53、嬉しいけれど嬉しくないもの
「リルル、」
馬車の窓から見える流れていく街道沿いの町並みを見ながら言い訳を考えていたリルルに、マックスが話しかけた。
「なあに?」
「こっちに来ないか?」
「いやよ?」
距離を置いたままくすくす笑うリルルに、マックスは、手のかかるお姫様だと思った。リルルはなかなか甘えてはくれないし、なかなか落ちてくれない。
「アレクセイの話だ。」
リルルは表情を変え姿勢を正し、マックスに向き合った。
「高等学校に、今、アレクセイは来ていない。私の学年にいるイヴァンもだ。」
「どうして?」
「きっとリルルも学校で噂話を聞くだろう。あらかじめ知っておいたほうがいいだろう、」
マックスはリルルの腕を引いて、自分の膝の上にリルルを座らせた。夢の中でしたように跨らせるのは躊躇われて、横抱きに抱えた。
「アーリャの話をするのに、抱き寄せる必要はあるの?」
「大きな声で話す話ではない。」
まんまと乗せられた気がする、とリルルは思った。囁く声に、息遣いを感じて、ドキドキして頬を赤らめてしまう。ハンサムなマックスからは、上品な花のようなウッディな香りがする。
「先頃、王都で火災未遂事件が起こった。犯人たちは捕まったし、誰も被害はなかった。」
知ってるわ、とリルルは思ったけれど、知らないふりをして黙る。
「アレクセイの領地の者たちだった。アレクセイの家に報復するつもりだったらしい。」
黙るリルルの頬を撫で、マックスは静かに続ける。
「今年は例年より収穫が落ちた領地が多い。私の領地は平年並みだが、アレクセイの領地は平年以下だったようだ。だが、シャークス公爵は気にしないのか華やかな生活をしていた。舞踏会も控えなかった。」
舞踏会は爵位が上がる程華やかで贅が極まれていく。公爵家なら派手さも一流だろう。
「今年は、舞踏会を控えている貴族がいるのね?」
「ああ、冬がやってくるのに、領地経営がそんなでは余裕はないだろう。領民たちが飢えないよう冬を越せるように、少しでも資金を確保しておきたいからな。」
蝗害が起きても起きなくても、飢えが来る領民があるのね…、とリルルは憂鬱になった。私のささやかな領地の領民たちは無事だろうかと、今頃になって存在を思い出す。
「アレクセイたちは猛烈な批判に晒されている。私ならそれはそれと割り切って、多くを学んで情報を蓄積し次回への戒めにつなげるが、あの家の者たちはそうではないらしい。」
家族で音楽を愛する一家だもの、心が優しいけど、見通しが甘い人たちなのかもしれない。リルルはそう思った。
「…教えてくれてありがとう、マックス。私の婚約者のひとりだけど、マックスは気にしてくれるのね?」
「当たり前だ。リルルは公務で国外にいた。私たちが失敗すると注目を浴びるし、リルルの評判が悪くなる。」
「え?」
「驚くことはないだろう? 王女が誰を選ぶかは、国中の国民の誰もが注目する話題だ。ラウラ様のお相手が決まった今、次はリルル、君なんだ。」
やたらと婚約者が多いリルルは恋多き女とさぞかし評判は悪かろう、とリルルは恥ずかしくなってきた。ひとりに絞れないどころか、また増やしてしまった。
「リルル様とご結婚されるならと、資金を提供してくれ者たちも出てくるだろうな、」
マックスはリルルを見つめた。
「悪い金もあるだろう。そんな者たちに靡くくらいなら、私は婚約者を辞退するが、アレクセイはどうするんだろうな、」
マックスの頬に手を当てて、リルルは瞳を見つめながら考える。
「そんなに酷い状況なの?」
「ああ、我が家の手の者たちが調べてくれた状況だと、あの家は随分前から放蕩が原因であまり資産がないようだな。」
「…マックスって結構調べるのが好きだったりする?」
「リルル、私は公爵家の次期当主だ。何事も慎重に準備するに越したことはないだろう。リルルを調べたのも、婚約者を選ぶには当たり前のことだ。」
「調べれば結構見つかるものなの?」
