83、誘惑に負けてしまうもの
二人は散歩しながら辿り着いたグロケット城の遊戯室へと、居場所を移した。
遊戯室には先客がいて、オルスと、婚約者のリチェット伯爵家の令嬢であるセシリカがいた。
セシリカは明るい茶金髪に黄緑色の瞳の幼い顔立ちで、背がやや低くて柔らかそうな体つきをしている。年はリルルよりも上でオルスと同い年だった。リルルは学年が違うこともあってセシリカと面識はなく、まともに話をしたこともなかった。昨晩のパーティで紹介して貰ったのが初対面で、印象としては、くねくねしているわね、と思った程度だった。
セシリカとオルスは、リルルとヴァルターが入ってくるのを目を輝かせて歓迎してくれて、「トランプがしたいの、一緒にやりましょう?」と誘ってくれた。
「ジョーカー探しをやりたいの、オルスと二人じゃつまらないの、」
お姉ちゃんの世界だとババ抜きっていうのよね、とリルルは少し考える。ルールはこちらの世界でも、ジョーカーを最後まで手元に残していた者が負けて終わりになる。ルールは同じなのに、探すと言ったり抜くと言ったり差があるのは概念の差なのかしら。でも、ババってなんのことなんだろう。
テーブルを囲んでソファアに座ると、リルルはヴァルターに「いい?」と一応確認を取った。一応この人は王子様で、一応国賓扱いだわ、と、一応王女としてリルルは配慮する。
「ルールは知ってる?」
ヴァルターは余裕な笑みを浮かべて足を組んだ。
「構わないよ、リルル。可愛らしい女性の頼み事は大歓迎だ、」と流暢なこの国の言葉でセシリカに微笑みかける。ルールを尋ねてこないということは、遠く東方の国でも同じなのね。
嬉しそうに照れて笑うセシリカを見て可愛らしいなと思いながらリルルは、「そういえばあなた、王子様だったわね、」と遠く東方の国の言葉で呟いた。王子様でもトランプ遊びをするのね? リルルは小姓見習い時代に出来た小姓友達に教えてもらったおかげで、トランプ遊びくらいはこなせた。
「そうだよ、リルル、君は王女様だ。」
王女なのに庶民の遊びのルールを知っているリルルを揶揄うようににやにやと笑って、配られたカードを手にとると、ヴァルターはさっそく何枚かのカードを捨てた。
※ ※ ※
何回か対戦しているうちに、セシリカ嬢がだんだんと機嫌が悪くなっていっているのがわかった。どの回でも、オルスやヴァルターに甘えて上目遣いに顔色を伺いながら、何の札を欲しているのかを話しかけながらカードを選んで、まんまと引っ掛かってジョーカーを貰っていた。
すぐに顔に出ちゃうんだもんなあ、とリルルは観察していて思った。
こういうのは無表情でやるか、常に微笑んだままにしておくかに決めて、表情が読まれないようにする必要があるわよね。あとは、話しかけて混乱させて表情を読ませないようにするか、だわ。
セシリカ嬢は今まで、色仕掛けで希望の札を譲って貰うのが当たり前なジョーカー探しをしてたんだろうなあ…。小柄だけど肉感的な彼女が身体を擦りつけおねだりすると、みんなその気になっちゃうんだろうなあ…。
「ああ、嫌よ、オルス。また負けちゃったわ。」
何度目かわからないジョーカーを手にあがり、大げさに天を仰いでセシリカが涙目になって悔しがった。
もしかして勝ちをお膳立てしてあげないといけないタイプの子なのかしら、とリルルはちらりとオルスとヴァルターを見た。
オルスは苦笑いをして何も言わず、ヴァルターはうっすらと笑っている。
「もう一回やりましょ? 」
セシリカがおねだりするように言って、体をくねくねとさせた。
ふぅ。またしてもな提案も何回聞いたかわからないわ。
リルルはうんざりして小さく溜め息をついた。
時刻はもう午後のお茶の時間で、この子を勝たせないと部屋に帰れないのかしら。リルルは無意識に眉を顰めた。黙ってトランプもつまらないけれど、勝たせてあげるトランプもつまらない。
「最後の一回だ。セシリカ嬢、いいかな?」
リルルの表情を読んだのか、ヴァルターが提案した。オルスはほっとした表情をしている。
「ずるいわ、勝ち逃げなさる気ね。」
勝ち逃げも何も、あなた、顔に心情が出すぎだわ、とリルルは思う。
「では最後にあなたを勝たせてあげようか?」
「王子さまに花を持たせていただけるのなら本望だわ、」
セシリカはヴァルターに上目遣いで微笑みかけ、オルスは緊張した面持ちでセシリカを見ていた。
ヴァルターがトランプを丁寧に数を揃え直して片付けている。意外に几帳面なのねとリルルは観察する。
「可愛いお嬢さん。あなたが私の手の内に落ちてきてくれると話は早いのだがな?」
「異国の王子さまに望まれるなんて、名誉なことね。」
私は思わないから婚約しないけどね。リルルは軽く肩を竦める。
「私はまだ独り身だ。今宵もひとり、君を思うことにしよう。」
ヴァルターは、とんとんと角を揃えてカードを切り直す。さくさくとカードが混ざっていく。オルスの表情はだんだん険しくなり、ヴァルターは気にならないのか微笑んだままだ。
「まあ、喜んで。甘い夜はいかがかしら。」
甘い夜と言えちゃうあたり、オルスを相手にそういう経験を済ませいているのかな?
