女子高生と謨吝クォ❸
今日の一限目は、切絵先生の授業だ。何度も繰り返し受けた授業内容で、復習も完璧だ。小テストで、今ならこの分野で満点を取る自信がある。
チャイムの音が鳴り響き、切絵先生が教室に入ってきた。
(……あれ?)
一瞬、切絵先生が私をじっと見つめた気がした。視線には敏感になっていたから、それで気が付けたくらいのほんのわずかな時間だ。以前なら、気にも留めなかったかもしれない。
(気のせい、かな)
きわめて平静を装って、授業を受ける。
けれどそれが気のせいではなかったことが分かったのは、放課後になってからだった。
「三峰さん、ちょっといいかしら」
「え? あ、はい、なんでしょうか、切絵先生」
そう。突然、帰ろうとする私を廊下で、先生が呼び止めたのだ。
「お話があるの、一緒に来てくれる?」
「は、はい」
何か不味いことをしたか、頭の中で必死に思い出す。先生の後ろをついていきながら、廊下を奥へと進んでいく。
(ダメだ、心当たりがない)
「ちょっと、ここに入ってくれる?」
そこは普段使わない、空き教室だった。たとえば、授業でクラス分けが必要な時に使うので、放課後は特別な事情がない限り誰もいない。
「……ごめんね、急に呼びとめて」
「あ、い、いいえ。えっと、私、何か、しましたか?」
恐る恐る尋ねると、切絵先生の表情が強張った。
「……三峰さん。あなた、何か、辛いことがあるんじゃないかしら」
「えっ?」
「今、ご両親が海外に行ってらっしゃるのは聞いているわ。でも、何て言うのかしら。もっと重くて、すごく辛い気持ちになっている気がしたの。今朝から、ずっとそうよ。まるで十分に眠れていなくて、ずっと周りを警戒している様な……何か悩みがあるなら、私が精いっぱい、力になるわ」
そんなことを、こんな日に、こんな早くに、大人の人に言われるのは初めてだった。
誰も気づいてくれなかった、誰も案じてくれなかった、誰も……聞こうとしてくれなかった。
「というか、それとね。あの。あなた、今朝早くに、チラシを貼っていなかった?」
「あっ」
先生が出したのは、私が相変わらず続けているチラシ貼りの、その1枚だった。
まさか切絵先生に、見られているとは思わなかった。私の今の反応で、確信したらしい。先生が、チラシの内容を読み上げた。
「『4月10日に、恐ろしいことが起きる。悪夢が訪れる。バケモノが現れる』……こんなチラシを、あなたが考えなしに貼るとは到底、思えないの。何かとても大きな、悩みを抱えているんじゃない?」
ごくり、と、唾をのむ。
言っていいのか、分からなかった。
「教えて。どんなことでもいい、先生絶対に、馬鹿にしないから」
「でも」
「ここに書いてあることが本当だなんて、その。全部は信じられないけれど……でも本に残された記録と事実が違うように、三峰さんが考えたことをそのまま、教えてくれないかしら」
そこまで言われて……私は、黙っていられなかった。
教室の椅子に座るように勧められ、先生と真向かいになる。
「……私、ずっと、同じことを経験しているんです」
「それがこの、4月10日の、恐ろしいこと?」
「そうです。町中で、4月10日に突然、人を襲う不死のバケモノがたくさん現れます。それに噛まれると人は、同じようにバケモノになってしまうんです。どうしてか分からないけど、私はそれを何度も、何度も、なんども繰り返し体験しています」
切絵先生が、顔を伏せる。
「信じてもらえるわけがないってことは、分かっています。でもそれが原因で、私も、先生も、楓も、留美も、雪ちゃんも、みんなみんなっ、死んでいくんです。何度でも、何度でも!!」
小さく悲鳴を上げた私に、切絵先生がぽつりとつぶやいた。
「神話にそっくりだわ……でも……」
その言葉に、ふと、思い出す単語があった。あれは初めて、白い狼に喉を食い破られた時だ。あの時、留美が言っていた言葉。神話の神様の、その名前。
「寓 羅 貴ですか……?」
「知っているの?……」
呆然とする切絵先生だったが、表情を引き締めた。
「あのね、その。この土地の昔話に、似たようなバケモノの話があるの」
それは、全くの、盲点だった。思わず身を乗り出し、先生に聞く。
「どういう、ことですか」
「名前は知っていても、話は知らないの?……この土地に、寓 羅 貴という神様が下りたことで湖が出来たという神話があるの。いえ、神様じゃなくて、邪神と呼ぶべきね」
「邪神……?」
切絵先生が頷いた。
「最初、寓 羅 貴は貧しかったこの土地に湖を与え、さらに人々に知恵をもたらしたと伝わっているわ。でもその知恵は、自我のない不死身のバケモノになってしまうことだったの……。バケモノは殺しても死なず、血に染まったような赤い目をして、人々を次々と襲い始めた」
私は、息をのんだ。
あまりにも、あまりにも話が出来過ぎている。神話とは言え、状況はよく似ている。まさか先生がそういう作り話をしているのかと思ったが、そんなことをして何になるのか分からない。
私を落ち着けようとしている?
でも、それだけのために、こんな話をするだろうか。
何より、切絵先生の言葉の中で、私が今まで一度も先生に話していないことが含まれていた。『血に染まったような赤い目』、これはさっきからの説明で喋っていないし、チラシにも書いていなかった。
でも先生は、そういう話があると、言っている。
偶然だろうか?
「けれどその途中で、この土地の山の神様である狼が、当時の人間と共に戦ったことで、周囲に平和がもたらされた。そういう神話よ、あまりに残酷な描写が多くて、町の昔話をまとめた本にも載せないくらいなの」
「……そんな話があるんですか?」
「ええ。似てるのは、バケモノの増え方だけだけど……。もし自然と知ったとしても、やっぱり……何か、違和感があるのよね」
切絵先生はしばらく、腕組みをして考え込む。
そして、たっぷり30秒は悩んでから、私を見た。
「全部は信じられない、でも、三峰さんが寓 羅 貴の名前だけを不自然に知っているのは、やっぱり何か気になるわ。それに何より……悩み続けるのは、見たくない。一緒に、私も悩みます」
「き、切絵、先生……」
「チラシ貼りも、いったんストップしましょう? 朝早く起き過ぎたら、睡眠不足になっちゃう」
どう言っていいか、分からなかった。何と言葉にすればいいか、見つからなかった。
だけど、これは、とてつもない前進なんじゃないか?
「……ありがとう、先生」
力が抜ける。目頭が、熱くなる。
「……もう大丈夫よ。私が、一緒に、ついているからね」
先生が優しく抱きしめてくれて、私は思わず、人目をはばかることなく泣いてしまったのだった。




