89、手に入れたいと願うもの
「それにしても…、遅いですね、誰からも御連絡もないですわね、」
ケイティが不安そうに呟くと、少し考えてロックは真顔になって、静かに低い声で言った。
「戸締りを、リルル様。念のために、ドアにカギを確認して下さい。」
「どうして?」
「早く、説明は後でします。」
ヨネアがさっとカギを確認すると、ロックは窓辺に立ち、窓の外から見えないようにカーテンの陰に身を隠しながら、外の様子を確かめた。
リルルの部屋の窓は港に面し、グロケット城の正門が視界の隅に入った。
「あれは…、やはり、遠く東方の国の軍人たちだ…、」
ロックは正門やグロケット城付近に、深い群青色の軍人たちが集まってきているのを見ていた。
「マクシミリアン様はおいでになったとしても、すべてが収まってからでしょうね、」
「何が起こっているの?」
「リルル様…、遠く東方の国の軍人たちの様子を見ましょう。」
不穏な空気にリルルは不安になったけれど、侍女たちの顔を見渡して、私がしっかりしなくては、と気を引き締めなおす。そっとロックの近くに忍び足で近付いて、リルルも窓の外の様子を伺った。
「軍艦がいるのに、実力行使するの? この国の有名どころの貴族だって、ここにはいるのよ?」
黙ってカーテンの陰から外を見ているロックは、やがて、ヴァルターが大勢の軍人に囲まれて城の正門から出てくるのを見かけた。
「リルル様、終わったようです。お帰りになられる様子です。」
ヴァルターが後ろを振り返り、城を見上げて立ち止まった。リルルに気が付いたのか、手を振ってにやりと笑った。
「またね、ヴァルター、」聞こえないとわかっていても、リルルは小さく呟いて手を振った。
「あの様子だと、話は落着したみたいですね、」とロックはほっと一息ついた。
ドアをノックする音が聞こえ、マックスとゼノンの声が聞こえた。ロックが用心のためにドアを開くと、マックスとゼノンが入ってきた。
ほっとしたリルルは、侍女たちの顔を見回した。一様に安堵の笑みを浮かべている。よかった、緊張が解れたんだわ。
「リルル様、もう大丈夫です。少しご報告をさせていただいた後、我が甥のハグノンは一足先に結果を持って王城へと帰ります。この後、リルル様はグロケット公爵家の皆さんと同行されるのでしたな?」
「ええ、新年の祝祭の締めの行事だと聞いております。」
「一人で過ごされるのよりは大勢の者と同行された方がよろしかろう。では、マクシミリアン殿、くれぐれも警護をお頼みしますぞ?」
リルルはゼノンの顔を見つめた。
「ゼノン様、結果をお聞きしてもよろしいですか?」
マックスと顔を見合わせると、ゼノンは「繰り返すのもなんですからな。下へ参りましょう、」と微笑んだ。
※ ※ ※
昼食を終えると、グロケット公爵家の紋章の入った馬車が二台連なって墓所のある礼拝堂に向けて出発し、別の馬車でゼノンや法務官サテスも出発していた。
リルルはマックスとロック、ヨネアと一緒の馬車に乗っていた。それぞれにコートをしっかり着て首にはマフラーまでしていた。
「それにしても、ゼノン様は相変わらずですよね。『煮るなり焼くなり好きにしろ、』というおつもりなんでしょうか、」
罪人たちはこの国では裁判にかけずヴァルターに引き渡し、すべてを遠く東方の国の法で裁くという結果にしたようだった。
ロックはマックスに問いかけた。
「よくお父上は納得されましたね、」
「私は詳しくは聞いていないが、余計な禍根を我が領で持ちたくはないと決断されたようだ。」
「余計な禍根?」
リルルはロックとともに、首を傾げた。
「我が国の我が領の裁判で裁くことは出来ても、元を正せば、ヴァルター殿下一個人に対する私怨だ。我が領で一番避けたいのは、他国から『この領地で問題を起こしても、何のお咎めもなく罪を逃れられる、』という風評が立つことだ。軍人は軍事裁判にかけ軍法で裁かれる、と印象付けておいた方が軍の介入を厭わない領だと印象付けられる。」
マックスは向かいに座るリルルに微笑みかけた。
「ゼノン様が、『手ぶらで帰すと、代わりにリルル様を土産に連れていきそうだからのう、そうならぬようにつまらない者たちを土産にくれてやった、』と笑っておられたよ。それが本当のところだろう。」
ゼノン様らしいわ。
くすりと笑って、リルルはマックスを見つめた。
「ピフルール公爵やサテス様はなんと?」
「王配殿からは、出港時間を稼ぐようにと言われていたそうだ。引き渡しも軍が行っている。早くても今宵か、明日の朝の出港だろう。上々の出来なのではないだろうか。」