「ああ。情報は重要だ。グロケット公爵領は土地柄、様々な商人の出入りがある。そういうことを生業にしている者もやってくる。」
リルルはティンクに聞いた『売られた子供』を思い出した。
「もしも、調べてほしいことがあると言ったら、調べてくれたりする?」
マックスはリルルの顔をじっと見つめて、「リルルが望むならば、」と答えた、
「ただし、報酬は貰うぞ? それでもいいのなら話を聞こう。」
「冗談よ? 忘れて?」
リルルは誤魔化すように笑って視線を逸した。
そうよね、報酬は当たり前なんだわ。私、ティンクにしたお願いの報酬だって払ってないもの。先ずはそっちをどうにかしないといけないんだわ。
売られた子供たちを探したい。出来ることなら、苦境から救い出したい。でも、手段がない。アーリャのお父さまは、探したりはしないのだろうか。
唇を噛んで黙ってしまったリルルの顔を見て、マックスは私を選んでくれたなら、報酬なんてなくてもいくらだって願いを聞いてやるのにな、と思いながら頬を撫でた。
※ ※ ※
王都に入る前に寄った街で休憩を取り柔らかな藍色のドレスに着替え正装して身なりを整え、マックスも公爵家の執事が運び込んでいたタキシード姿になっていた。
体を鍛えているマックスのタキシード姿は、よく似合っていて惚れ惚れしてしまう。リルルは馬車の中で隣に座ったマックスを見上げて、頬を赤らめた。
「どうした?」と優しくマックスに尋ねられると、余計に意識してしまうからやめて、とリルルは勝手なことを思った。
お城に到着したのは予定通りに夕暮れ時だった。
馬車から降り、リルルをエスコートして歩く堂々としたマックスに、リルルは寄り添って歩いた。未来に向かって歩いていくように、マックスの足取りには迷いがない。マックスとは一番具体的に将来の話をしているからそう思うのも当然かも、とこっそり思う。
入城するとすぐに謁見の間に通され、母や父と挨拶をした。姉のラウラや弟のクリスもいて、無事の帰国の報告をしたのだった。
駆け寄ってお母様と抱きしめたかったけれど、公務での旅行だったのだからまずは形式通りに報告が必要なのよね、と思いながら口上を述べた。
壇上の王座に座る母は、女王の顔をしてリルルを見下ろしている。リルルも第二王女としての自分の役になり切った。
母が淡々と遠く東方の国の国王や中つ国の国王の返事を尋ね、ついでのように、婚約者が増えたのかどうかを王座の傍に立つ父からは確認された。
どちらの国王も反応は良好で婚約解消は了承してくれたと伝え、隣にマックスがいる状態だったけれど、中つ国でエリックと婚約したことを報告した。
女王の前にリルルと並び、顔を伏せたままの状態のマックスが驚いたような雰囲気が伝わってくる。
「そうか、それは重畳。何よりの働き、あとで褒美を取らそう。ラウラの婚約が調った今、遠く東方の国がペンタトニークを取り込むのは時間の問題だろうからのう。中つ国にこちらの布石があれば、そう易々と手は出しては来ないだろう。」
婚約してお母さまに褒められたのって初めてじゃないかしら、とリルルは思った。父を見れば、父も満足そうに頷いている。姉は呆れたような顔をして笑っていた。
「グロケット公爵家子息マクシミリアン・サウル殿、面を上げられよ。」
女王である母の声に、マックスは顔を上げて姿勢を正した。
「リルルを助けてよく働いた。無事に送り届けてくれて感謝する。そなたの父親ともども、我ら王家に仕えてくれて感謝する。また改めて晩餐会に招待したいが、よいだろうか?」
「有り難き幸せ。父に伝えます。」
マックスと晩餐会って、お母様は何を話すおつもりなんだろう、とリルルは思った。家族ぐるみのお付き合いって結婚が決まったみたいな雰囲気がして苦手だな、と勝手なことも考える。
「マクシミリアン殿、今宵はゆっくりと休まれよ。リルルもそのようにいたせ、」
「畏まりましてございます。」
