64、強かだと思えるもの
人の波が少し落ち着いた頃、ミーシャがシルフィイたちとやってきた。師範学校に通うロードや執務官として働き始めているケニー、ウィルやジャックもいた。
食堂の入り口で案内係をするリルルを見て、ミーシャは目を見張って「何をやってるんです、リルル様、」と尋ねてきた。小姓見習いの頃のような白いシャツに黒いズボンでカフェエプロンを巻いたリルルはとても可愛くて、とても懐かしかった。ミーシャは思わずリルルの姿にくぎ付けになっていた。
「何って、今日は私、領主様のお仕事をしているの。」
言っている意味が分からないウィルやジャックたちは目をぱちくりとさせていたけれど、執務官として働くケニーや執務官の登用試験のための勉強を始めているシルフィイやミーシャには意味が分かった。リルルの領地の特産物のトリュフの市場調査をしているのだろうと、察しがついた。
「領主様が食堂の案内係なのですか?」
おかしそうに噴き出したロードに思わず回し蹴りをくらわしてやりたくなったけれど、リルルは我慢して微笑む。
「私の領地で採れたトリュフを使ったパスタなの、皆の反応を観察するお仕事なのよ?」
やっぱりなとミーシャたちは頷いて、あの小さな領地にこんな宝石が埋もれていたなんてリルル様は今まで気が付かなかったのだから、それもまたすごい話だと思った。
「へ~、リルル様の御領地のトリュフっていうのは噂だけじゃなかったんですね、私は今回初めてトリュフの日に呼んでもらえたんですよ。みんな師範学校の試験勉強が大変だろうって変に気を使ってくれちゃって。」
「ロードはちょっと痩せたんじゃない? 痩せたから勉強が大変って思われちゃうのよ?」
子供の頃からあまり体形の変わっていないロードに、リルルは知っていて毒づいた。
「リルル様はいくつになってもリルル様ですねえ…、」
二人のやり取りにケニーが苦笑いをしていると、「他のお客の邪魔になるから、そろそろ行こうか、」とミーシャが席へ誘った。ミーシャにとって、自分以外の男性と仲良く話すリルルにイラっとしてしまったのは、内緒にしたい気持ちだった。
「美味しいからいっぱい食べていってね、」とリルルが声をかけると、背の高いシルフィイが、「お任せ下さい、」と手を振って応えてくれた。
ミーシャたちがそれぞれお代わりをして食べている様子を、ちらりちらりと見てニヤついているリルルを給仕をしながら見て、ティンクはイラっとしていた。
もともと感情をあまり表に出さないティンクがさらに無表情になって働いている様子を見ていた兄のディカードは、弟がやきもちを焼いている、と内心苦笑していた。
それでもさらりとミハイルたちの近くのテーブルの給仕もこなす弟に内心喝采を送りながら、さりげなくティンクを接触させないように自分がミハイルたちの給仕をこなした。
ミハイルはリルルの婚約者のうちの一人、と顔と出自を把握していた。オルフェス家にとって、ティンクはリルルの結婚相手になる確率は低いと認識していても、他の婚約者たちの動向を把握はしていた。マクシミリアンやミハイルの人間関係や評価ぐらいは調査済みだった。アレクセイの不幸も、調査していたからすぐに把握できたのだった。
ディカード自身は、ティンクは分が悪いと思っていた。同い年で接点はあっても、リルルが18歳になった時点で、手にしているものは他の婚約者たちよりも低い評価だろうし少ない資産だろう。
弟ながら、悪条件の中、善戦している方だと感心していた。
「オルフェス侯爵家のディカード様ですよね、今日は市場調査ですか?」
ミハイルの仲間のうちの誰かお代わりのパスタを運んだ際に、ディカードは声をかけられてしまった。声をかけてきたのはミハイルではなかった。執務官の制服を着ている。
ディカードは外面よく好印象になるように微笑みながら答えた。
「ええ、我が家の領地の唐辛子を使っていただいているのです。」
「オルフェス領の特産物なのですか?」
「今までは食用に流通させていませんでしたから、認知度は低いと思います。」
にっこりと笑って、ミハイルとその仲間たちを観察する。私の領地の特産物だと知ったら、ティンクを意識して、食べ残したりするのだろうか、と意地悪な気持ちも湧いてくる。
「とても旨いですね。これは流行ると思います。」
感心したように先程出入り口でリルル様と話していた若者が言うと、他の者たちも大きく頷いて「同感です、」と答えていた。
