142 家族との実践練習とヒバリ
私の授業は変装の授業で、最近は階級ごとの言葉の選び方しゃべり方を教えている。これは口先の技術だけではだめで、話す際の姿勢、手の位置、表情も合わせて初めて変装が完成する。
最近、生徒たちは私に「先生、あれやって見せてほしいです」と注文を出す。あれとは、身分が違う人同士の会話だ。生徒たちはこれが大好きで、「お芝居を見てるみたい」「本当に別人に見える」と楽しんでいる。
これで生徒たちがやる気になってくれるならお安いものだ。毎回設定を変えて一人二役か三役を演じている。今日はお祭り中の広場で貴族の男女二人が露店を見ていて、売り手の平民の娘が商品を売りつけるという場面の会話だ。
「アダムズ様、ご覧になって。この毛糸の人形、可愛らしいことね」
「欲しいのかい? 今日の記念に僕が買ってあげるよ」
「よろしいのですか? 嬉しいわ」
「君、これをひとつ」
「ありがとうございます。こちらは恋を成就させる人形でして、男人形女人形の二つを対にしてお買い上げいただくと、お嬢様の恋のお幸せがいつまでも続くという人形ですが、ひとつでよろしいので?」
おっとりした貴族のご令嬢、ご令嬢の前でかっこつけたいご令息、ご令息の見栄を利用して人形を二個売りつける露店の女性店主。役を変えるたびに姿勢と話し方、表情も変える。生徒たちはクスクス笑いながらも、真剣に私の一人三役を見ている。
この子たちはあと数年で現場に出る。私が教えることを全て吸収して自分のものにしてほしい。潜入先で見破られないでほしい。そして死なないでほしい。
私の一人三役のあとは、三人の生徒を選んで繰り返させる。
「その人物がどう育ってきたのか、どんな食べ物が好きで、どんな趣味があって、親は厳しかったのか優しかったのか。兄弟はいたのか、人物像をしっかり思い描いてその人物になりきりなさい。なり切ってしまえば、想定外の事態になっても表情、口調、視線の動かし方の正解が自然とわかります」
生徒たちを次々入れ替えて役を演じさせる。仲間の対応を見ていれば私と全然違うと気づくのだ。
全員が役割を演じ終えたところで、私がエバ様になってにぎやかにおしゃべりを続ける。もちろん実名は言わない。
「今日の課題は、この女性の身分、年齢、家族構成、好きなこと苦手なことを想像して書いてくることです。できるだけ詳しくその人となりを書いてください」
そこで授業を終えて、家に帰ろうとしたが体術を担当しているベン先生に呼び止められた。
「都合がつくときだけで結構ですので、私の体術の授業の助手をやりませんか」
「助手として何をすればいいのでしょう」
「私が見本を見せるときの相手役になってほしいのです」
「喜んでお引き受けします」
「ご主人に相談しなくていいのですか?」
「夫は私の判断を尊重してくれますので、問題ありません」
その場で即答して帰宅したのだが。夕食を食べながらジェフにその話をしたら、「体術の相手役……」と言ったきり考え込んでいる。
「あなたに相談してから返事をすべきだった?」
「いや、そんなことはない。ただ、実際にどんなことをするのかなと思って」
「では食後の腹ごなしに、あなたと私で軽く実践してみる? 授業でやりそうなことを試してみましょうか」
「私も! 私も仲間に入りたい! です」
「いいわよ。三人でやりましょう」
武器を持たずに私とジェフが向かい合う。たぶんジェフは私に怪我をさせないように動く。私はそれを見越して動く。実戦では役に立たない訓練になるが、今はまあいい。予想どおりジェフの拳はスピードが乗っていなかった。その右腕をつかんで懐に入り込み、関節をねじる。人間は関節を折られそうになると本能的に動けなくなる。ここから巻き返した人に、私はまだ出会ったことがない。
「くっ」と呻いてジェフが動きを止めたところで、私が後頭部で頭突きの動きをする。実際にはジェフの顔に頭突きはしないが、私の意図は伝わった。「参った」と降参したジェフが悔しそうだ。思わず「うふ」と笑うと「だめだ。俺は君が相手だとどうしても……」と漏らした。
「あなたを襲う暗殺者が可憐な十代の少女だったら、あなたの優しさが命取りになるわね」
「十代の可憐な少女が、君ほど腕がないことを祈るよ」
「次は私! 私!」
「どうぞ」
ノンナは間合いをはかっているが、以前とは構えが違っている。以前は両手を胸の前で斜めに構えていたのに、今は左右の手のひらにリンゴを載せているような不思議な構えだ。わずかに踵を浮かせているものの、腰を落としていない。だが、なぜか以前よりも危険な感じがする。
ほんの少しだけノンナが口角を上げた。(来る!)と思った時にはもう、ノンナが私の前にいた。移動が猛烈に速い。近づいたら近づいたで、左右の腕を目にも留まらぬ速さで繰り出してくる。これは防戦に終始していると蹴りが入るパターンだ。
私は下がると見せかけて回し蹴りを入れた。速くないと決まらないから、体重が乗っている。
「ぐふっ」
「ああっ、ごめんなさい。大丈夫?」
そう言って駆け寄った私のみぞおちに、ノンナが拳を入れた。そこそこ強い。今度は私が「うっ」と声を漏らしてしまった。
「やられたわ」
「お母さん? 最後まで油断は禁物だよ? 今のなかなかいい考えだと思わない? 相手を油断させてとどめを刺す! チェスター先生が教えてくれたの」
「この手は弱者側が使える手段だわね。私は強い相手からは距離を取る戦法を使っているけれど、最後の手段として使えそう。生徒たちに教えるわ」
ジェフが唐突に「お茶にしよう」と言って実戦練習は終わりになった。「君が怪我をしそうもないことは理解した」と言って、体術の授業の助手になることは許可が出た。
お茶を飲んでいる途中でバーサに「湯船のご用意ができました」と言われて解散になった。
入浴してからノンナの部屋に向かうと、ノンナはベッドに入って本を読んでいて、「どうしたの?」と不思議そうな顔だ。
「構える形が変わったのね」
「あれはね、マイルズさんやチェスターさんと鍛錬しているとね、前に使っていた構えは不利なの。なんでかわからないけど、次の動きを読まれちゃうんだよね。だからあの構えに変えたんだけど、最初の数回は用心されて少しだけ有利になるの」
この子はどこを目指しているのか。クラーク様を癒す方向に進むと言っていたはずだけど。
「私はエドワード様を癒すブライズ様を目指すけど、悪者に人質にされて足手まといにはなりたくない。家族や使用人を守りたい。結局はお母さんを目指しているってことかな」
「その話をクラーク様にしたことある?」
「あるよ。わかったって言ってた。頼もしいねって頭を撫でてくれた。クラーク様ったらね、私のことを『僕のヒバリちゃん』て呼ぶの。あ、これは内緒ね。クラーク様が恥ずかしがるから」
僕のヒバリちゃん。どの辺がヒバリなのか聞いてみたいが、クラーク様が今のノンナを愛しく思ってくださっているならいいのか。
寝室でうとうとしていたジェフにその話をしたら、「ヒバリちゃん……。ノンナを鳥に例えるならハヤブサだろ。恋は盲目だな」と言って長いこと笑っていた。






