63、いいものは好きな人にあげたいもの
墓地からの帰り道、馬車の中で黙ってしまったリルルの隣に座って、ティンクはリルルの顔を眺めていた。夕暮れ時でうす暗い窓の外の世界を、リルルは無言でぼんやりと眺めている。
手を握ると握り返してくれる暖かさを、ティンクは愛おしいと思った。悲しい顔のまま帰すのは嫌だなと思う。君が悲しい顔をすると、私は辛い。
「…昨日、お城に父が呼ばれていった。学校から帰ると、父と兄から話を聞いた。明日の土曜、私はお城に呼ばれているのだ。」
お城に来るのは司書のお仕事でしょう? とリルルは聞きながら心の中で返事をした。
「なんでも、お城の食堂で我が領地の唐辛子を使った料理を披露するらしい。リルルの提案らしいな。」
目をぱちくりしてリルルは、あれはもっと先の話ではなかったのかしら、と思った。
「来週はリルルが公務でいない予定だから、日程的に明日がちょうど都合がいいとヨハネス殿下と私の父とで決めたそうだ。リルルも手伝ってくれるんだろう?」
リルルはやっと、ティンクを見つめた。
「…ティンクは、来るのよね?」
「ああ、給仕の人手が足りないらしいからな。私と、二番目の兄とが手伝う予定だ。」
一応私、王女様なんだけどなとリルルは思ったけれど、実際にトリュフのペペロンチーノの反応を見ることが出来るのならいいかなと思った。
食堂と言ってもかなり規模の大きな食堂で、昼晩と2食提供するので、毎日延べ500人は下らない人数が利用している。
トリュフ、いくつ仕入れるのかしら。アレナージュ村の村民総動員で収穫したのかしらと、リルルははらはらしてしまう。
「ええ。お手伝いするわ。パスタしか作らない日なんでしょう?」
「父が言うには、お昼に我が領地の唐辛子を使ったトリュフのパスタと、サラダ、炭酸水だけを提供するそうだ。」
「ランチが一種類だけってことね。」
それなら何とかなるかもしれない。リルルはほっと胸を撫で下ろした。
「昨日の試食で、随分といい思いをして帰ってきたようだよ? ヨハネス殿下と昼間から、二人で酒を飲みながらウマ辛いパスタを山盛り食べたのだと自慢していたからね。」
リルルの瞳に活力が戻ってきた、とティンクは思った。あと少し、あと少しだ。表情が、顔色が、色彩を取り戻していく。私の可愛いリルルに戻る。
「お兄様もご一緒だったの?」
「ああ、兄は飲まなかったから、兄が細かい契約や指示を執事や領官たちに伝えていたよ。二人とも、大変にんにく臭かった。」
昨日お父さまはやたらと牛乳を飲んでいたけれど、そういう理由だったのねとリルルは思った。この時代の口臭予防は、歯磨きをするか、牛乳を飲むか、ミントの葉を噛むかくらいしか、手段はなかった。
それにしてもそんな大掛かりなことをしてトリュフは数が足りるのだろうか。一応領主なリルルはびくびくしてしまう。
「キノコ、足りるのかしらね。神様にお祈りした方が良さそうね。」
今晩寝る前に祈ってみよう。リルルはこっそりと思う。
「神頼みか。もう遅いだろ?」
「何もしないよりましかもよ? 神様、どうかトリュフを沢山お願いしますって! キノコがニョキニョキ生えてくるかもよ?」
クスッと笑ったリルルが視線を感じて顔を上げると、ティンクが優しく微笑んでいた。バーカ、って言わないのね、と、リルルは思い、言われるのを期待してたわけじゃないから、と自分に言い訳する。
「明日、リルルと一緒に過ごせるのだな。」
「一緒に働く、の間違いでしょう?」
「私の領地のあんなものでも、喜んでくれるのだと思うと、反応が楽しみでたまらないよ。」
「ティンクは、食べたことあるの?」
恥かしそうに、ティンクは頬を染めた。リルルが少しでも笑ってくれるなら、恥ずかしい思い出も大事な小道具だ。
「…幼い頃に、興味本位で齧って、あまりの辛さに何杯も水を飲んだよ。乳母に『ネズミだって齧らないものを齧ったりするからですよ、』と笑われたっけなあ。」
「まあ! かわいいわ。みんなも、どんな反応なのかしらね。」
幼い頃からムスッと機嫌が悪い顔が定番なティンクが、そんなかわいい失敗をしていたなんて!