リルルが頭を下げると、「もう下がってよいぞ、」と父に微笑まれてしまった。
マックスにエスコートされて謁見の間を出ると、マックスは廊下で、リルルに「婚約した話は聞いていないが、本当か?」と呟いた。
「聞きたかった?」
「ああ、あれだけ一緒にいたのだから、リルルの口から聞きたかった。」
困ったな、怒っているみたいだわ。リルルは小さく溜め息をついた。リルルが婚約を繰り返す人間だと知っているだろうに、何をいまさら、と思ってしまう。
「少し、私の部屋で話でもする?」
「ああ、そうできるならそうしたい、」
マックスの手がリルルの手をぎゅっと握ったことを深く考えないまま、リルルは自分の部屋の方へと歩き始めた。王族の私室に迎え入れる関係とはどういうことを意味するのか、リルルはまだよくわかっていなかった。
久しぶりの自分の私室に帰ると、リディアとケイティが待ち構えていた。カロヨンとヨネアがいないのだから当然よね、とリルルは思った。リルルの荷物を無事に運び込まれたのを見届けた後、クグロワとサミラは自宅に帰る手はずになっていた。
「ただいま、リディア、ケイティ。早速だけど、お客様なの、お茶の用意をお願いできるかしら。」
ソファアに座ってくれるようにマックスに勧めて、リルルは自分もソファアに座った。マックスの隣に座ると、マックスが手を握ってきた。
「畏まりました。リルル様、お着替えは後になさいますか?」
リディアが気を利かせて微笑んだ。
「ええ、そのようにお願いね。二人とも、今日は夜勤だったりするの?」
「はい。昨日御帰国の連絡が早馬で届きましたから、今日はそのようにさせていただきます。明日はクグロワとサミラが復帰したします。明日にはカロヨンたちも帰国する予定です。」
リディアはてきぱきとお茶の用意をしている。ケイティは話をしながらお茶菓子の用意をしていた。リルルが帰ってくると聞いて、特別にリルルが好きなチョコレートを王都の専門店から取り寄せていたのだった。
「急なことばかりで申し訳ないわね。」
「大丈夫です。お任せください。リルル様は明日は学校へ行かれると伺っております。」
「あ、学校あったんだった…。」
リルルがうっかりといった表情を浮かべると、マックスはくくくと笑いながら、リルルの手をポンポンと叩いた。
二人の前のテーブルに、お茶の用意が整えられる。
リディアたちは仕事をしながら様子を見守っていた。ソファアに並んで座るリルルとマックスは、まるでおとぎ話に出てくる逞しくて精悍な王子様と美しくて可憐なお姫様のようで、ケイティは、この組み合わせもありかも、と思って見ていた。二人は親しげに見つめあって話をしている。小声で話すふたりの会話に聞き耳を立てるのも失礼ねと思い、リルルの寝室へ移動してクグロワたちが持ち帰ったトランクの荷解きをしながら、あの二人はお似合いなんじゃないの、と思った。
「リルル、明日でも構わないぞ?」
「いいの、こういうことは早めの方がいいでしょう? 学校が始まったら、忙しくなるもの。」
「私は高等学校だし、リルルは初等学校だから、離れているからな。」
マックスに会いに高等学校へ行くのは恥ずかしい、とリルルは思ってしまった。高等学校にはミーシャもアーリャも通っている。
「…中つ国の、婚約したのはハープシャー公爵家の次期当主のエリックという人なの。でも、婚約しただけで、結婚はしないわ。」
「どうして?」
「お守りの婚約なの。」
「お守り?」
マックスは婚約にもいろいろあるとは知らないのだろうなと思う。リルルも、婚約者が沢山作れるから出来ることだと思っていた。
エリックとは揶揄い半分でした婚約だったけれど、結果的には意味のある婚約になってしまった。
軽い気持ちでした婚約の説明って難しいわね、とリルルは言葉を選ぶ。
「私と婚約すると、婚約者同士では決闘をしてはいけないという条件が発生するの。その前に…、今回の旅行は、ラウラお姉さまの、遠く東方の国に二人いる婚約者に婚約解消の書類を持っていく公務だったの。」
