-13 『封印』
完全に不意をつかれたバーゼン。
すっかり目の前のクルトに執着して終着おかげで、ただの小娘でしかない私でも容易くそれを奪うことができた。
封印の箱はイビルの残滓が残る、いわば本体のようなもの。私に奪われたことでそれがバーゼンから離れ、彼の体がバランスを失ったようによろめく。
「この……返せっ。それは俺のものだ」
「ええ、そうね。これはイビルのもの」
七百年前に私の一族がイビルのために封印をほどこした特別な箱。
あの時はイビルの力が膨れ上がりすぎて、完全な封印はできなかった。けれど一度封印され、当時の魔法力を失っている今なら。
――私でも、できるはず。
そう。
落ちこぼれだと散々言われた私でも。
これは、私にしかできないことだ。
「貴方の大切なものよ。すぐに返してあげるわ!」
奪い返そうとしてきたバーゼンをかわし、私は封印の箱を彼に向けて掲げあげる。そして、自分の中にある魔法のすべてを込めるように、その箱へと魔法力を注いだのだった。
――『引き寄せ、留める』魔法。
引き寄せるのは、バーゼンにとりついたイビル。
これが上手くいくかわからない。けれど先代は成功させたのだ。そのときの魔力が戻ってきている私にだってできるはず。
私はひたすら力を込め続けた。
「ぐああああああ」
やがて苦痛に苛まれたようにバーゼンが叫び声をあげ始めた。彼を包んでいた黒い霧が、私の持っている箱へと暴風のように吸い込まれだす。それはやがて激しい濁流のように勢いを増し、バーゼンの周囲に漂うすべての霧を箱の中へと呑み込ませたのだった。
「この……小娘が。お前、まさかあの時の」
バーゼンが苦悶によろめきながらもそう言葉を漏らす。だが彼がしゃべっているのに、どこか彼の言葉ではないようだった。
「イビル?」
まさかバーゼンの体まで操っていたというのか。バーゼンがこれほどの凶行を犯してしまったのも、彼に意識が乗っ取られていたのかもしれない。
――宿主が窮地に陥って慌てて出てきたってところかしら。
けれどもう遅い。
「私のご先祖様のことを言ってるのかしら?」
「やはりか……だが、お前一人で俺様を封印できると思うな」
「やってやるわよ!」
バーゼンの体をまとっていた霧がすべて消え去り、やがて箱の中へとすべてが収まったのだった。
バーゼンからイビルを解き放った。
だがこれではまだ『引き寄せた』だけだ。封印するためにはこのまま『留める』ことが必要である。
――なにこれ。凄く暴れてるのがわかる。
まるで質量の持たないただの霧のようなのに、イビルは箱の中に収まろうとせず、今にも飛び出そうと膨れ上がっている。私がどうにか魔法を力を注ぎ続けることでどうにか引き留めている状態だ。
封印するということは、これをずっとやり続けなければならないのだろう。だがイビルの暴れ具合はひどく、少しでも気を抜けば今にも逃げ出してしまいそうだ。
「くっ……これじゃあ保たないわ」
学園長レグニスは、長い封印から目覚めてこれまで蓄えてきた魔法力が消えている今なら私にも封印できるかもしれないと言っていた。
しかし実際は、思っていたよりもずっと私の手に余る。まるで抑えのきかない猛獣の首輪をひっぱているようだ。これ留め続けておくなんて。
「……こんなの、無理よ」
ああ、そうか。と私は理解した。
イビルはこれまで、ルーラ達優等生組の魔法を吸い取ってきている。
――もう私一人でどうにかできる限度を超えているんだわ。
七百年前もそうだった。
その時はまったく力が足りず、結局、竜の力を頼った。
竜――近くの木の上で倒れたリルを見やる。
彼女の力を借りて共に封印をすれば、また七百年前と同じようにイビルを押さえ込むこともできるのだろう。
だがそれは、リルをまたこの箱に押し込めるということだ。そうなるともう彼女はここから出られなくなってしまう。
――そんなのはイヤ!