想像して思わずリルルが微笑むと、「楽しみだな、リルル、」とティンクはリルルの頭を優しく撫でた。
※ ※ ※
翌朝、リルルはサミラに髪を三つ編みにしてもらって、カロヨンに手伝って貰って白いシャツを着て、お城の食堂の給仕係用の黒いズボンを履いて、ケイティに黒いカフェエプロンを腰に巻いて貰った。
昨日の夕食の際、父のヨハネスにお手伝いの件を確認すると、「ああ、そんな話もあったかもしれないね、」と笑った。もしかして酔っ払いの戯言だったのかなとリルルは思ったけれど、黙っておいた。
「お城の食堂でのことだし、リルルの領地の産物なのだから、気になるなら働いておいで? 昼間なら問題はないだろう。料理長には伝えておくから、支度は整えてくれるだろう、」と微笑んでいた。
手鏡を手に合わせ鏡で全体を見せながら、カロヨンとケイティはリルルのあまりの可愛さに目を細めて何度も頷いていた。二人とも、小姓見習いの頃のリルルを思い出していたのだった。
様子を見に来たラウラは「可愛らしい給仕さんね、お料理は運べなさそうだけれど、」とリルルの細い腕を撫でた。
「お姉さまも食堂にいらっしゃるのですか?」
「私はコニール様と伺う予定だけど、次回に持ち越すかもしれないわ。行けたら、リルルの働いているところをニヤニヤしながら眺める予定なの。」
ニヤニヤはいらないな、とリルルは思う。
「特別に…、お水くらいはサービスしてあげます。」
「ありがとう。試作品をご試食さなったお父さまは、オルフェス侯爵とお昼からお酒をお召しになって、大変美味しかったと仰ってたそうよ? 食材が応用が利くのなら、もっと頻繁に食べたいなあと仰ってたらしいわ。」
ラウラはリルルの三つ編みを摘む。子供の頃より背が随分高くなったのねと実感する。
「それならトリュフではなくて、ベーコンにしたらいいと思いますよ?」
リルルは振り払うように頭を振った。子供の頃から、この扱いは変わらないなと思う。
「あら、それは素敵ね。あとで代わりにお父さまにお伝えしておくわね。」
「お姉さま、ありがとうございます。では、行ってきますね、」
機嫌よく手を振って部屋を出て行ったリルルを見送って、ラウラは、「あら、リルルは今日はお客様があるわよって話を伝えに来たのに、伝え忘れちゃったわ、」と呟いた。
お城の食堂へ向かうと、まだお昼の営業時間の1時間時前だというのに、ティンクと、次兄のディカードとオルフェス侯爵が揃っていた。
ティンクとディカードは、リルルと同じように、お城の食堂の給仕の服装の白いシャツに黒いズボンと黒いカフェエプロンを付けている。侯爵は普通にスーツ姿だった。3人はいくつもの、沢山の唐辛子が入った籠と黒トリュフの入った籠、にんにくの籠を前に、何やら話し込んでいた。
「おはようございます、今日はお手伝いに来ました。よろしくお願いします。」
緊張した面持ちでリルルが挨拶をすると、オルフェス侯爵たちは深々と頭を下げた。父のヨハネスよりも随分と年上に見えるオルフェス侯爵は、堅実そうな雰囲気で細身な割にしっかりとした体格の男性だった。ディカードも真面目そうな雰囲気で、細身な割に体格がしっかりとしていて精悍な印象でかっこいいい。ティンクが細マッチョなのはお父さまの遺伝なのかしら、とリルルは思った。
「リルル様、今日はありがとうございます。私たちの領地のこの作物が注目されることは今までなかったので、とても光栄です。」
話し声に料理長のネストルが厨房の奥から出てきて、リルルの姿を見て瞳をウルウルさせていた。リルルが幼い頃から料理長だった30代半ばな彼は、リルルの成長した姿に感動していたのだった。