リルルは首を傾げた。二人の間の空気感はそんな風に見えないんだけどなー。
「ああ、いいな。二人の出会いに感謝を捧げたい夜だな、」
くすくすと笑って機嫌を直したセシリカの態度に、オルスは目を見張っていた。リルルも冗談に聞こえなくて、ヴァルター言いすぎよ、と心の中で窘めた。
勝負はヴァルターの予言通りセシリカが勝ち、リルルが負けた。
「あなたが負けるわけじゃないのね?」とジョーカーを手にリルルが睨むと、ヴァルターは「可愛い女性が二人もいると、私も悩むのだよ、リルル、」と笑った。顔を立てるのは私じゃないんだ、と、リルルはちょっとつまらない。私の方が付き合いが長いと思うけど、色気は負けちゃうから、やっぱそこらへんで勝負があったのかな…。
「私の可愛いお姫さまは、今宵、私に褒美をくれるだろうしね。」
セシリカはリルルに勝ったのがとても嬉しかったようで、上機嫌な様子でオルスの腕に抱き着いて、「オルス、もう飽きちゃったわ。あなたの部屋に行きましょう?」と甘えていた。セシリカは、ヴァルターを見てウィンクして、またね、と言わんばかりに口を動かした。
リルルとヴァルターを見て気まずそうな顔をしたオルスに、リルルは余裕をもって微笑みかけて、「またね、オルス。セシリカ嬢と仲良くね?」と手を振った。
※ ※ ※
二人、遊戯室に残されて、リルルは隣に座るヴァルターに向き合った。
「ねえ、今晩はどこで眠るの?」
まさかセシリカ嬢とじゃないよね?
丁寧にカードを揃え直して片付けているヴァルターは、リルルをちらりと見た。
「一人では眠れないのか?」
私は一人で眠りたいです。ふるふると首を振って、リルルは口を尖らせた。
「お構いなく。あなた、さっきセシリカ嬢を煽っていたでしょう?」
「さあて、どうだったかな?」
まるで恋人の会話みたいだったわ。馴れ馴れしいと思ってしまう。
「あの子はダメよ? オルスの婚約者だし、一人っ子だもの。遊び相手にするような子じゃないわ。」
真剣なリルルの顔を見つめて、トランプの角を整えながら、ヴァルターはにやりと笑った。
「結婚相手と遊び相手が違うのは、どこの国でも同じではないのか?」
私の周りでは違うはずだわ、とリルルは思う。
「そういう、割り切った関係を望む者ばかりではないと思うわ。」
私は少なくとも、遊び相手はいらないわ。ちょっと婚約者が多いけど、真面目に将来を考えているわ。
「リルルは何を望む? 国か? 名誉か? 美貌か?」
箱にきちんと片付けたヴァルターは立ち上がると、丁寧に遊戯室の中を確認して歩く。出しっぱなしの道具は他の道具を探してまとめ、椅子の位置も並行に揃えている。
ソファアに座り眺めていたリルルは、この人はこんなに几帳面なのにどうして女性にはあんな態度なのかしらと不思議に思った。
「そうね、」平穏な生活と、安心できる貞操をまず希望するわ。
「私は、今のところ、あなたには何も望まないわ。」
少なくともヴァルターの濃い人間関係に巻き込まれたいとは思っていないことは確かだった。
何しろ春から中つ国でのゲームの後半戦が待っている。前半戦をローズが誰とどう過ごしたかで、リルルの役割は変わるはずだった。
状況が判らない今のリルルには、結果を待つしかない。迂闊に誰かと肉体関係を持ちたいと思わないし、露骨に性生活を送りたいとも思わない。
「私は私のままでいいということか?」
面白そうにヴァルターは微笑む。部屋の片付けが満足したのか、リルルの傍に戻ってきた。
「そうね。あなたはあなただもの。」
絶対に婚約なんかしない。そう心の中で断言して、リルルは微笑んだ。
「リルル。あの娘、どう思った?」
セシリカ嬢は男性に媚びているように思うわ。自分の魅力を知っていて、男性を操ろうとしている印象があるわ。そう感じていても、リルルは直接的な感想は口にはしない。
「…わがままだけど、可愛いと思うわ。私は、あんな風になれないもの。」
同じことをリルルがやれば、悪女な王女とまた評判が下がるだけだろう。婚約者の実家で、それだけは避けた方がいいような気がする。あれはセシリカ嬢だから出来ることだ。
「私はああいう女は遊びでなら愛せるが、妻にほしいと思わない。結婚と恋愛は違うものだろう? オルスと言ったか? マクシミリアンの弟が、気の毒だなと思う。」
「ならどうして、」あなたは挑発するようなことを言うのかしら。
「今宵、本当に私の部屋に来るような女なら、婚約は解消した方がいいだろう。それを自分の目で確かめて見ればいい。あの女がオルスを大事に思うなら、まあ、来ないだろうな。」