「お城でのトリュフの日以外でも食べたくなる味ですね、」とミハイルが言ってくれたので、ディカードは、『なんだ、こいつ、いいやつじゃん、』とあっさりミハイルの評価を上げてしまった。
「もしよろしかったら、お代わりなさいますか?」とつい尋ねてしまう。
「さすがに3杯目は止めておきます、」とミハイルが苦笑いをしたのを見て、なんだ残念、とディカードは思ってしまって、自分を睨むティンクの視線に心の中で照れ笑いをした。
※ ※ ※
お昼の営業時間を終えた食堂の片付けを終えると、リルルたちの賄いの時間になった。
「すごい反響でしたね。お代わりを願う者が多くて大変でしたね。」
ディカードがしみじみというと、賄いのトリュフのパスタとベーコンのパスタの2種類を前に、特別にビールで乾杯したオルフェス侯爵が満足そうに頷いた。料理長のネストルや食堂の料理人たちは炭酸水の入ったグラスを手に乾杯していた。
「よく食材が足りましたね、」とティンクが尋ねると、ネストルは「前回のトリュフの日は足りなくなって大変でしたから、前もって大目に仕入れたんです、」と微笑んだ。
「オルフェス侯爵様にこんなに沢山の唐辛子を頂けたのも幸いでした。」
「なんの。これぐらい宣伝費用だと思えば安いものです。半分はいい値段で買っていただけてこの先の指針になりました。私たちもいい商売をさせていただきました。」
つまりそれ、半額で提供したってことだよね、とリルルは思った。オルフェス侯爵も凄いけれど、半額に負けさせたお父さまも凄いわと思う。
ミーシャたちも美味しかったみたいで、帰りに「旨かったよ、」って言ってたもんね、とリルルは思い出してニヤついてしまった。
目の前にあるトリュフのペペロンチーノを辛いなーと思いながら食べ、リルルはやっぱり私はシイタケの方が好きだわ、と思った。
男性陣は気に入ったようで、ベーコンのパスタとトリュフのパスタとを満足そうに食べている。この国で辛さも旨さだと理解されるのは時間の問題だろう。でも、辛さが女子向けではないのかもね、とリルルは勝手な感想を抱いた。
リルルの隣に座ってパスタを食べていたティンクは、黙って食べているリルルを見て、どうせミハイルのことを思い出しているんだろうなとちょっとイラっとしていた。
唐辛子をうっかり噛んでしまい、慌てて炭酸水を口に含む。
「唐辛子のいい宣伝をさせていただけて何よりでした。今日だけで商談がいくつまとまったかわからない程だ、」と侯爵は満足そうに言った。
「このベーコンのパスタだけでも十分旨い。トリュフはなかなか手が出ないものだが、ベーコンなら庶民にも普及しやすかろう。」
「お城でも、ベーコンのパスタなら常備できそうですよ。」
「ヨハネス殿下もお喜びになるだろうなあ。」
「名前を考えねばなりませんね、今まではトリュフの日はパスタ一品だけでしたが、今度から唐辛子入りのものも増えますからね。」
「婚約とはどうでしょう。リルル様と婚約させていただいている御縁でのパスタですから。リルル様の領地のトリュフと、我が領地の唐辛子の婚約…。」
「は、恥ずかしいからやめて。」
リルルが照れて顔を真っ赤にしながら言うと、ティンクは兄のディカードを見て、「婚約者の一人なだけで、まだ確定したわけではないよ、兄上、」と指摘した。
「トリュフのクリームパスタと、トリュフのペペロンチーノでいいと思うわ。唐辛子のことを、異国の言葉でペペロンチーノって言うの。」
どこの国なのかは言えないけどね、とリルルはこっそり思う。
「ペペロンチーノ…。言い難いですが覚えやすいですな。他にはない言葉の響きです。」
「リルル様はご公務で諸外国を渡られていますからなあ…。」
前世の知識とは言えないリルルは、曖昧に笑った。どの国でもペペロンチーノのパスタを食べた覚えはない。
「唐辛子の料理はあるようでなかったからなあ。食材の保管に使う程度のものだと思っておった。」
侯爵が感慨深そうに言った。「気候に合うのか越冬する野菜で、何度でも収穫できて大変元気がいいのだ。」
「私たち料理人も、辛みのある食材はあまり使いませんからね。」
苦みも辛みも、この国の料理はあまりなじみがなかった。このゲームを考えた人の好みなのかしら。
「唐辛子は砕いて使えば薬味にもなるし、ブロッコリーを茹でてパスタの代わりにペペロンチーノにしても美味しいわよ?」
「リルル様、いいですね、それ。さっそく賄いでやりましょう。」
料理長の言葉に、「唐辛子とにんにくを大量に発注しなくてはいけませんね、」と料理人たちは笑った。
