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手札が多めのビクトリア 2 【書籍化・コミカライズ・アニメ化】  作者: 守雨
【ランダル王国からの客】

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141 養成所の授業と帰り道の『黒ツグミ』

 デルフィーヌ様から母国イーガルのご実家へ、長い手紙が送り出された。

 表向きはアシュベリーで織られた豪華な絹織物で、お母様への贈り物という形を取っている。だが筒状に丸められた織物の中に、今回の誘拐事件の詳細を綴った手紙が忍ばせてある。デルフィーヌ様に相談されて、私がその形を教えて差し上げた。

 王妃からの贈り物は、検閲が緩い。巻いてある織物を全部広げて確認する検閲官などいないのだ。


 誘拐の実行犯と貴族の使用人の行く末を決めるのは国の役人の仕事。誘拐された少女の行方は、デルフィーヌ様がお父様である侯爵様に強く依頼したそうで、これも報告を待つしかない。どうか生きていてほしいと願うばかりだ。


 私は役目を終えたので、養成所の教官の仕事をこなし、羊牧場でマイルズさんと話をしたり羊の毛を紡いで毛糸を好みの色に染めたりしている。

 ノンナはマイルズさんと接近戦の練習をしたり、クラーク様に渡すのだと言ってせっせとマフラーを編んだりしている。


 これが平穏で普通の幸せな暮らしというものだろう。

 だがジェフだけは毎日殺気立っている。国境の検問所は国境警備隊の仕事で軍とは別系統ではあるが、組織的にはジェフは国境警備隊の上にいる。


 ジェフは「少女を物のようにさらう悪事に手を貸した人間が許せない。それが国の役人であればなおさらだ。彼らは国に守られ国に尽くす側の人間なのに、その立場を利用して誘拐を見逃すなど言語道断だ」と言って、検問所の誰が手を貸したか、厳しく調べさせている。


 私は今日、養成所で「連結している地下保管庫」の話をした。


「そもそも地下保管庫が複数の店舗でつながっているのは、戦時中に避難所を兼ねていたからです。古い都市にはよく見られるもので、アシュベリーだけの話ではありません。私が実際に見ただけでも、ランダル王国とハグル王国にも存在します」

「先生!」


 男の子がスッと右手を上げた。


「どうぞ」

「先生が誘拐犯を捕まえたと他の教官がおっしゃっていました。先生がおひとりで捕まえたのですか?」

「いいえ。特殊任務部隊の男性が一緒でした」


 すると教室のあちこちから「その話を聞きたいです」「僕も」「私も」「俺も!」と声が上がった。


「わかりました。ではこの暗号を解ける人がいたらお話ししましょう」


 そう言って黒板にアシュベリー語の文章を書いた。一見、なんということはない季節の挨拶から始まり、隣の家の犬が子犬を産んだ話、焼いて食べた羊の肉が美味しかったという内容だ。

 だが訓練生が学習済みの暗号を少しだけひねって解読すると、『敵軍は南方のアレザ村まで侵攻している』という文章になる。

 三十分以上たって、サンドラという少女が「解けました」と言って手を挙げた。この少女は暗号に関して生まれ持ったセンスがある。語彙が豊富で思考が柔軟なのだ。


 サンドラは見事正解にたどり着いていた。他の生徒たちは「やったな、サンドラ」「いつもすごいな」「これで先生の活躍を聞けるぞ」と、サンドラに称賛の眼差しを向けている。約束の一件を、娘が護身術の生徒に聞いてきたところから話し始めた。

 生徒たちは身を乗り出すようにして聞いている。


 まだ幼さの残る生徒もいれば、大人の雰囲気が滲み出てきつつある生徒もいる。話をしながら、私は胸が詰まる思いを必死に抑え込んでいる。

 訓練生を見ていたら、初仕事で命を失ったハンスを思い出してしまった。


(ねえハンス。あなたを救えなかったこと、私は死ぬまで忘れない。あなたを思い出すのがつらくてこの仕事に二度と関わるまいと思っていたけれど、こうして教官になった。私はやっぱり、この仕事が好きだったみたい。この子たちが役立たずなリーダーのせいで死ぬことがないよう、全力で生き延びるすべを教えるわ)