「遠く東方の国の属国の一つが、中央の大陸にはあります。小さな国ですが、海軍の軍事拠点があります。恐らくそこで、軍事裁判にかけるのでしょうね、」
ロックは指を折って数えながら言った。「中つ国よりも遠い国ですが、軍艦での移動ですからね。補給に立ち寄ることもなければ、明日出国すれば来週の半ばには到着するでしょう。」
「そう、丸く収まったのね?」
その頃には、王都の港から出航した南方の大陸の船はとっくに到着していることだろう。リルルはほっと胸を撫で下ろした。
「ああ、あとは私たちの余暇を楽しもう。リルルが私たちの祖先に花を手向けてくれるのは嬉しい限りだ。もうじき着くだろう。」
馬車の窓の外には雪が舞っていた。
「寒いなと思ったら雪ね、もうこっちでは雪が降るのね。」
リルルは雲の合間から見える青い空を見上げて、自分の領地の山間のアレナージュ領は積もっていそうだわ、と思った。
公爵家の墓地はグロケット城よりはホテル寄りの、小高い丘の中腹にあった。白い大きな礼拝堂の横に、花で囲われた墓地が広がっていた。中央の大きな白い墓石には、グロケット公爵家の紋章が刻まれていた。
リルルはヨネアから花を受け取ると、グロケット公爵夫妻、マックス兄弟の後に続いて花を手向けた。頭を下げて、無事となった加護に感謝した。ロックやヨネアは距離を置いて見守ってくれていた。
グロケット公爵夫妻は先に礼拝堂へと行ってしまった。リルルはマックス兄弟となんとなしに並んで立って、一緒に丘から見える街並みを眺めていた。灰色の雲が空を覆っていても、雲間からは神々しい光が暗い冬の海に明るい光を差し込んでいた。穏やかな冬の海の波間を飛ぶ白い鳥が見える。
湾には、軍艦が2隻停泊している。行き交う馬車や人々の暮らしの煙が見え、港町の賑わいが伝わってくる。
「この場所から広がる街並みや港は、どんどん大きく広がって、どんどん領地が大きくなっていった。そう聞いている。」
マックスが白い息を吐きながら言った。雪はちらついていても、積もる気配はなかった。地面に落ちる前に空中で消えてしまう、そんな雪だった。
「私たち兄弟は、この土地を守り、さらに大きくしていけたらと思っている。」
マックスの言葉に、オルスが頷く。
「リルルと婚約してそろそろ1年か…、」
リルルはマックスを見上げた。すっかり忘れていたけれど、まだ1年しかたっていないのね、とリルルは思った。マックスとはとても、時間を密に過ごしてきている気がした。
港に目を向けて、遠くの海を見つめる。去年の1月の終わりに、あの海では海戦があったんだわ。あの海で、私は人が死ぬ夢を見た…。
「リルル、一緒にここで暮らさないか?」
目をぱちくりして、リルルはマックスを見上げた。
「一緒に守っていこう。ここで、一緒に暮らそう。」
マックスは海を指差して、水平線の向こうを見つめる。
「港が近い、山もあり緑もある。空気も綺麗だ。リルルを慕う街の者も沢山いる。」
「何より、兄上はリルル様の一番の理解者だろう?」
オルスはリルルににやりと笑う。「私も兄上も、武術に長けているから安心だよ。」
「ヴァルター殿下のおかげで、目も覚めたしな。」
マックスがそう言うと、オルスは「ああ、あそこまでとは思っていなかった、」と肩を竦めた。
「婚約は、解消となったの?」
「ああ、破棄になった。そうだな、オルス。」
気まずそうに、オルスは答えた。
「解消だと、私の次の結婚相手が理解に苦しむだろう。あの者は、数え切れぬ程名をあげてきたからね。」
「名? 相手の?」
リルルは驚いて聞き返していた。
「ああ、私も聞いたが、覚えられない程だったな。でも、あの者は覚えていたのだから立派なものだ。」
マックスの言葉に、ふふっと笑って、オルスは肩を竦めた。
「私はその一人に含まれていなかったのだから、驚きだ。」
「理由は、聞いたの?」
オルスはマックスと顔を見合わせた。
「じらして、貢がせて、結婚するまで金を引っ張り続ける予定だったそうだ。」
公爵家相手にお金を融通させる算段を立てるなんてすごいね、とリルルは感心した。セシリカ嬢、強かだわ~。
「よくそこまで話してくれたわね、」と感心すらしてしまう。
「私の目の前で、伯爵と、伯爵夫人とセシリカがけんかを始めてしまったからなあ。父上も母上も、ご存知だよ?」
「私は居合わせなかったから、結果だけを聞いた。私もだが…、今まで気が付かなかったのだから、まだまだ女性を見る目がないな。」
二人は肩を竦めて笑った。
「ヨネア様は、まだ独身なのだろうか、」
