145 ビクトリアの選択
ジェフからデルフィーヌ様の視察のことを知らされた。
私は「デルフィーヌ様をご案内するのは大役だけれど、大勢の護衛が付くなら喜んで引き受ける」と答えた。
諸々の打ち合わせを終えた今日は視察の初日だ。デルフィーヌ様の視察は複数回実施される。
私たちはまずヨラナ様のお屋敷にお邪魔した。ヨラナ様が熱心に慈善活動をしていると、息子であるコリン・ヘインズ宰相様がジェフに教えてくれたからだ。私もジェフも、それは初耳だった。
ヨラナ様のお屋敷の周囲は、私服に着替えた軍人たちが要所要所を守っている。
今日のデルフィーヌ様は私の手で変装し、黒髪と控えめなドレス姿だ。私の友人で、ランダル王国からの訪問者マリエム伯爵夫人という名で訪れている。
ヨラナ様は「嫌ねえ、コリンたらその話をしたの?」と言って、慈善事業のことを話したがらない。そのうち軟膏のことが話題になった。
「とても評判がいい軟膏を友人に分けていただいたの。洗濯係の者に使ってごらんと言って渡したら、感激していたわ。だから料理人や清掃係の手荒れしそうな者たちのためにある程度の数をまとめて買おうと思って調べたら、あなたの名前が出てきて驚いた。軟膏工房のこと、私に何も言わないなんて水臭いじゃない?」
「そういえば、お伝えしていませんでしたね。申し訳ございません」
「あの軟膏を作っているのは、行き場のない女性たちだそうね。修道院の院長があなたのことを褒めちぎっていたわ」
どうやらヨラナ様は、軟膏を買うにも出所をはっきりさせてから買う主義らしい。
院長と話をしたということは、修道院まで出向いたのだろう。
ひそかに感心していると、ヨラナ様が「困っている人々に手を差し伸べるのは、持てる者の役目だけれど……」と、やっと慈善事業に関する話を始めた。
「私は親に『善き行いをしても、吹聴したら台無し』と言われて育ったけれど、最近は違うようね。何々家炊き出し会、何々家慈善会と、慈善活動にわざわざ家の名前をつける人が増えているの。嘆かわしいことだと思うのは、私の意識が古いのかしら」
「そんなことはありませんわ。ですが手を差し伸べる側にどんな意図があったとしても、その日の食事に困っている人からすれば助かるだろうと思います」
「それもそうね。私ったら説教臭いことを言ってしまったわ」
「そんな、説教臭いだなんて。それで、ヨラナ様はどちらで慈善活動を? ヨラナ様も水臭いじゃありませんか。私にはこっそり教えてください。私も協力したいです」
ここまでデルフィーヌ様は挨拶以外の発言をしていない。
(諦めませんよ)という気持ちで待っていると、やっとヨラナ様が話をしてくれた。ヨラナ様は隠居した年から慈善事業に力を入れ始めたそうだ。
「隠居したらもう、『我が家は順調です』と周囲に知らせる必要がなくなったわ。夜会のたびにドレスを新調する必要も、宝石で身を飾る必要もなくなった。それは当主になった息子たち一家がすればいいこと。だったら今夜の食事にも困る人のために、お金を使いたいと思ったのよ」
驚いたことに、ヨラナ様は五つの保護施設に手を差し伸べていた。お金を寄付するのではなく、食材、衣服、治療費などを負担しているという。最初の頃はお金を寄付していたが、柵が豪華になったり壁を塗り直されたりしているのを見て(まずは痩せた子供たちにおなかいっぱい食べさせたいのに)と思ったところからこの方法になったらしい。
「貴族が己の名誉を気にするように、保護施設の運営者にも見栄があるのは仕方ないわ。だったら私が提供した品で浮いたお金をそっちに使えばいいと思ったのよ」
「そこを見学させていただいてもよろしいでしょうか」
「いいわ。すぐに行きましょう」
「事前に連絡をしなくていいのですか?」
「そちらのマリエム様も、慈善活動の現実を見てみたいのではなくて?」
「あっ、はい。そうですね」
デルフィーヌ様が同意すると、ヨラナ様が立ち上がった。
「人の本質を善だと思いたいけれど、この年齢まで生きるとそうも言っていられないの。さあ、すぐ出発しましょう。抜き打ちで視察するのは、施設を支援する条件のひとつなの」