 クラーク様が、ジェフが、エドワード様が、この国を守ろうとしているように、私はこの子たちを守ろう。

 私の養成所時代、最初の授業で「死ぬな」と言った教官のように、私はこの子たちが死なないように全力を尽くそう。

 具体的な国名は出さず、誘拐犯を捕まえた件を話し終えると、子供たちは「わあぁ」と声を出して私をキラキラした目で見る。


「外国語の習得、接近戦の練習、逃走術、変装、体力の維持。やるべきことは限りなくあります。面倒だ億劫だと思って取り組んでいると、上達しません。どの訓練も、自分の命を守ることにつながると思って取り組んでほしい。それと……」


 言おうかどうしようか迷ったが、言うことにした。


「仕事の現場で、先輩と組むことがあるでしょう。チームの信頼と協力は成功の鍵ですが、最後の最後で自分を守るのは自分だと思ってほしいの。いつも先輩が助けてくれると思ってはダメ。作戦が失敗したら助けてもらえないこともある。自分で考え、自分で動く。死なないためにどうしたらいいのか、どんな状況でも諦めずに、頭と体を使いなさい」


 時間がきて授業を終えた。家に帰ろうとしていたらサンドラが「先生」と言いながら走ってきた。


「どうしたの?」

「先生は接近戦の訓練を今も欠かさないのでしょうか」

「ええ。続けているわ。元軍人さんを相手に、週に三回は練習しているわよ」

「私もその軍人さんと手合わせできますか?」

「聞いてみるけど、どうして?」

「私も先生のようになりたいんです。先生の真似をして、少しでも先生に近づきたくて」


 桃のような頬の産毛うぶげをキラキラさせて、サンドラが私を見上げている。


「サンドラ、あなたはどうして工作員になろうと思ったの?」

「うちは兄弟が六人いて、みんなで外を走り回って遊んでいたら、なぜか私だけ声をかけられました。その人に話を聞いたら、とてもお給料が良かったので決めました」

「そう。家に仕送りをしているのかしら」

「はい! 私から直接は送れなくて、以前は部長に頼んで送ってもらっていました。今はクラーク様が送ってくださいます。お忙しいのに、クラーク様が訓練生たちの仕送りを全部引き受けてくださっているんです」


 そうか。かつてランコムがやっていた役目を、アシュベリーではクラーク様が。なんだか泣きそうになった。


「サンドラは暗号の解読が得意ね」

「はい! 暗号を解くのはとても楽しいです」

「今度、暗号を書いてきてあげる。あなた一人で解いてもいいし、仲間と解いてもいいわ」

「本当ですか! わあ! 嬉しいです! 仲間と解きます」


 サンドラと別れて、『黒ツグミ』を目指した。

 ザハーロさんがグラスを磨きながら「いらっしゃい」と出迎えてくれた。早い時間だから客は私一人だ。ザハーロさんは私が何も言わなくても蒸留酒を運んでくれて、「んんん?」と言って私の顔を覗き込んだ。


「泣いたのかい?」

「泣きそうになった、かな。古いことを思い出しちゃって」


 そこで我慢の糸が切れた。口をへの字にして涙がこぼれるのを止めずにいたら、ザハーロさんは黙って大判のハンカチを差し出してくれた。ハンカチを目に当ててすすり泣いている間、ザハーロさんは向かいの席に座って、黙って私が泣き止むのを待っている。

 みっともなくすすり泣きながら、ハンカチの中でザハーロさんに尋ねた。


「愚痴、を、聞いてくれますか」

「聞くよ」

「ありがとう。昔、三人で仕事に行って、現場で計画を変えたリーダーがいたの。私は補佐役で、初仕事の若者が一人」

「なるほど?」

「私は計画変更に反対の立場を貫くべきだったのに、貫かなかった。そのせいで、初仕事の十五歳の男の子が、私の目の前で命を落としたわ。ずっと忘れられなくて。今もその子の死に際の場面が……胸に残っている。そして時々、その子を思い出して……自分を心の底から許せなくなる」


 しばらく無言だったザハーロさんが静かな声で話し始めた。


「忘れなくていいさ。あんたが思い出すたびに、その子の魂は癒やされているよ。思い出してあげなよ。そんで、思い出して苦しくなったらここに来なよ。俺が聞く。何回でも、何十回でも聞くさ」

「あり、ありがとう。こんな話……聞かされた人も困るから誰にも言えないの。でも、ザハーロさんなら話せるなと思ったら、ここに足が向いたわ」

「俺にもそんな話があるよ。いつか俺が苦しくなったら、その時はあんたが聞いてくれるか? 似たような経験をした仲間として聞いてくれると嬉しいよ」


 私はハンカチに顔を埋めたまま、何度もうなずいた。


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