浮かんだ手段を喉の奥でかみ殺し、私はより一層留翼、魔法の力をひたすら箱へと向け続けた。
どうにかしてイビルを封印してみせる。リルが犠牲にならなくてもいいように。
そう心は強く思うものの、その間にも、魔法を注ぎ続けることでひたすら走り続けているような疲労感が体を襲ってきている。
体が悲鳴を上げてる。もう限界だと。
だが気は抜けない。
その瞬間にまたイビルが飛び出し、逃げてしまうだろう。
ここで決める。
けれど厳しい。
疲労に心が挫けそうになる。
できることなら今すぐにやめたい。こんなことを投げ出して、何も考えずに過ごしていた落ちこぼれの日々に――。
「いや、それはないわね」
リルのおかげで、誰かに頼られる嬉しさを知った。そうして生まれる新しい人付き合いも知れた。
私は今を後悔なんてしていない。
たとえどんな結果になっても、私はリルと一緒に過ごしたこの時を大切に思う。
――リルも助けて、イビルも封印してみせるんだから!
今にも張り裂けそうなほど暴れるイビルを、意地になって歯を食いしばってでも押さえつける。
絶対に。
たとえ、自分の中の魔法が枯れ尽きても。
「どうにか……どうにかっ!」
――リルのために!
それでもやはり私一人の力では限界だった。やがてイビルの黒い霧が、膨張したように箱から膨らみ出はじめる。
押さえ込み留める力が足りないのか、封印の箱に僅かなヒビが入った。
このままではイビルが解き放たれてしまう。
「そんな……駄目なの……」
つい弱音を吐こうとしてしまったその矢先。ふと、封印の箱を握る私の腕が急に掴まれた。
クルトだった。
「一人じゃ無理なら、俺の力を使えばいい」
「クルト?!」
クルトが封印の箱に手のひらを掲げ、魔法を注ぐ。
「俺の『物質強化』の魔法でこの箱を強化する。決してイビルにも壊せないように。お前の力と一緒に俺の魔法をここに引き留めるんだ」
クルトの魔法によって箱は硬質化し、損傷が止まる。それはイビルが暴れてもびくともしないほどに固い強度を持った箱にないっていた。
これならば、クルトの魔法がかかり続けている限りイビルが箱を壊して逃げることは不可能だろう。
だがそれはつまり、
「貴方の魔法も私みたいに、ここに一緒に封印されてしまうのよ」
先代の私の家系のように、イビルの封印のために失われてしまうということだ。
そうであることはクルトも重々理解しているはずなのに、当の彼は暢気に頷いた。
「ああ、そうだな」
「わかってるの? これじゃあ貴方まで魔法を使えない落ちこぼれになっちゃう! あれだけ頑張って魔法の練習をして、優等生にまでなったのに!」
「いいんだ、別に」
クルトを私を見やって首を振った。とても落ち着いた、優しい顔つきだった。
「俺が頑張っていたのは、いつかお前の助けになるためだ。お前は勉強も嫌いだし運動も苦手だし、そんな手の掛かるやつだから。無茶ばかりするお前は、俺が守ってやらないと」
「な、なによ。救世主の王子様のつもり?」
「馬鹿言うな」
クルトが気さくに笑う。
「ただの幼なじみだよ」
たった一言、優しくそう吐き捨てたクルトは、全身の神経を集中させて自分の力のすべてを封印の箱へと注ぎ始めた。
出ようとしていたイビルの力を示す黒い霧が箱の中に収まっていく。
やがて暴れる様子も収まり、その霧はすべてがすっぽりと箱の中へと包まれた。
「あとは箱に蓋をすればいい。それで封印は完了だ」
「わかったわ」
封印の箱の底に被さっていた箱を、私は手に取った。
「これで終わりよ!」
そうして全身全霊の魔法を込めながら、その箱をしっかりと閉じきったのだった。