「お城の小姓見習いをされていた頃を思い出しますね。あの小さかったリルル様にお手伝いをしていただく日が来るなんて!」
「ごめん、重いものは無理かもしれないから、先に謝っておくね。」
「大丈夫です。重いものはお願いしませんから。」
リルルが怪我などしたらこの食堂で働く全員のクビが飛ぶのだろうなと、苦笑いをするネストルを見ながらティンクは思った。
「トリュフを使ったパスタ、今回の唐辛子のものを早速お作りして私たちも試食をしましたが、本当に旨いです。お聞きしていた通り、酒に合いそうですね。」
「ああ、私は先日、ヨハネス殿下と試食をさせて貰ったが大変旨かった。酒も貰ったが…、あれはいいな。」
「トリュフの代わりに刻んだベーコンでも美味しいと思うの。トリュフの日ではなくても食堂に並べられると思うわ。彩にピーマンやシメジを加えてね。」
「おお!!」
リルルの提案に厨房にいた料理人たちは歓声を上げた。
「それもさっそく後で試しましょう。今日の賄いにいいかもしれません。」
ネストルが提案すると、オルフェス侯爵が「賄いはもちろん私も食べられるのだな?」と尋ねた。「父上、」とディカードが窘めると、「もちろん、侯爵様の分も、ご家族の分もあります。リルル様の分もお作りしますから、」と、辛い物は苦手なリルルが断る前に決められてしまった。
「では早速、下準備を始めていきましょうか、」とネストルに言われるまま、リルルたちは椅子に腰かけ、テーブルの上に山と積まれたにんにくの皮を剥き始めた。
お昼の営業時間の前からすでにお城の食堂の前には行列ができ始めていて、窓辺からこっそり外を見ていたリルルは、隣に立って同じように様子を伺っていたティンクに「宣伝でもしたの? 」と尋ねた。
「いや、何も。ただ、試食の段階であまりの旨そうな香りに『今度のトリュフの日はいつなんだ?』と問い合わせがあったよと、この服を貸してくれた者たちが言っていたな。」
「ふうん、結構な人が、トリュフを好きなのね。」
「…リルルの領地の産物なのだろう? あまり王都でも流通してない高級品だと聞いたが、知らないのか?」
「販売はすべてペンタトニークのおじさまにお任せしているから、知らないの。」
ちなみに領地経営は父に丸投げだった。
「リルルの提案でメニューが決まった、と聞いているけれど?」
「あれも、思い付きを言っただけだから、食べたことはないの。」
前世の姉リルルの記憶を伝えて思い出を辿っただけだった。
「あのなあ…、私も先月のトリュフの日に食べたが、並んで食べる価値はあるぞ。『高級品なのにお城では安価で提供しているから、これも全部リルル様の御領地なおかげだ』と、誰もが感謝して噂しているぞ。それもまさか知らないのか。」
「初耳です。」
リルルは名ばかりの領主をやっていると自分でも自覚があった。
胸を張ってリルルが答えると、ティンクは呆れたように溜め息をついた。これで本当に領主と言えるのだろうかと疑いたくなる。
「…今日は自分の目で確かめたらいい。どんな反響があるのか、よくわかるだろう。」
「わかったわ。」
リルルが頷くと、ほんとにわかっているのかなあと思いながら、あまりあてにならないリルルの代わりに給仕係をしっかりやろうと心に決め、ティンクはシャツの袖をまくった。もっとも、彼女がそこにいてくれるだけで、自分は幸せなのだけれど。
最初に入って来たの近衛の騎士たちの集団は、給仕係として出迎えたリルルに一瞬呆気に取られ、「いらっしゃいませ、」と微笑まれると我に返り、「リルル様、よろしくお願いします、」と自主的に食堂の奥の方から順番に座っていってくれた。次に入ってきた執務官たちも同じで、リルルはこれは楽勝かもしれないと思った。後に続く者たちも自主的に奥の方から順番に席についていってくれていく。