さすがだ。抜かりがない。
私たちが馬車に乗って門を出ると、多くの馬や馬車、荷馬車がついてくる。さりげなくと言いたいけれど、私の目にはあまりに数が多くて尾行が見え見えだ。まあ、今回は敵がいるわけではないからいいか。
最初に案内された施設はごく普通の民家で、子供は二十人ほど。洗濯物の数がやたら多い。子供たちは健康そうで、こざっぱりした身なりをしている。十歳以下の小さな子が大半で年齢が十五歳になると住み込みで働きに出るそうだ。
施設長は温厚そうな女性だ。
「就職しても上手くいかずに戻ってくる子は少なくありません。ここでしばらく心と体の元気を補充して、また世の中へと出ていくのです。そんなおおらかなことをさせられるのは、ヘインズ前伯爵夫人のおかげです」
デルフィーヌ様は子供が好きなのだろう。目を輝かせて三歳くらいの子供に話しかけている。そのうち我慢できなくなったのか、よちよち歩きの子供を抱き上げて子供の頭に頬を寄せている。
たっぷり見学したあとで次の保護施設に移動することになり、馬車に乗った。デルフィーヌ様が「ヘインズ夫人が関わっている施設が充実していることは、よくわかりましたわ」と言う。
その口調から、デルフィーヌ様が望んでいるのはそういう恵まれた施設の見学ではないと伝わってくる。ヨラナ様が関わっている施設はとても健全で、私もデルフィーヌ様が見てみたい実情とは違う気がしていた。
どうしたものかなと思っていたら、ザハーロさんが道を歩いているのが見えた。少し迷ったが、御者に話しかけるための小窓を開けて「すみませんが、止まってください」と声をかけた。デルフィーヌ様は(えっ?)と驚いているが、ヨラナ様は面白そうな顔をしている。
「ザハーロさん!」
「おう、久しぶり。どうした?」
「ちょっとお話を聞きたいことがあるの。開店前で申し訳ないけれど、お店にお邪魔していいかしら」
「いいぞ」
ザハーロさんに同乗してもらい、私とザハーロさんが並んで座った。
「紹介します。ザハーロさんです。私の行きつけの酒場の店長さんで、庶民の暮らしに詳しい方です」
「俺が詳しいのは貧乏人に関してだけだぞ?」
「ええ、まさにその話を聞かせてもらいたいの」
「それなら構わない」
するとヨラナ様がご馳走を前にした猫みたいな、わくわくした表情で会話に参加した。
「あなたがバーの人なのね。ビクトリアから噂はかねがね。なるほど、ジェフリーとはまた違う種類の……」
「んんっ! ヨラナ様、そのお話はその辺で」
「ふふふ。わかったわ」
結婚したのに酒場通いをやめられないと相談したこととザハーロさんを、ヨラナ様はすぐに結び付けた。記憶力も頭の回転も速い人だ。
馬車はすぐ『黒ツグミ』に着いた。
隣国から来た友人にこの国の貧困者の実情を見せたいのだと告げると、ザハーロさんはデルフィーヌ様をジッと見た。
「そりゃ俺は最も貧しい層が住んでいる場所に詳しいし、案内して話を聞かせてもらうのはいいんだが……。かなり柄が悪い場所だぞ? こちらの方々には少しばかりきついんじゃないか?」
こちらの方々と言われたデルフィーヌ様が身を乗り出した。
「いえ、ぜひ案内してください。私は現実を知りたいのです。この国は貧困層の救済に力を入れていると聞きました。それがどれほどの効果を上げているのか、この目で確かめたいのです」
ザハーロさんは後頭部をポリポリと手でかきながらデルフィーヌ様の言葉を聞いていたが、チラリと窓の外を見てからデルフィーヌ様を見た。
「馬車に乗っている時に気づいたんですが、相当な数の護衛が同行しているようですね。馬車を降りたら護衛の方々にはもっと近づくよう、伝えてください」
「ええ、伝えます」
「じゃあ、これから王都で一番貧しい人間が暮らしている地区に案内します。腰を抜かしたり気を失ったりしないでくださいよ? 騒ぎはごめんだ」
「大丈夫です! よろしくお願いします!」
(ザハーロさんザハーロさん、この方、実は王妃様なんですよ。もうちょっと言葉遣いをなんとか……)とは言えず、私は苦笑が顔に出ないよう、奥歯を嚙み締めた。






