揺らぐ心
ファリオンは、鍛冶場に足を踏み入れた。
だが――そこに、イグニスの姿はなかった。
「また、人間のところか……」
胸の奥がざわつく。
頭では分かっている。
イグニスが人間と関わることは、神として重要な役目だと。
でも――。
心は、そう簡単に納得できなかった。
まるで、自分を取られたような寂しさ。
その感情が、力となって溢れた。
パチッ……!
光の粒子が、ファリオンの周囲で弾ける。
「ファリオン、やめろ!」
エルディアスが素早くアステリアの前に立ち、
ファリオンの放つ力から、彼女を庇う。
ハッとする。
アステリアの肩が、かすかに震えていた。
「ごめん……そんなつもりじゃなかったんだ」
光を収束させたものの、ファリオンは拳を握ったままだった。
エルディアスは、じっと兄を見つめる。
「感情に流されるな」
言葉にはしなくても、その瞳がそう告げていた。
天界は、静かに揺れていた。
下界では戦が激しさを増し、
神々の多くが戦地へ向かっていた。
イグニスも、その一人だった。
彼が天界の門をくぐる姿を、
リリスは何度も見送っている。
彼は傷つくことがあっても、決して滅びることはない。
神とは、そういう存在だから。
それでも。
(どれだけ強くても、ひとりで背負い込まないで……)
リリスは、鍛冶場の奥に残された火床を見つめた。
静かに揺れる炎が、どこか遠くで戦うイグニスの姿と重なる。
送り出すことしかできない自分が、もどかしかった。
イグニスの家の裏庭に広がる丘では、そよ風に白い花が揺れていた。
エルディアスとファリオンは木刀を手にし、軽く打ち合いを始める。
最初は、ただの稽古だった。
けれど――。
カンッ!
木刀が激しくぶつかる音が響くたびに、二人の熱が上がっていく。
やがて、ファリオンがエルディアスの木刀を弾き飛ばした。
「……ちっ」
エルディアスが忌々しげに舌を打つ。
それが、きっかけだった。
エルディアスは木刀を拾い上げると、
そのまま本気の力を込め、鋭い一撃を繰り出す。
ファリオンも負けじと応戦し、稽古はいつの間にか激しい勝負へと変わっていた。
アステリアは、手にした花をぎゅっと握りしめる。
「二人とも……もうやめて!」
けれど、その声も届かない。
バキッ!
木刀が大きく弾かれ、ファリオンとエルディアスはそのまま地面に転がる。
そして――取っ組み合いの喧嘩が始まった。
リリスが遠くから歩いてくるのを見て、
アステリアは困ったように眉をひそめる。
すると、リリスは微笑みながら肩をすくめた。
「……まったく。男の子ってのは、どうしてこうも単純なのかしら」
それでも二人は、息を切らしながらも睨み合い、なおも勝負を続けようとしていた。
すると――。
パンッ!
澄んだ音が、丘に響く。
リリスが手を叩いたのだ。
「はい、そこまで!」
突然の音に、ファリオンとエルディアスが動きを止める。
「勝負は一旦お預け。そろそろ花も踏み潰しちゃうわよ?」
リリスが指さす先には、二人の足元で無惨に散った白い花々。
ファリオンはそれを見て、ふっと力を抜いた。
「……ちょっと熱くなりすぎたな」
エルディアスもため息をつき、ゆっくり立ち上がる。
アステリアは、安堵の息をついた。
喧嘩の後、丘の上に腰を下ろす。
空はどこまでも青く、風が心地いい。
アステリアは、そっと地面に落ちていた花を拾い上げた。
「せっかく綺麗に咲いてたのに……」
指先で優しく撫でながら、ぽつりと呟く。
すると、リリスがくすっと笑った。
「大丈夫。こういうのは、新しく編めばいいのよ」
彼女は手早く白い花を摘み、器用に編み始める。
アステリアも、それを見て自然と手を動かした。
その間、ファリオンとエルディアスは少し離れた場所で、何やら言い合いながら木刀の手入れをしている。
やがて、リリスが作った花冠が完成した。
「はい、エルディアス。お詫びに、これでも被っておきなさい」
リリスが、エルディアスの頭にそっと花冠を載せる。
「は? なんで俺が――」
「さっきの喧嘩で花を散らしたでしょ? せめてそのくらい、償いなさい」
そう言って、リリスは悪戯っぽく微笑む。
エルディアスは何か言いかけたが、口をつぐむ。
(……壊すわけにもいかないしな)
不満げに鼻を鳴らしながらも、手を伸ばして取ることはしなかった。
リリスは、そんな彼を見て満足そうに微笑む。
そのやりとりを、アステリアは静かに見つめていた。
彼女は、自分の花冠をそっと手に取る。
しばらく迷うように眺め――そっと、ファリオンの頭に載せた。
ファリオンは、一瞬驚いたように目を瞬かせた。
そして――。
「どう? 天界一おしゃれな男神になれたかな?」
茶目っ気たっぷりの笑顔。
その瞳に、アステリアの姿が映る。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
その時――。
遠くで、雷鳴のような轟音が響いた。
ファリオンは、ふと空を見上げる。
天界の空が、わずかに揺らいでいるように見えた。
(……気のせい?)
だが、その胸のざわめきは、なぜか消えなかった。
読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに。
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