133 初めての授業
二人で市場へ行って必要な物を買い集めた。
ジェフは何も質問せず、興味深そうに私が買うものを眺めている。
「明日の訓練生たちの反応が見ものだな」
「そう? たぶん、工作員の変装は見慣れていると思うけど」
「一番心配なのは、君が訓練所の教官たちの反発を買わないかということだよ」
「喧嘩をするつもりはないわ。教える側の足並みが揃わなければ、回り回って寿命を縮めるのは訓練生だもの」
「そうだなあ」
ジェフは一見穏やかな顔をしているが、私を心配しているのだろう。瞬きの数がいつもより多い。
養成所はこの国で生まれ育った人たちが母国のために工作員を育てている組織だ。たとえエドワード様の許可が出ていても、いきなり教官になった私に思うところがあって当たり前だ。少しずつ信頼してもらうしかない。
私にとって一番大切なのは、国のために望んで、またはやむを得ず工作員になった少年少女の命だ。
命を奪う技を教えるのではなく、自分の命を守る技と知識を教えたい。
その夜は遅くまで授業の準備をして、明日に備えた。
◇
変装を済ませた状態で、第三騎士団の部屋のドアをノックした。
ドアを開けてくれたのはミルズ君。私を見て怪訝そうな顔をしているが、私だと気づいた様子はない。まずは成功。
「アンナ・アッシャーです。部長は?」
「……子爵夫人? 申し訳ありません、気づきませんでした」
「初日の準備は合格ですね」
「いやぁ、すごい。全く気付きませんでした。どうぞ奥へ」
「ふふふ」
私は赤髪のカツラをお団子に結い上げ、市場で買った中年女性が着る地味な普段着を着ている。古着は私よりもふくよかな女性向けのデザインで、胸やおなかに布を巻いて肉付きがいいように見せている。顔もお化粧で実年齢よりだいぶ上に装った。
「姿勢からもう違いますね」
「姿勢は変装の基本だから」
マイクさんが早足で来た。
「部長から案内を任されています。部長は訓練生の前には出ませんので。では行きましょうか。今日は変装の授業でしたね」
「ええ、そうなんですが……。初日に訓練生に信用してもらわなければならないので、少々変わった授業になるかもしれません」
「私が教室の後ろで見学することは可能ですか?」
「どうぞ。大歓迎です」
「それと……数人の教官も参観を希望していますが、それは?」
「何人でもどうぞ」
「ありがとうございます。それにしても……さすがですね。言われなければ気づかなかったかもしれません」
いや、マイクさんなら、少し会話すればすぐに気づいたはずだ。
マイクさんがミルズ君に二言三言ささやいて、ミルズ君は姿を消した。
今までお城に通って来たけれど、養成所らしい場所を見たことがなかった。どこに養成所があるのだろうと思っていたが、案内されたのは厩舎だった。
王城にはとても広い厩舎が三棟あって、三角屋根で背の高い建物だ。天井が高いのだと思っていたが、違った。厩舎の二階が養成所だった。
「こんなところに……」
「工作員が馬を乗りこなすのは基本ですし、広い場所を王城の敷地内に目立たず確保出来て便利ですよ」
「生徒の人数は?」
「私が合格を出せるレベルかどうかで決まるので、その年によります。入所する人数も年齢も揃えていません。さあ、ここです」
狭い階段を上がると厩舎の二階は、白いカーテンで仕切られていた。
「カーテンは案外馬鹿にならないのです。冬は熱を逃がしませんし、夏はカーテンを全部開ければ風が通って涼しい」
カーテンを二回くぐり抜けると、三十人ほどの少年少女がいた。年齢は十歳ぐらいから十五歳くらいまで様々だ。
彼らの後ろには四十代、五十代の教員らしい人が四人。全員男性。参観者の鋭い目つきが私の一挙手一投足を追っている。
訓練生たちは、あきらかにがっかりしている。なぜなら私が五十代後半の温厚そうな女性、鍛えていなさそうな体型を装っているからだ。
声も五十代を装う。声は大切だ。記憶のほとんどは目から入る情報で作られるが、耳と鼻から入る情報も記憶に影響を与える。
「初めまして。本日から変装の授業を受け持つ……ケイトです。どうぞよろしく」
「よろしくお願いします!」
生徒たちは全員、あまり印象に残らない顔立ちと体型だ。目立たないことを基準に訓練生を選ぶのは、ハグルもアシュベリーも、他の国でも同じだ。
教卓には座席と工作員名の一覧表が置いてあったから、一番前の穏やかな顔立ちの少女を指名した。
「サンドラさん、あなたは私をどんな人物だと思いましたか」
「年齢は五十代半ば、あまり運動はしていなくて、温厚な性格、と思いました」
「そうね。多くの人がそう思うでしょう。初日の今日は、みなさんに簡単な課題を出します。基本の……単純な暗号です」
教卓にバーサから借りた大きなバッグを置いた。年季の入った婦人用の、ありふれたバッグだ。ここに着替えと教材が入っている。
壁際に置いてある大きな衝立を運ぼうとしたら、サッと二人の少年が立ち上がって手伝ってくれた。
教卓の後ろ、カーテンの手前に衝立を置いてから、バッグを開けて折りたたんだ紙を二枚取り出した。
紙にはエルマーの『失われた王冠』の初版本を拡大して書き写してある。
一枚目は三匹の魚と誤字のある文章、二枚目は四羽の小鳥と誤字のある文章。それをピンで衝立に留めた。
「さて、二枚の紙には暗号が隠されています。解読できるかしら?」
「先生、変装の授業ではないのですか?」
サンドラが手を挙げて質問した。
「変装の授業よ。でも、時間がもったいないから、私が着替えて変装している間に、これを読み解いてほしいの」
五十代の声で説明した。私が変装すると言うと、鼻で笑った生徒が五人。
だが暗号と聞いて、大半の生徒は目が輝いた。手にペンを持って構えている子もいる。
「では、始め」
全員が紙を見つめている。私は衝立の後ろに入り、急いで服を脱いだ。体型を変えるための布と紐をどんどん外していき、下着になる。
バッグの中から細身の、やや品のない感じに襟ぐりの開いたワンピースドレスを着た。体のラインを強調するデザインだ。
お団子に結い上げていた赤髪のカツラを下ろして、色っぽい感じに手櫛で髪を整える。
手早く『老け化粧』を落とし、色白に見える化粧をして口の脇にホクロを描いた。
派手なイヤリングとブレスレットをつけ、仕上げに手鏡を見ながら真っ赤な口紅を塗って終わり。
「はい、手を止めて」
地声で号令を出しながら衝立から姿を現すと、訓練生たちが「え?」という顔をした。
「変装をして出てくると思っていましたか? 先ほどの姿が変装です。年齢を二十歳ほど上に、肉付きをよく、声と姿勢を変えていました。でも、今もまだ変装しています。本当の姿でお会いするのは次回にして、今日はこのままで授業を進めます。暗号は解けましたか?」
何人かは首を振っているが、参観者を含めたほとんどの生徒が私を食い入るように見ている。
口をぽかんと開けている訓練生も三人いた。
新連載『古城で暮らす私たち』もお暇なときにお立ち寄りください。
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