第六話 星は夜空の時計
五つ目の手がかりは、こうだった。
針のない時計を、夜空に探せ。
「星が時計、ってこと?」
「そうそう。星座の位置見たら、だいたい何時か分かるで」
ソラは、夜空を見上げながら、得意げに言った。
わたしたちは天文科学館の夜間観望会に参加した。美月さんが、特別に観測の手伝いをさせてくれることになったのだ。
屋上の観測スペースには、大きな望遠鏡がいくつか設置されていた。空はよく晴れていて、町の明かりの向こうに、たくさんの星が見えている。
「あの星、見える? 北のほうの、ひときわ明るい星」
ソラが指さした先に、北極星があった。
「あれを中心にして、まわりの星がぐるっと回って見えるんよ」
「回ってるように見えるだけで、実際は動いてないんでしょ」
「動いてるのは、地球のほうやな。地球がくるくる回ってるから、星が動いてるように見えるだけ」
わたしは、頭では理解できた。地球の自転。これまでの観測でも、何度か聞いてきた言葉だ。けれど、実際に夜空を見上げても、星が動いているようには、まったく見えなかった。止まっているようにしか見えない星たちが、本当に「動いている」と言われても、実感がわかなかった。
「じっと見ててもわからんで。時間おいて、また見てみ」
わたしたちは、同じ星を一時間おきに撮影し、その位置を記録していくことにした。
ナナが望遠鏡にカメラを固定し、わたしが時刻を記録する。ソラは肉眼で星座の形を確認し、ノートにスケッチを残した。
最初の一時間は、特に変化が分からなかった。
けれど、二時間、三時間と経つうちに、写真を見比べると、確かに星の位置が少しずつずれていることが分かった。
「ほんとに、動いてる……」
わたしは、自分の目で確かめた変化に、少しだけ興奮した。北極星の近くにある星たちは、北極星を中心にして、円を描くように位置を変えていた。
「北極星だけ、ほとんど動いてないように見えるんやけど、これって……」
「地球の回転の軸が、ちょうどあの方向を向いてるからやって。美月さんが言うてた」
北極星は、地球の自転の軸の延長線上に、たまたま位置しているから、ほとんど動かないように見える。ほかの星たちは、その北極星を中心にして、ゆっくりと円を描いていく。
夜空全体が、ひとつの巨大な時計のように見えてきた。
これまで、ノートの手がかりに従って、子午線や太陽の動き、時差について調べてきた。けれど、夜空そのものが時を刻んでいるという発想は、わたしにとって新しいものだった。
順調に観測を進めていたとき、ふいに雲が広がり始めた。
「うわ、最悪……」
ソラが空を見上げて、舌打ちした。観測したかった星が、雲に隠れ始めている。
「今日は無理やな」
ソラはあっさりと諦めかけた。けれど、わたしの中で、何かがひっかかった。
「待って。ここまでの記録があるなら、雲が切れたとき、星がどこに見えるか、予想できるんじゃない?」
「予想って……」
「一時間ごとの記録から、移動の角度が分かるでしょ。だったら、次にどこに動くか、計算できるはず」
わたしは、ノートに記録した星の位置の変化を、もう一度見返した。
一時間ごとに、ある角度ずつ、決まった方向へ動いている。
その規則性を使えば、雲が切れたときに星がどこにあるかを、おおよそ予測できるはずだった。
「水野、それ、やってみよか」
ソラの目が、急に真剣になった。
わたしたちは、これまでの記録をもとに、雲が切れる時間を見計らいながら、望遠鏡の角度を少しずつ調整していった。ソラが肉眼で雲の動きを観察し、わたしが計算した角度を伝える。
「もうちょっと右」
「これくらい?」
「うん、たぶん、それくらい」
雲が切れた。
けれど、望遠鏡の中に星はなかった。
「……いない」
わたしは、計算を書いたノートを見返した。
「水野、ここの角度、一時間分やなくて、二時間分足してへん?」
ソラが指さした。
本当だった。雲に隠れていた時間を、わたしは一回多く数えていた。
「ごめん。計算、やり直す」
「まだ雲は切れとる。間に合うで」
以前のわたしなら、間違えたことだけで頭がいっぱいになっていたかもしれない。けれど今は、消して書き直せばいいと思えた。
わたしは急いで計算を直し、ソラに新しい角度を伝えた。
望遠鏡を合わせ直した直後、雲の切れ間に星が一瞬、姿を見せた。望遠鏡の視野の中に、今度は予想していた位置とほとんど同じ場所に、星が入っていた。
「入った!」
わたしは思わず声を上げた。ソラも、嬉しそうにこぶしを握っている。
「水野、すごいやん。計算だけで、ぴったり当てるなんて」
「黒田くんの、星の動きの知識があったから」
お互いに、少し照れくさそうな空気が流れた。
わたしは、これまで記録というものを、「過去に起きたことを残すためのもの」だと思っていた。けれど、今夜のことで、記録には別の使い方があると気づいた。
記録は、次に何が起きるかを予測するための、道具にもなる。
過去のデータを積み重ねることで、まだ見えていない未来の一部を、見通すことができる。
それは、わたしにとって、新しい発見だった。
観望会が終わり、片付けをしていたとき、ふと気づくと、ソラの姿が見えなくなっていた。
「黒田くん、どこ行った?」
ナナに聞いても、首をかしげるだけだった。
しばらく待ったけれど、ソラは戻ってこなかった。
以前のわたしなら、もう少し待ったかもしれない。けれど、今夜は、なぜか待つ気になれなかった。
「先に帰る」
わたしは美月さんとナナに告げて、一人で帰路についた。
帰り道、わたしはノートを開いた。新しいページに、こう書かれていた。
正しい時刻を知っている者が、正しく待てるとは限らない。
わたしは、その文字を何度も読み返した。
時差の仕組みも、地球の自転も、昨日の観測でだいぶ分かった。経度が違えば、時刻が違う。それは、ちゃんと理屈で説明できることだった。
でも、待つことについては、理屈だけでは説明できない何かがある気がした。
正しい時刻を知っていても、待たされる側の気持ちは、なくならない。
お父さんのことも、ソラのことも、わたしはきっと、頭では分かっているつもりでいた。仕事があれば遅れることもある。理由があれば、仕方ないこともある。
それなのに、心のどこかで、わたしはずっと、納得できずにいた。
地球が回っているから、同じ瞬間でも、場所によって時刻が違う。
それなら、同じ瞬間でも、人によって、時間の感じ方が違うことだって、あるのかもしれない。
わたしはまだ、その考えを、うまく言葉にできなかった。
ただ、ノートに書かれた一文だけが、しばらく頭から離れなかった。




