第九話:信頼関係を構築しまして
焚き火の燃焼効率は、薪の配置と空気の流入量によって決定される。
私が【整える力】を用いて、黄金比のピラミッド型に組み上げた薪は、煙を一切出すことなく、一晩中安定した熱量と光源を提供し続けるはずだった。
帝国への道中、私たちは街道から少し外れた森の開けた場所で野営を行っていた。
夜の森は冷える。だが、私が風向きを計算してテントを配置し、地面からの冷気を遮断する断熱マット(魔物の毛皮を最適化したもの)を敷き詰めたこのキャンプサイトは、下手な宿屋よりも遥かに快適な居住環境を構築していた。
「……はぁ。ねづっちの野営の準備、何度見ても魔法より魔法みたいね。一瞬で快適空間ができあがっちゃうんだもの」
銀髪を揺らしながら、リリアが温かいスープの入った木組みのカップを両手で包み込んだ。
「カロリーと栄養素を完璧に計算して配分した携帯食料のスープです。味覚への刺激も最適化してありますので、疲労回復に寄与するはずですよ」
「うん、すっごく美味しい! あたし、こんなに美味しいご飯、孤児院を飛び出してから初めてかも!」
ミラが短い足をパタパタとさせながら、満面の笑みでスープを飲み干す。
火を囲むのは、私を含めた五人のパーティーメンバー。
これまでの戦闘やダンジョン攻略を通じ、私たちの連携は完璧なものとなっていた。だが、システムを構成するのは人間だ。長期的なプロジェクトを遂行する上で、メンバー間の心理的安全性の確保は、物理的なステータス以上に重要なファクターとなる。
「……なぁ、ねづっちの旦那」
ふいに、大剣を手放して胡座をかいていたガルドが、炎を見つめながら口を開いた。
「俺、実はあんたに拾われる前、別の傭兵団にいたんだ。でもな、あの『心の呪縛』のせいで、仲間同士で金や手柄を奪い合うようになっちまって。最後は……信じてた相棒に背中から斬られそうになって、逃げ出したんだ」
ガルドの太い声には、普段の豪快さとは裏腹な、深い後悔と悲哀が混じっていた。
「俺はずっと、自分が逃げたことを悔やんでた。だが、あんたの『無駄を省く』戦い方を見てると、なんだか救われるんだよ。感情でグチャグチャになったあの泥沼の殺し合いとは違う。あんたの隣にいると、剣を振るう意味が『きれい』になる気がしてな」
「あたしもさ」
ガルドの告白に釣られるように、ミラがぽつりとこぼした。普段の「にゃはは」という明るい笑い声はそこにはない。
「路地裏でずっと一人だった。誰かに騙されないように、隙を見せないように、ヘラヘラ笑って誤魔化してた。でも、ねづっちがあたしのポーチの中身を整理してくれた時……なんだか、あたしの心のぐちゃぐちゃな部分まで、きれいに整頓してくれたみたいで。すっごく、安心したんだ」
「……お二人の気持ち、わかります」
聖女セレナが、静かに祈るように目を閉じた。
「私も、教会の期待に押し潰されそうでした。呪縛に苦しむ人々を救えない無力感から、無意味な祈りの言葉で自分を飾り立てることしかできなかった。ねづっち様は、そんな私の虚飾を削ぎ落とし、ただ『救いたい』という純粋な光だけを残してくださいました」
パチッ、と薪が爆ぜる音がした。
三人の視線が、そしてリリアの優しい視線が、私に向けられている。
彼らは自らの「過去のエラーログ」を私に開示することで、プロジェクトメンバーとしての深い信頼を示してくれているのだ。
ならば、リーダーである私もまた、自身の情報をある程度開示するのが、組織運営の最適解だろう。
「……私の番、というわけですか」
私はカップを置き、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
「私の過去について語る前に、一つ訂正しておかなければならないことがあります」
私は炎の揺らめきを見つめながら、静かに言葉を紡いだ。
「皆さんは私を『冷静』だの『ブレない』だのと評価してくれますが、それは正確ではありません。私は、感情をコントロールしているわけではないのです」
「え?」と、リリアが首を傾げた。
「私は……生まれつき、感情というデータの『容量』が、極端に少ないのです」
私が前世の日本でシステムエンジニアをしていた頃。
周囲の人間が怒り、悲しみ、喜び、恋愛に溺れる中、私だけが常に蚊帳の外だった。人がなぜ感情で非合理な行動をとるのか、全く理解できなかった。私の心は、どこまでも平坦で、凪いだ水面のように無機質だった。
「心が無い」「冷たい機械のようだ」と、何度言われたかわからない。
「喜びも、悲しみも、私にとってはただの『情報』でしかありませんでした。強い感情に振り回される人々を見て、私はいつも戸惑っていました。自分の中には、彼らのような熱い熱量が存在しなかったからです」
私は自身の胸に手を当てた。
「だからこそ、私は『整える』ことに執着したのかもしれません。複雑に絡み合った感情や、非合理な事象を、論理という箱に分類して整理する。そうしなければ、私は世界という巨大なシステムの中で、自分の居場所(座標)を定義できなかった」
静まり返った夜の森に、私の淡々とした声だけが響く。
