未来でまた会える
イグニスの森は、かつての姿を失っていた。
ファリオンは、一人でその深奥へと足を踏み入れた。
結界が解け、森には生命の気配が満ちている。鳥のさえずり、川のせせらぎ、木々のざわめき――まるで新しい命を吹き込まれたかのようだ。
けれど、そこにかつての威厳ある静寂はない。
「……変わったな」
呟く声は風にかき消される。
ファリオンにとって、この森はもはや別の場所だった。
それでも、足を止めることなく進む。
森の奥深く、鍛冶場はひっそりと佇んでいた。
かつてイグニスが剣を打ち、炎を操っていた場所。
しかし今は――。
崩れた炉。苔に覆われた石材。歪んだ床。
壁の一部は崩落し、草木がそこを埋めるように生い茂っている。
かつては、鉄を打つ音が響き、火花が舞っていた場所。イグニスの誇りが詰まった場所。
だが今、それを知る者はもう、ほとんどいない。
ファリオンは静かにその光景を眺め、やがて鍛冶場を後にした。
その時だった。
――笑い声が聞こえた。
足を止める。
振り返ると、そこには三人の子供たちがいた。
ファリオン、アステリア、エルディアス――幼き日の自分たち。
無邪気に笑い、駆け回る姿。草を踏みしめ、風を切る足音。
そして――開かれる扉。
リリスが、そこに立っていた。
彼女は穏やかな笑顔を浮かべ、子供たちに何かを語りかける。そしてふと、立ち尽くすファリオンに視線を向けた。
その瞳には、すべてを受け入れるような優しさがあった。
変わらない。
記憶の中のリリスは、いつもこうだった。
胸が締めつけられる。
ファリオンはかすかに息を呑み、そして小さく呟いた。
「……ごめん、リリス」
その瞬間、幻は消えた。
静寂が戻る。
ファリオンは目を閉じ、深く息を吐いた。そして、再び歩き出した。
家の裏手へと回る。
そこには、白い花が一面に咲き誇る丘があった。
風が吹き、花々がゆらめく。その中に、静かに並ぶ二つの石。
イグニスとリリスの墓。
その上には、白い花冠が置かれていた。
少し萎れているが、まだかすかに香る。
「……アステリアか、エルディアスか」
誰かが訪れていたことがわかる。
ファリオンはそっと指先で花に触れ、目を閉じた。
その時だった。
「やあ、ファリオン。また来たのか?」
――声が聞こえた。
ファリオンは息を呑む。
振り返る。
誰もいない。
だが、確かに聞こえた。
ファリオンは静かに墓標を見つめる。
「……イグニス」
あの日、彼が最後に言った言葉が脳裏に蘇る。
「私たちは、未来でまた出会える」
あれは、ただの慰めだったのか? それとも――。
ファリオンは、何度もその意味を考えた。
女神の学堂で知識を漁り、古代の書を読み漁り、魔法理論を学び、禁忌にさえ手を伸ばした。
だが、答えは見つからない。
禁忌に触れた魂は未来へは行けない。ただの"無"。
それが、この世界の理。
それでも――。
それでも、彼にはわかってしまう。
どれほど知識を積もうとも、どれほど理論を重ねようとも、否定できないものがあることを。
あの瞬間、イグニスは確かにそう言った。
確信に満ちた声で。
まるで、それが"真実"であるかのように。
もし、それがただの夢想だったとしても。
もし、その先に待つのが絶望であったとしても。
ファリオンは信じ続けるだろう。
イグニスの遺志を、この手で繋ぐために。
風が吹き、白い花びらが宙を舞う。
ファリオンはそれを見上げ、静かに目を閉じた。
そして、その瞬間――。
彼は確かに聞いた。
運命の歯車が、再び動き出す音を。
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