急にオルスが振り返り、傍で控えていたロックとヨネアを見つめた。
リルルは目をぱちくりしながら、オルスを見た。「ヨネアは独身だけど、あなたより…、5つかな、年上よ、オルス。」
確かリディアは6つ年下のアンディと結婚していたはず、と思い出して、リルルはなら大丈夫なのかな、と勝手なことを思う。
「まだ5つか。なら大丈夫だ。王城へ行けば、あなたと働けるのだね?」
戸惑いながら、ヨネアはリルルとオルスを見比べた。美人のカロヨンの妹のヨネアはお城だと標準的な印象な女性だけれど、こうやって市井に混じるとかなりの美人だ。セシリカ嬢と比べると、知的だし王城で働いているだけあって品もある。
オルスもヨネアもどっちも武術が扱えるのなら、いいカップルじゃないのかな、とリルルは思い直した。
「ヨネア、どう思う? 私は、オルスはいい人だと思うわよ?」
リルルはそれもいいかも、と思いながら尋ねる。
「私は、リルル様をお守りする役目があります。結婚はまだまだ先だと考えています。」
オルスはヨネアをじっと見つめて、「私が成人するのもまだまだ先だ。ちょうどいいと私は思うな、」と微笑んだ。ヨネアは俯いてしまったけれど、頬が少し赤くなった気がするわ、とリルルは思った。いい反応かもしれない。
「リルルが私のところへ来れば、サミラ殿は領官のハンスフィールドと結婚でき、ヨネア殿はオルスと…、悪くない話だな。」
「私の妻のクグロワも、きっと喜びます。ここでリルル様を囲んで暮らせますから、」とロックまで手をあげて賛成する。
「そんな先のことなんてわからないわ、」と口を尖らせて、リルルは歩き出した。
「サミラもヨネアも、良い御縁があったら、私のことなんか気にしないで結婚してもらいたいと願っているわ、」と続ける。
礼拝堂の入口に、公爵夫妻の姿が見える。リルルを追って、マックスやオルスたちも歩き出す。
春には中つ国で新しい生活が待っている。
シャーロットは今頃、ペンタトニークの国の島でお気楽旅行中だろう。その間も、今こうやってリルルが過ごしている間にも、ミカエルはローズと仲を深めていっているに違いない。
ミーシャに言われたことも気になっている。まだまだ不確定な未来ばかりだ。
「リルル、手をつなごう、」そう言ってリルルの手を自分のコートのポケットに突っ込んで、マックスは隣に並んで歩いた。
未来に向かって歩くなら、この人の隣でもいいかもしれない。
自分の思い付きに驚いて、「ちょっとだけよ?」と答えたリルルが照れて耳まで赤くして俯くと、マックスは息を白くさせながら笑った。
※ ※ ※
マックスと一緒にグロケット公爵家の馬車に乗ってお城へと帰ったリルルは、出迎える侍従たちの陰にティンクの姿を見た気がした。
旅の疲れなど消し飛んでしまうかのような心のときめきに、リルルはやっぱりティンクは特別なのかも、と思った。
出迎えた父のヨハネスやクリスが、嬉しそうに、「お帰り、」と微笑んでくれた。「あとで執務室に来るように、」とも言われてしまう。
自分の部屋に戻ると、お土産がてらにチーズボールを詰め合わせた箱をカロヨンに手渡した。既に荷物を置いたケイティやヨネアたちは退勤していた。
「これ、お土産なの。あっちでリディアやケイティは食べたの。カロヨン、お留守番してくれていてありがとう。」
「いえいえ、私は妹の指導がありましたから。私こそ、あちらに行けずにすみませんでした。」
優しく微笑むカロヨンはやっぱり美人で、カロヨンの妹のヨネアもヴェラも揃うと、美人3姉妹がこの部屋付きの侍女になるのね、とリルルはかつてないことにドキドキしていた。
「ヴェラは…、明日からなの?」
「ええ、サミラも明日から復活するそうです。」
「ありがとう。サミラ、元気になったかな。」
「寝込んだのは最初の一日だけで、一応次の日お休みを貰って…、その後はずっと、お城に来て私とヴェラの指導をしてくれていましたよ? どちらかというと、ハンス様がかわいそうなくらいでした。」
指を折ってハンスが帰って来た日のことを考えながら、リルルは、お休みの一日だけでも一緒に出掛けたり会えたりしたのかしらと、ゲスな勘繰りをしてしまう。
「そうそう、ちょっと着替えて、お父さまのところへご挨拶に行ってくるね、」
リルルが忘れていたのを思い出して支度にとりかかると、「リルル、帰ったの?」と言いながら部屋のドアをノックしながら姉のラウラが入ってきた。
「お、お姉さま、着替えますので少々お待ちください。」
「あら、こっちを向いているから大丈夫よ、そのまま続けてちょうだい、」