冷ややかに笑ったヴァルターに、あの挑発は真実を見極めるためには必要で、根底にあるのは彼なりのオルスへの優しさなんだろうと思い至り、ややこしすぎて判り辛いわねとリルルは黙った。
※ ※ ※
夕食が済んだリルルはお風呂に入りたいからとヴァルターに自分の客室へと帰ってもらい、一人、自分の客室へと戻った。
「リルル様、」と出迎えてくれたのは、3人の慣れ親しんだ侍女たちだった。
「3人? え、ケイティ!」
ニヤーっと笑って、ケイティはヨネアとクグロワと並んでいた。
「王都からの使者として参りましたの。こちらには午後には到着して、公爵様に面会して書状をお渡しして、そのまま、ご厄介になることになりました。」
「サミラは、大丈夫だったの?」
リルルはソファアに座って、お茶の支度をするヨネアたちを見た。ケイティはリルルの傍で話を続けている。
「サミラは王都まで帰ってきて登城した後、我が屋敷に帰ってきました。ハンスと護衛の騎士は王都のグロケット公爵家のお屋敷に帰りました。私は、今朝、お城から呼び出されたのです。」
クグロワがリルルの前に紅茶のいい香りのするカップを置きながら、優しく微笑んだ。
「サミラはケイティと交代して、休んでいるそうですよ? あちらは雨がすごかったらしいのです。雨の中、馬を休ませずに飛ばしたサミラをヨハネス殿下が労われて、しばらくお休みを頂くことになったそうです。」
「雨の中行ってくれたんだ。ごめんね、サミラ…。」
「大丈夫です、リルル様。私たちはそのためにお仕えしているのですから。私や、他の勅使に選ばれた者も、ヨハネス殿下が、『王都に残るお城の関係者で乗馬が得意な者』でお探しになった者ばかりです。」
「ケイティが乗馬が得意だったなんて、知らなかったわ。」
「サミラには負けますが、リルル様よりは得意です。」
ケイティはにっこり笑う。
「私、馬に乗ったことないもの、比較が無理だわ。」
リルルはぶーたれる。
「何人かの、元小姓や騎士、近衛兵が、書状を持って各地に発ちました。早い時間の、午後の3時に間に合うように、誰もが頑張ったんですよ?」
「ありがとう。ケイティが来てくれてすごく嬉しい。グロケット公爵やマックスは、どんな反応だったの?」
ケイティは小さく微笑んで、「マクシミリアン様は、ヴァルター殿下を守るから心配ない、と仰いました、」と言った。
「どうして?」
「何かお考えがあるのだと思います。先ごろの海戦を思い出されたのか口にされていましたね。公爵様はただ、『判った、問題ない』と、仰いました。」
小さく俯いて話を終えたケイティに、リルルは、何か違う気がすると思ったけれど、何かがわからなくて黙った。
「ヴァルター様はどちらに?」
「さあ? 今夜はご自分のお部屋だと思うわ、」とリルルは理由は告げずに口を結んだ。
「畏まりました。リルル様は、大丈夫なのですか?」
何もなかったとヨネアから聞いていても不安になる。ケイティはリルルの顔色を伺った。
「大丈夫よ、あなた達がいるじゃない? 」
そういう意味じゃないんだけどなあ、とクグロワは思ったけれど、黙っておいた。色気がなさすぎるとかえって不用心になるのだわと心配になってくる。
「ちょっと、さっぱりしてくるわね。そのうちマックスがやってくると思うから。」
リルルが浴室へと消えてしまうと、ケイティはヨネアとクグロワに、「どういう状況なのか興味あるわよね。私も一緒に寝ちゃダメかしら?」と首を傾げて尋ねた。
※ ※ ※
2日の朝、ヴァルターの腕枕で目が覚めたリルルは、自分がくっついて寝ているのがヴァルターとわかると慌てて飛び起きた。
「は、離れて寝たはずなのに、どうして一緒に寝ているのよ、」
昨晩はマックスと話をしているうちに眠ってしまった。マックスは、何もしないと誓ってくれたので、リルルは真に受けて一緒にベッドに寝転んでいたのだった。
おかげで、ヴァルターがいつ来たのかリルルは知らなかった。
「マックスは?」
薄目を開けて、正座しているリルルを見つめて、ヴァルターは「おはよう、」と言った。
「マクシミリアンはもう起きて部屋を出た。われわれは二度寝組だ。」
「二度寝?」
時計を見るとリルルがいつもお城にいる時に起きている時間だった。
「いつの間にあなた、隣にいるのよ、」
一日過ごす公務は終わって、ヴァルターと寝なくて済むのではなかったのかな。
「傍にいたいからだ。リルルが可愛いからな。」
こういえば女性は喜ぶと判って言ってるのだろうな~とリルルは思った。そういえば、と思い出し、ケイティたちがいては聞けないことを聞いてみる。
「ねえ、昨日、あの子はあなたの部屋に行ったの?」
単刀直入な質問に、ヴァルターは目を見開いた。
ありがとうございました