「リルル様。こちらにおいででしたか、」
ずらりと続くお客の列に混じって現れたのは、リルルの領地の村長でもあり領官長でもあるアールキンたちだった。前よりこざっぱりとして、随分身なりが整っている気がする。
相変わらずの狸っぽさにすぐに顔を思い出したリルルは「元気そうで何よりだわ、」とにっこりと微笑んだ。お供の秘書と領官も狐と穴熊っぽさは変わらなく、相変わらずの面白三人衆だった。
リルルに「任せて、」とティンクが案内係を変わってくれて、リルルはアールキンたちを案内して一緒に食堂の奥へと入った。
「今日は美味しいものを食べてもらってるのよ? あなたたちも食べていってね、」とリルルが4人掛けの席に案内して座らせると、アールキンたちは照れながら頷いて「恐れ多いです、」と頭を下げる。
「今日はこちらで、わが村のトリュフを皆さんがお召し上がり下さるとヨハネス殿下から伺ったものですから、リルル様にもご挨拶もかねて伺ったのです。」
「来てくれてありがとう。私は、来週にそちらの領地に初めて視察に行く公務があるのよ。今からとても楽しみだわ。」
楽しみと言ってもらえて、ぱあっと顔を輝かせたアールキンは、狐の秘書に持たせていた籠を差し出した。小さな若草色の包みがこんもりと入っている。
「今日伺うと言ったら、私たちの妻や娘たちが牛乳飴を作ってくれました。特産の牛乳と蜂蜜と朝摘みのミントを使って作る、我が村の『ポロイツ』という伝統のおやつなのです。リルル様に良くしていただいているお礼をしたいと言って、作ってくれたのです。」
「あら、そんなにたくさん飴があるの? 貰ってもいいの?」
にんにくを使った料理なのでニオイが気になっていたリルルは、なんて好都合なんでしょうと目を輝かせた。
「とても嬉しいわ。」
その表情を見て、アールキンたちはほっと胸を撫で下ろした。王女様に牛乳飴なんて失礼かもしれないと、不安だった気持ちが掻き消えていく。
「もちろんです。お召し上がりください。」
「ちょっと張り切って沢山作ってしまったのです。何しろ、トリュフのおかげで、牛にやれる干し草は前と違って好きなだけ買えるようになったので、飽きる程乳が出るようになりました。」
穴熊の領官が嬉しそうに言った。よく見れば彼の顔色は前程悪くはなく、目の下のクマも薄くなっている。
「村の生活が一変しました。ペンタトニーク公の商会の方たちはトリュフの買い付けに来るときに、物資も運んでくださいます。以前は商人が素通りするような村だったのに、今ではいろんな商人が立ち寄ってくれるようになりました。村には宿屋を始める者も出て来て、誰もが生活が変わったことに驚きながらも…、楽しんでいるのです。」
「そう、それは素敵なことだわ。私は領地を貰っても何もしてこなかった領主だから、申し訳ないと思っているの。」
「領主様がいてくださるだけでも、違うものですよ、」とアールキンは微笑んだ。
「王族が領主様なんて、他の領はないですから。」
「ありがとう。トリュフ、大変だったでしょう? 沢山嬉しいわ。」
「とんでもないです。今年はキノコがよく採れる年で、大豊作なのです。トリュフも摘んだら生えてくる、と言ったら言い過ぎですが、大層よく育つのです。大丈夫ですよ?」
昨日寝る前に真剣に神頼みしておいてよかったわ、とリルルは思った。
「私ね、今日はトリュフをみんなが喜んで食べる様子を見るために、働いているのよ。」