「この『整える力』は、私のそんな精神構造が具現化したものに過ぎません。皆さんが思っているような、英雄的な信念や、温かい心から来るものではない。私はただ、散らかっているものを放っておけない、強迫観念に近い自己満足で動いているだけなのです。……だから」
私はそこで一度言葉を区切り、メンバーの顔を見渡した。
「私は、皆さんが求めるような『心優しい勇者』にはなれません。皆さんが私に向けてくれる信頼や好意に対し、同じ熱量で返すことは、システムの仕様上、不可能なのです」
それは、私なりの誠意だった。
彼らの温かい感情に対して、冷たい真実を突きつけること。それで彼らが失望し、パーティーの士気が低下するリスクは計算していた。
だが、隠したままプロジェクトを進行させることは、後々より致命的なバグを引き起こす。
沈黙が落ちた。
焚き火の炎だけが、私たちの顔を赤く照らしている。
やがて、その沈黙を破ったのは——ガルドの大笑いだった。
「がはははっ! なんだ、ねづっちの旦那。そんな難しい顔して話すから、どんな重い過去かと思えば!」
「え……?」
私が予期せぬ反応に計算を乱されていると、ミラもケラケラと笑い出した。
「あははっ! ねづっちってば、ほんと不器用! そんなの、最初からわかってたよ!」
「はい。ねづっち様が誰よりも論理的で、感情に流されない方だということは、出会った日から明白でございます」
セレナもまた、クスクスと口元を押さえて笑っている。
「理解不能です。私の感情が欠落しているという事実に対し、なぜあなた方は笑っているのですか。これはパーティーの解散に繋がる重大な瑕疵のはずですが」
私が真顔で問うと、隣に座っていたリリアが、ふっと息を吐いて私の肩に軽く寄りかかってきた。
「バカね、リーダーさん」
リリアは、夜空の星を見上げながら、とても優しい声で言った。
「あなたの感情が薄いとか、システムがどうとか、そんなことどうだっていいの。私たちが知っているのは、あなたが『私たちのために、世界で一番安全な場所を作ってくれる』っていう事実だけよ」
「……」
「あなたが自分のことを冷たい人間だと思っているなら、それでいいわ。でもね、ねづっち。ガルドの剣の構えを直したのも、ミラのポーチの音を消したのも、セレナの祈りを軽くしたのも、私の散らかりそうな記憶を繋ぎ止めてくれているのも……全部、あなたのその『整える力』のおかげなのよ」
リリアは私に向き直り、真っ直ぐに私の目を見た。
「動機が自己満足だっていいじゃない。あなたが世界を整えようとしてくれるから、私たちはこうして、安心して笑っていられる。……あなたのその冷たい論理は、私たちを守る、世界で一番温かい毛布よ」
ガルドが力強く頷き、ミラが私の背中に抱きつき、セレナが私の手を両手で包み込んだ。
「そういうことだ、旦那。俺たちは、あんたのその『頭の中』に惚れてついてきたんだ。今更、感情が薄いくらいで揺らぐかよ!」
「ねづっちはねづっちのままでいいの! あたしたちが、その分いっぱい笑ってあげるから!」
「ねづっち様の御心は、女神様のように澄み切っております。それで十分でございます」
彼らの言葉は、私の論理を根底から揺さぶった。
欠落しているからこそ、彼らが補ってくれる。
私が彼らの物理的な弱点を整え、彼らが私の心理的な欠損を埋める。
……なるほど。これが『相互補完』。これが、完全な意味での『パーティー』というシステムなのか。
「……計算外でした」
私は眼鏡を押し上げながら、小さく息を吐いた。
「まさか、私自身のバグ(欠落)すらも、あなた方の存在によって『最適化』されるとは」
「ふふっ。ね、少しは感情、動いた?」
リリアが覗き込むように笑う。
「……ほんの少し、心拍数が通常値の十五パーセント増しになっています。この胸の奥の微細なノイズを、どのように言語化・分類すべきか、現状では処理が追いついていません」
私が正直にステータスを報告すると、四人はまたしても楽しそうに笑い声を上げた。
夜の森に響く彼らの笑い声は、まったく規則性のない、非論理的で乱雑な音の羅列だった。
だが不思議なことに、今の私には、その乱雑さがひどく心地の良い「音楽」のように感じられた。
「……悪くありませんね」
私は焚き火に一本の薪をくべ直した。
炎はわずかに揺らぎ、しかしより一層、温かく力強い光を放ち始めた。
「皆さん、明日は早朝より帝国領への越境タスクを開始します。十分な睡眠をとり、明日に備えてください」
「はいはい、リーダーの言う通りにね」
「おう! 明日は暴れるぜ!」
テントへ向かう仲間たちの背中を見送りながら、私は夜空を見上げた。
私の心は、相変わらず無機質で、平坦かもしれない。
だが、この四人と共にいるときだけは、その平坦な世界に、確かな「色」が点灯するのを感じていた。
この世界を覆う「心の呪縛」——魔神ハートレスがもたらした最悪のウイルス。
それによって人々の心が散らかっているというのなら、私が全てを整えよう。
この、かけがえのない仲間と共に。
帝国攻略に向けた私たちの「信頼」は、ここに完璧な形でビルドされた。
準備は完了だ。
さあ、世界のデバッグを再開しよう。