「え? 出ていって下さらないのですか?」
リルルはカロヨンに目配せしながら部屋の隅で着替え始める。ラウラはソファアに座り、リルルに背を向けてはいるものの、部屋を出ていく気配はなかった。
「今しか話せないもの。リルル、今回の件はお手柄だったわ。先ずは誉めてあげます。」
褒めてくれるのか~。ラウラの言い方がラウラらしくていいなと思い、リルルはくすくすと笑った。
「ありがとうございます。で、ご用件は、」
「こちらの守備も上々だったの。それはよかったわ。ただ、ね?」
「ただ、何です?」
シルクのストッキングを履き替え、リルルはガーターベルトに留めた。
「あなた、グロケット公爵家のマクシミリアン様と結婚するつもりがあるのかしら。」
鏡の中のカロヨンと目が合う。首を傾げたカロヨンに、リルルは首を振った。
「い、いえ?」
「新年の祝祭の話は、あの件の報告に戻ってきた近衛兵や将校から聞いたわ、」
「そ、そうですか、」
何を聞いたのか気になったけれど、今は着替えが最優先だった。
カロヨンはリルルの脱いだ服をまとめながらも、ワンピースを着たリルルの背中のホックを丁寧に止めてくれた。鏡の前に、旅装束を解いて着替えたリルルの上品なミルク色のワンピース姿が映し出される。
「民衆の前で手をつないで、国歌を歌ったのでしょう?」
「国歌を歌った後、手をつないだ、の間違いです。」
「どっちでも同じだと思うわ。リルル、軍港を作る件は、着実に進行しているわ。お母さまが公爵と晩餐会をと仰っているくらいだから、近日中にそのお話もあるでしょう。」
リルルは黙って、カロヨンに髪を梳いてもらい、括りなおしてもらいながら鏡の中に映るラウラの後姿を見つめた。
「このままだと、マクシミリアン様で決まりそうだけど…、オルフェス侯爵家のティンカード様はどうするつもりなのかしら。」
「どうもこうも、まだ決める気はありませんよ、お姉さま、」
リルルと視線を合わせたカロヨンが小さく目を見張った。タッドリーの一件以来、ティンクへのリルルの侍女たちの評価は高い。
「これからお父さまの執務室へ行きますが、お姉さまもご一緒に行かれますか?」
少し沈黙があって、ラウラは「そうね、一緒に行くわ、」と立ち上がった。
父の執務室に姉のラウラと行くと、父は自分の執務机に向かって座り、「リルル、ご苦労だったね、」と笑った。
「まずはそこへお座り、」と言われソファアにリルルとラウラが並んで座ると、父のヨハネスは自分も向かいのソファアにやってきて座った。
「今回の件、サミラを王都まで馬で走らせてくれてありがとう、リルル。おかげで、ヴァルター殿に恩が売れたよ。」
「王城からピフルール公爵とゼノン様、法務官のサテス様がいらっしゃったのは、お父さまの案ですか?」
「ああ、遠く東方の国にはこちらから知らせを一足早くに書簡として送らせたからね。ヴァルター殿が勝手な処理をしないように、あちらで合流した我が国の大使が届ける手筈になっている。」
「足止めも皆様、きちんとこなしてくださったようですね、」
「ああ、南方の国との調印は上手く整った。」
「それは何よりだと思います。」
ほっとしたリルルは、役に立ててよかったなと思った。
「問題は、リルル、どうしてグロケット公爵を庇ったりしたのかな?」
父の顔はいつも通り微笑んでいるけれど、目は笑っていなかった。返答次第では怒られそうね、とリルルは思った。頭の中で急いで情報を整理する。
「あの時、時計は方角のことだと気が付いたのは、私しかいなかったからです。舞台の上から指示を出すには、中心に立つグロケット公爵の隣に立つのが一番でした。」
リルルはクグロワたちには黙っていた事実を告げた。「あの時、舞台上から3時の方角には、弓矢を構えた将校がいました。指を差して支持が出せる位置には、我が国の軍人が、近衛の騎士たちが見えました。私は彼らに賭けました。」
「リルルの夢の通りに、3時、6時、8時、7時の順番に、見つけたのだね?」
「はい。ガラスが光ったように見えて…、私はその方向にいる弓矢を構えた者を指差しただけです。舞台上からは一部始終が見えますから、途中でグロケット公爵も気が付かれた様子でした。」
「そうか、」と納得した様子で、それでも父は渋い顔をした。
「私は、それでも、リルルが無茶をしたと思えてならないよ。」
隣に座るラウラが、リルルの手を握った。
「マクシミリアン様は、リルルが時見の巫女だと知っている様子よね?」
リルルは目を見開いてラウラの顔を見つめた。
ありがとうございました