王女様の真摯な姿勢にアールキンは胸を打たれた。自然に頭が垂れる。
「リルル様のお気持ちだけで、皆が喜びます。今日は私たちも、皆さんにお召し上がりいただいている様子を伺おうと楽しみに参りました。」
狐の秘書はきょろきょろと食堂内を見回して、おいしそうに食べている者たちの表情を見て、嬉しそうに微笑んだ。目を細めた表情がほんとに狐だわ、とリルルは思った。
「村に帰って、皆に自慢するのです。お城での味を伝えるのも忘れてはなりません。」
「この飴、お会計の時に配ってもいいかしら。きっとみんなもっと、私たちの領地のことが好きになってくれると思うわ。」
リルルが籠を手ににっこりと微笑むと、アールキンは「ぜひとも!」と答えた。
日頃ぽんぽこ狸とバカにしてくれる一人娘のターニャが、リルル様にお土産に、と村の娘たちと一緒に作ってくれた飴だった。献上品だからといつも以上に衛生に気を配り、丁寧にひとつずつ紙に包んでくれて、沢山作って、「お父さん、リルル様に必ず差し上げてね、」と照れ臭そうに持たせてくれた。
その飴をリルル様は喜んでくれて、私たちの領地のことがもっと好きになってくれると思うわと仰って下さった。
家に帰ったら真っ先に、リルル様のご様子やお言葉を、ターニャや村のみんなに報告しないといけない。
アールキンは目をキラキラさせて、何度も頷いていた。
リルルはその様子を見てやっぱり狸っぽいと思いながら、「楽しんでいってね、」と声をかけて、飴の入った籠を手に食堂の入口へ帰った。ほんのりと甘くていい香りがする。
目が合った給仕中のティンクに飴を見せると、「一個あげるね、」とティンクにカフェエプロンのポケットに突っ込んだ。
いいものは好きな人にあげたいと思うのは、きっと私だけじゃないはず。
自分の分も、しっかりポケットに入れた。自分の領地の領民が自分の為に作ってくれた贈り物は、とても甘くていい香りがした。
※ ※ ※
食堂はひっきりなしに入ってくる近衛の騎士や執務官や財務官などといったお城で働く者たちに加え、その家族と思われる者たちで始終賑わっていた。
こんなに沢山の人たちにトリュフもパスタも行き渡るのかしらとリルルは思ったけれど、厨房からは終了の合図は聞こえてこなかった。
お会計係はもともといたお城の食堂の専属のお会計係の女性がしてくれたので、働くと言ってもリルルは傍に立って席の案内と飴の配布をして立っていただけだった。
時々、混雑を嫌がる者たち向けの持ち帰り用サンドイッチの販売をして、袋を手渡す手伝いはしていた。
席の案内も、客がリルルを見て自主的にきちんと席についてくれるので、挨拶するだけで済んでいた。
食堂中がにんにくとトリュフの匂いですごい状態になっていたので、「ニンニクを食べた後に牛乳を飲むと、口臭がまぎれるのよ、」と笑って、リルルはお会計を済ませた者たちに牛乳飴を勧めた。特に女官たちに好評だった。「私の領地の者たちが作ってくれたポロイツっていう飴なの。きっと美味しいわよ、」と自分の領地の産物だという宣伝も欠かさない。
ティンクや兄のディガードは料理を運んだり片付けをしたりと、給仕係と一緒になって働いていた。
オルフェス侯爵は、宰相たちやお城に用事があってやってきていて食堂を利用した貴族たちと挨拶をしたり話し込んだりしていた。しっかり唐辛子を売り込んでいる様子で、さすがだわ、とリルルは思った。
食事を済ませたアールキンたちは食堂の盛況ぶりをしばらく眺めた後、満足そうに会計を済ませた。
「リルル様、パスタは大変おいしゅうございました。私の村にも唐辛子を購入して帰って、皆に作ってやりたいと思います。」
