「hell and heaven」⑤
「皆様、右手をご覧下さいませ」
アヤメの言葉に一同は首を右に振る。しかし、車窓から見える景色は真っ暗で正直そこに何があるのかサクラ達は解らなかった。
「アヤメさーん。真っ暗で何も見えないデース」
シンディがアヤメに言葉を飛ばす。
「慌てない、慌てない」
彼女はそんなシンディを諭すと深く息を吸い込んだ。
「右に見えます由布岳は~。その名も別名豊後富士~。」
「山頂から見えます眺めには~。愛媛、福岡、不夜城別府でございます~。」
アヤメの五七調の名所案内は真っ暗な山間においてもその情景を浮かび上がらせるほどに見事なものだった。
「はぁ~」
乗り合わせた一同は思わず深いため息を吐く。
「何も見えないはずなのに何か見えた気がしたわ」
サクラは思わず言葉を漏らした。
「噂には聞いた事があるけど見事なものね」
おケイもその見事なアナウンスに酔いしれた。
「はぇ~」
シンディとヨシに至っては放心状態となっていた。
「アヤメちゃーん。腕は落ちとらせんごたるのう」
油屋が最後尾から声をかけると、アヤメはニッコリと微笑んだ。
クラシカルな外見のボンネットバスは由布岳を通り過ぎるとうねる山間の峠道を登って行く。
それに搭載されているディーゼルエンジン。味わいある独特な振動が心地よく車内に響き、サクラ達を包み込む。
そのエンジンから生み出された出力は、フライホイールを介してインプットシャフトを通じ、ギヤで変換された出力はアウトプットシャフトからドライブシャフトに、そしてその先に接続されるディファレンシャルギアは左右のタイヤにエンジンの出力を伝え、後輪を駆動させる。
文章にすると実に機械的だが、実際の雰囲気自体は全く別の印象を受ける。
まったりと、それでいて満ち足りた時がバスと路面の僅かなうねりから生み出される。
周りは山間と言うこともあり、漆黒の暗闇が覆い尽くしているが、サクラ達をのせたバスの車内は暖かく、朗らかに進んで行く。
「さてと」
ゴトゴトと揺れる車内で油屋はおもむろに立ち上がる。
「運転手さん。こんままいつもん所にバスを進めちくりぃ」
彼は最後尾のベンチシートからそう運転手にいい放つと「どっこいしょ」と、再びシートに腰を落ち着けた。
「油屋サーン。どこに行くデスカー?」
シンディが座席から顔だけを後ろにむけて出して油屋に問いかける。
「湯の街別府に来ち温泉に行かんちバチが当たるで」
油屋がシンディの質問に答え終えるとすかさずバスの運転手が口を開いた。
「社長。そん前にこれから見せ所に行くで」
「ほうじゃった、ほうじゃった」
油屋は寂しい頭をペチペチ叩くとニンマリとほくそ笑んだ。
「見せ所?」
ヨシが不思議そうな表情を浮かべアヤメを見る。
彼女はただ微笑むだけでこれと言った事は言いそうにはなかった。
そんな彼女からヨシは視線を外すと隣に座るサクラと顔を見合わせた。
「さぁ、もうすぐやで」
運転手の彼はそう言うとカーブに合わせて大きくハンドルを切る。そしてカーブを曲がり終えりるとそれを切り直し、バスを直進させる。
バスは少しキツ目の坂道をエンジンを唸らせながら登っていく。それに合わせてアヤメが「皆様、前方をご覧下さいませ」とアナウンスを入れると、通路にしゃがんでその身をフロントウィンドウから避けた。
斜面という事もありサクラ達は思わず前のめりの乗車姿勢になる。
唸るエンジン音が不意に穏やかになる。
腰に感じていた勾配がフッと消えたかと思うとバスのフロントガラス一面にダイヤを散りばめたような瞬きが広がった。
今まで、山間を走っていたため彼女達を乗るバスを照らす月明かりや星の輝きは木々によって遮られてきた。
しかし、それらが一変になくなると代わりに現れたのが満天の星空。
そう、山を越え高原に出たサクラ達のバス。そこを貫く一本の道路。その名は
やまなみハイウェイ




