていたように、それも忘れているのだろうか。自分のことなのにわからない。
授業を終えて厩舎の階段を下りると、マイクさんが下で待っていた。
「お久しぶりです、アッシャー子爵夫人」
「教官のときは身分は気にせずビクトリアと呼んでください。ケイトでもかまいません」
「ではビクトリアさん。このあと一緒に来ていただけますか。クラーク様が我々の話し合いにビクトリアさんも参加してほしいとおっしゃっています」
「そうですか、承知しました。今すぐですか?」
「はい。急で申し訳ありません」
マイクさんに案内されたのは北塔の二階だ。ドアには『修繕部』の札が掲げられている。中に入ると、さほど広くない部屋に、男女入り交じって数十名の人間が集まっていて、座りきれないで立っている人もたくさんいた。彼らは私をチラリと見てごくわずかに会釈した。
一番奥の席にはクラーク様が座っている。クラーク様が責任者の席にいるのを初めて見た。
「アッシャー子爵夫人、急にお呼びだてしてすみません」
「いえ……」
私には温厚な表情を見せたクラーク様が立ち上がり、別人のような引き締まった表情で「皆さんに報告があります」と切り出した。
「療養中の部長から連絡がありました。眼病の症状が改善しないため、現場への復帰は難しいとのことです。部長は辞職について判断を私に任せるとおっしゃっていますが、私は部長が現場に戻れなくても在宅のまま部長として在籍していてほしいと思っています。それについて反対意見はありますか? ありませんね。では部長には療養しつつ各事案について判断を仰ぎたいと思います」
部屋にいる全員はもうこの事態を想定していたのだろう。誰も動揺していない。次にマイクさんが話を始めた。
「本日まで私が部長代理を務めてきましたが、本日をもって正式にクラーク様が部長代理になりました。私はクラーク様の補助に回ります。この件は陛下と部長の許可をいただいています。ではクラーク様、お願いします」
「この部署に参加してから、過去十年分の資料に目を通しました。私は部長を尊敬しています。今後も同じ方針で対処していきますし、最終判断は部長に下していただきます。とはいえ……皆さんも私のような若造で大丈夫かと不安に思う気持ちもあるでしょう。その不安には私の今後の仕事を見て安心してもらうしかありません」
そこでクラーク様は明るい赤髪をかき上げた。
「さっそくですが、ハグル王国に潜入している者から報告が上がりました。ハグルのエインリッヒ国王が倒れたそうです。現在意識不明。確証はまだつかんでいないものの、毒を使われた可能性が高いです」
室内に声はないものの、雰囲気がザワッとした。
世界の頂点に立っているかのようにふるまっていたあの人が、倒れたのか。しかも毒か。
恨んでいる人は数えきれないほど多くて、それゆえに国王は食べ物飲み物には神経を使っていた。だから毒を仕込んだのは、国王にごく近い人間が関わっているのかもしれない。
「今後、ハグル王国で内乱が起きるかもしれません。問題はランダル王国がこの機に乗じてハグルに戦争を仕掛けるかもしれないことです。ランダル王国に潜入している者から、ランダル王国軍の上層部が頻繁に会議をしているという報告が届いています。両国に戦争が始まれば、ランダルの貴族の妻と子女、裕福な商人が我が国に避難してくることもあります。どさくさに紛れて特殊任務の人間が紛れ込んでくる可能性は高いです」
戦争の煙が立ち上る前から貴族は情報を手に入れる。そして家が途絶えないよう、妻や子供を安全な場所に避難させることもある。国内の田舎に避難させることもあれば、暮らしの質を落としたくなくて平和な国に逃げ込むこともある。
「幸い我が国の中に喫緊の事案はありません。今後、ランダル王国から我が国に入国した人間の素行について調べる仕事が増えるでしょう。その際は調査をよろしくお願いします。以上」
解散となった。私も帰ろうとしたら、クラーク様が歩み寄ってきた。
「先生、少しお話しする時間をいただけますか」
「はい。大丈夫です」
「ではこちらへ」
別室の小部屋に案内された。そこは一見すると第三騎士団の部長代理が使うとは思われないほど質素な部屋だった。だが、窓を除く壁の三面が全部、壁紙を張った戸棚になっていることに気づいた。おそらく大量の資料が収められているのだろう。壁のように偽装されている両開きの扉には、柄に紛れてごく小さな鍵穴がある。
「どうぞ座ってください」
「失礼します。クラーク様、すっかり今の仕事に馴染んでいらっしゃいますね」
「どうでしょう。部下の全員が年齢も経験も僕より上なので、気を遣います。あの、ノンナのことなんですが、元気にしていますか? 僕は毎晩帰りが遅く、休みの日もここで資料を読んでいるもので、もうずいぶん会えていないんです。どうしてるかなと思って」
さっきまで第三騎士団の前で堂々と話をしていた人とは別人のように初々しい。
「ノンナでしたら、うちで保護した子供たちの世話に追われています。楽しそうにしていますわ。クラーク様がお忙しいことは重々承知していますから、大丈夫ですよ」
「そうですか。楽しそうにしているんですか……。あの子に忘れられる前に、必ず二人で会う時間を作ります。そう伝えていただけますか」
「忘れられることなんてありません。ノンナはクラーク様を大切に思っていますもの。でも、そのお言葉は必ず伝えます」
帰宅してノンナにそう伝えると、ノンナは猫たちを相手に猫じゃらしで遊んでいたが「うん、わかった」という返事だった。
(クラーク様、申し訳ありません、言葉が少ないのは昔からなんです)と心で謝った。