「あら…、唐辛子は売ってないかもしれないわ。あれは、ティンクの領地の特産なの、」
リルルがティンクの姿を目で探すと、リルルと目を合わせたティンクが運んでいた食器を厨房へ片付け、ハンカチで手を拭きながらリルルたちの元へとやってきた。
「何か用か?」
「ティンク、唐辛子が欲しいのですって。」
「こちらは…?」
アールキンは、リルルの傍に並んで立つ美少年のティンクに戸惑いながら、リルルに尋ねた。
さっきまで給仕の者に混じって働いていた美少年には見覚えがあった。お城ではこんなに美しい少年が働いているのだなあと思い、ターニャに報告せねばならんと思って観察していたのだった。
漆黒の髪に茶色い瞳で白い肌の美少女のリルルと、金髪に緑の瞳のいかにも貴族の令息な顔立ちの綺麗なティンクが並ぶととてもお似合いで、簡素な身なりをしていても二人が身分の高い者だと一目でわかった。
「彼は、ティンカードっていうの。私の婚約者の一人で、唐辛子を提供して下さったオルフェス侯爵の息子さんなのよ?」
さらりとリルルが事も無げに告げると、外面の良いティンクは「よろしく、」と微笑んだ。
リルル様の将来の旦那様かあと思うと、この方が私たちの領主様になられるかもしれないのだなあと感慨深く思えてくる。アールキンたちは姿勢を正して深々と頭を下げた。
「失礼いたしました。私どもは、リルル様の御領地を預からせていただいております、村長のアールキンと申します。御挨拶もせず失礼をしてしまい申し訳ありません。」
「いいよ、王女のリルルが働いているくらいだから、今日は無礼講だ。気にするな。唐辛子か。まだ私の屋敷にあったはずだ。宿に届けさせようか?」
「お願いしていいかしら。」
「ああ、構わないよ。どこに泊まるんだ?」
気まずそうにアールキンたちは顔を見合わせ、「実は、このまま、帰るのです。泊まりはしません。王都から村までは、駅馬車を使えば日帰りで帰れますから、」と答えた。駅馬車とは領都などの要所要所をつなぐ乗合馬車のことで、庶民が旅行するのに利用していた4頭立ての長距離馬車だった。
「そうか、では、そうだな…、ちょっと待ってろ、」
ティンカードは急いで貴族と話をしているオルフェス侯爵の元へと行き、何かを囁いて、侯爵のカバンの中から白い紙の包みを貰うと戻ってきた。
「これを持って行け。念のために商談用に一束余分に持ってきていたものだ。品質は同じだ。今日食べたパスタを作るんだろう?」
「ええ、大変美味しかったので、皆に食べさせてやりたいのです。」
「リルル、作り方を教えてやれ。」
お会計係に紙と鉛筆を借りると、ティンクはリルルに手渡した。「お前は絵も得意だろう?」
よく知ってるわね…と思いながら、ティンクに見守られつつ、リルルは料理長に描いて渡した作り方と同じようなものを描いてアールキンに渡した。
「飴、おいしかったって、作ってくださった人たちに伝えてね。私たちも後で頂くの。」
そう言ってリルルはカフェエプロンのポケットから飴の包み紙を出して見せた。
「ターニャです、リルル様。村の娘たちとターニャです。」
「ありがとう、とっても嬉しいわ。ターニャちゃんにありがとうって伝えてね。」
リルル様に感謝された…! レシピと唐辛子を包んだ束を貰って幸せのあまりのぼせたような表情のアールキンたちは、お会計を済ませると、オルフェス侯爵家のティンカード様…とぶつぶつと名前を繰り返し覚えながら帰っていった。
「ティンク、ありがとう、」
リルルが微笑むと、ティンクは、「あとで期待しているからな、」と耳元で囁いた。
ありがとうございました