「今日はいい日でしたね。」
即興で作ったブロッコリーのペペロンチーノまで美味い旨いと言いながら食べ、話が尽きることなく大いに盛り上がって賄いを食べ終えたオルフェス侯爵親子とリルルは、食堂の料理人たちに見送られて外へ出た。食堂の料理人たちは、この後夕方の営業時間の下準備と休憩を取るのだという。
「この後の夜の営業時間は、ビールや鶏のから揚げも提供する予定なのです。」
料理長がにやりと笑うと、最後に二粒残っていた牛乳飴を受け取ったオルフェス侯爵は眉を上げて「夜も来ようかのう、」と言った。給仕係の服装から私服に着替えたディカードとティンクは、呆れたように自分の父親を見つめていた。
リルルも、今日一日で随分とオルフェス侯爵の印象が変わったわと思う。以前ティンクのおうちにお邪魔した時にお会いした時は、こんなに食に関心がある人だとは思わなかったもの。お兄さまのディカード様はよく体が動く人だとわかったし、ここの家の人はよく食べてよく動くのね。
「父上、商談の成果を屋敷に帰って領官たちに伝えるのでしょう?」
「そうだったな、すまん」と、ディカードに笑って、リルルに向き直した。
「リルル様、領民ともども、我が領地に関わる者すべてに代わって御礼申し上げます。このような機会を頂けて、誠に感謝しております。今後とも、ティンカードと仲良くしていただけると、さらにありがたく存じ上げます。」
「オルフェス侯爵、こちらこそ、急なことだったのに沢山の唐辛子を都合して下さってありがとうございます。ティンクに呆れられないように、仲良くさせていただきます。」
リルルがティンクを見つめると、ティンクは無言で目を逸らした。バーカって思ってるんだろうな、と思うとおかしく思えてきて、くすくすと笑えてしまう。
「リルル様、我々はこの辺で失礼いたします。ティンカード、リルル様をお部屋までお送りなさい。」
「畏まりました。私は後で帰りますので、父上たちはお先に馬車でお帰り下さい。」
「ああ、そうさせて貰う。迎えの馬車はすぐに来させるから心配するな。」
「じゃあな、ティンク、」
ディカードが小さくウィンクをしていて、ティンクはイラっとしたけれど黙って目を逸らした。オルフェス侯爵は我が子とリルルを見比べて、まんざらでもなさそうだなと思った。
※ ※ ※
オルフェス侯爵とディカードがお城の通用門の方へと去っていくのを見送って、リルルとティンクは歩き出した。二人はカフェエプロンのポケットから牛乳飴を取り出して、ポイっと口に放り込んだ。甘い牛乳の味が、口の中に広がった。
「美味しかったけど、辛かったね。」
「ああ、旨かったけど、にんにくが効いていたな。」
顔を見合わせて微笑むと、リルルはティンクともうちょっと一緒に外を歩いていたいなと思った。
「ちょっと、散歩でもする?」
「いい。その恰好を着替えてからにしてくれ、」
「気になる?」
「ああ、」小姓見習い時代のリルルを思い出して、ティンクは視線を逸らした。
はじめて会った日も、リルルは髪を三つ編みにくくって、白いシャツを着て黒いズボンを履いていた。お城で働く子供は男の子ばかりだと思っていたティンクは、可愛い女の子が手をつないでくれて、道を案内してくれたのに感激して、リルルが名乗ってくれた時、素直に仲良くなりたいと思って名乗ったのだった。
可愛いリルルが自分の婚約者になったと思うと嬉しかった。そのあとすぐに、沢山いる婚約者のうちの一人だと知った時は、悔しくて悲しくて、でも、どうしようもなくリルルが恋しくて、腹が立った。
今のリルルの格好を見ていると、あの時のざわつく気持ちを思い出してしまう。
「じゃあ、私の部屋に来る? 着替えるのを待っててくれたりする?」
「ああ、それでいい。」
リルルが自然にティンクの腕に腕を絡めて手をつないできた。
「飴、美味しいね。」
「ああ、そうだな。」
リルルが微笑んで自分を見上げていた。可愛いリルル、私の、可愛いリルル。
ティンクはぎゅっと手を握って、リルルと一緒にお城の中へと入っていった。
寝室でサミラとケイティに着替えを手伝ってもらったリルルが部屋に戻ると、ティンクはカロヨンにお茶を入れてもらっていた。
三つ編みを解いてみると癖がついてしまっていたので、リルルはゆるくうねりのあるふわふわとした髪型になっていた。シンプルな藍色のワンピースを着ていてもいつもと違う雰囲気に、ティンクはリルルを見て照れてしまった。可愛いリルルがさらに可愛くなっている…!
「ティンク、ちゃんと待っていてくれたのね?」
リルルは照れて視線を逸らしているティンクの隣に座って、自分も紅茶を入れて貰った。
「ああ、今、カロヨンさんとトリュフのパスタの話をしていたところだ。」
「私たちはお仕事上がりに食堂でパスタを頂いて帰るのですよ。」
カロヨンが微笑むと、ケイティとサミラも嬉しそうに頷いた。「お昼は持参したお弁当で済ませたのですよ? とっても混んでいたでしょう?」
「ロマニール先生もお迎えにいらっしゃるそうですからね。私達とクグロワ夫妻とも合流するのです。」
「今日の夜勤はヨネアだったかしら。」
「ヨネアは出勤前に食べてくるって話ですが…、」
リルルとティンクは顔を見合わせた。
「結構にんにくが効いているから、牛乳か何かがあった方がいいかも?」
「そういう感じの味付けなのですね?」
「ええ、でもとっても美味しかったわよ? 夜はビールと鶏のから揚げもあるって、さっき聞いたの。」
「それは楽しみですね。仕事上がりの一杯って最高ですものね。」
ケイティがへへっと笑った。
「ところで、今、サミラ、さらっと『クグロワ夫妻』って言わなかった?」
「あら、言いました?」
「言ったわ。」
サミラはケイティやカロヨンと顔を見合わせて、「クグロワ、結婚したのです。まだ申し上げていなかったのですか?」と尋ねた。
「ええ、普通に出勤しているし、普通にお父さまとお話になったみたいだけど、私には何も言ってくれないの。」
「どうしてでしょうかね~?」
「リルル様には言いたくないのかもしれないですね。私も、妹のサミラにはどうしようもなくなるまで黙って誤魔化すと思います。」
ケイティが言うと、サミラは「どうしてですか、お姉さま、」と目を見開いた。
「だって恥かしいじゃない。」
照れたケイティは、サミラに「もし、私が結婚して黙っていたら『水臭い』って言うでしょう?」と問われ、「『水臭い』っていうわね、きっと、」と笑った。
「何か、お祝いをした方がいいのかな。結婚式をしないみたいだし。」
「何もしてほしくないから何もしないんだって言ってましたよ? クグロワのところは、いろいろありますから。」
訳知り顔のケイティが微笑むと、理由を知っている様子なカロヨンも頷いた。
「そっとしておいた方がいい感じなのかな。話してくれるのを待った方がいいのかな。」
「そうしてあげて下さい。」
「わかった。じゃあ、待つことにする。」
リルルがすんなり引き下がると、驚いた様子のサミラと、察した様子のティンクは黙ってリルルの顔を見つめた。
「ティンクのお話って、なあに?」
話を切り替えたリルルの言葉を合図に、サミラたちはそそくさと自分の仕事へと戻っていった。部屋の中にはリルルとティンクだけが取り残された。
「話など特にないが…、もしかして、さっきの『あとで期待しているからな』と言ったのを気にしているのか?」
「そ、そうだっけ?」
気にしていたリルルは誤魔化すように笑った。
「リルルは…、何をしてくれるつもりだったんだ?」
にやにやと笑ったティンクは、隣に座るリルルに向き直ると、ソファアの背に腕を回して座りなおした。照れた表情のリルルを見つめて、言葉を待った。
「何って…、感謝を伝えるわ? ありがとう、ティンク。」
「それだけ?」
「重い食器を運んでくれてありがとう。お料理を運んでくれてありがとう。今日は、一緒にいてくれてありがとう…、」
「それだけ?」
にやにやするティンクは、リルルの頬を指でつついた。
「お礼って、何かもっと、他の何かじゃなくて?」
上目遣いにティンクを見つめて、リルルは手を伸ばすと、ティンクの唇を指でなぞった。
「キスしても?」
「ああ、お礼なんだろう?」
リルルが身を乗り出して、ティンクにチュッと唇を重ねると、甘い牛乳飴の匂いがした。瞳を開けると、細く瞳を開けて自分を見つめているティンクと目が合った。
急に恥ずかしく思えて、リルルはキスするのを止めて隣に座りなおした。
「お礼はもう終わり?」
「…もう終わり。」
「ふうん?」
ティンクがにやにやしながらリルルを見つめていると、リルルは本当に恥ずかしくなってきて、「続きはまた今度、」と呟いてしまった。
ありがとうございました