「ああ、遠く東方の国の王子たちだな?」
「ええ、その…、言いたくはないけれど、第二王子が私を見初めてしまって、帰り道、遠く東方の国から追いかけてこられてしまったの。中つ国では宿泊先まで追いかけてこられたわ。だから、逃げて帰って来たの。」
「それで予定よりも早く帰って来たんだな?」
「向こうは実力行使を狙ってきたから。私はどうしてもこの国に帰ってきたかったし。」
「そうか。」
マックスはリルルの手を撫でて、「帰ってきてくれてよかった、」と呟いた。
「遠く東方の国の王子は、中つ国ではハープシャー公爵家には手を出せないの。ハープシャー公爵家の長女のシャーロット嬢は中つ国のミカエル王太子の婚約者だから。」
リルルは頭の中に、ミカエルの姿を思い浮かべた。想像していたよりも普通に綺麗で、子供の頃からさんざん姉リルルに洗脳されていた『美しくてかっこいい素敵な王子様』は『可愛くてちっこい綺麗な王子様』だったことに、残念な気分になってしまう。
マックスの頭の中には、相関図が出来上がっていた。この国と中つ国とを結ぶための婚約をしてきたということだろうなと、リルルの行動の理由を理解した。国益を彼女はもたらしたのだ。
リルルが婚約者を一人に絞るまでの数年の間は、きっと解消されないだろう。その間、グロケット領の港には中つ国の船が増えるという具合か…。
治安が良く平和な中つ国の商船は、良質な物資も金も運んでくる。悪くない話だなと思う。
「私と婚約すると、私と婚約したい遠く東方の国の王子はハープシャー公爵家には手を出せなくなるの。私たちはハープシャー公爵家を仲介にして、中つ国の王太子と手を組んだことになるの。」
結果としてミカエルと婚約できなかったけれど、国としてはなかなかの成果を残して帰ってきたことになっちゃったんだよね、とリルルは思った。
「婚約だけして結婚しないというのは、本当なのか?」
「ええ、今のところは。」
時差があって大変、というのはよくわかった。住むには快適な環境だろうなと思うけれど、ゲームがおかしな状況な今、未来のことは断言できなかった。留学している間に、ミカエルはお姉ちゃんが言ってたみたいに『美しくてかっこいい素敵な王子様』に変身するのか怪しいなと思い始めていた。
マックスはリルルを見つめて、リルルの頬に手を当てた。
「リルル、他に何か変わったことはなかったか?」
私に会いに来ただろう、そう言いかけて、マックスは我慢して微笑む。
何かあったかな? とリルルは首を傾げた。旅行中の思い出は、何度か夢を見て、何度か時差に抗いながら夢の鍵を使って、何度も貴族と会食をして、サミラと二人でクグロワとロックの恋路を見守っていたぐらいだった。
「そうか、ならいい。」
お茶を飲むと、マックスは立ち上がった。
「そろそろ帰るとする。リルル、一度王都の私の屋敷に来て欲しい。学校帰りでもいい。そうだな、近いうちに。」
学校帰りなら制服を着て来るだろう、とマックスは予想する。
「いつでも行ったら会えるという訳でもないでしょう? そんな急には行けないかもよ?」
「では、今週の金曜ならどうだ? そのころには生活も落ち着いているだろう?」
「わかったわ。学校帰りに遊びに行くけど、マックスがいなかったら帰るからね?」
リルルは立ち上がると、マックスに近付いて頬にキスをした。旅行から帰ってきて歓迎してくれる人がいるのは、純粋に嬉しかった。
「いろいろありがとう。じゃあね、マックス。」
にっこりと微笑んだリルルに、マックスは優しく見つめると頬にキスをして、「ああ、楽しみに待っている、」と微笑んで、帰っていった。
※ ※ ※
リルルが朝の登校時間に間に合うように、旅行中に冬服に衣替えした制服を着ながらリディアに髪を梳かしてもらい、ケイティに持ち物を確認もらっていた時、ラウラがやってきた。高等学校に向かう前らしく、カバンを手にしている。
「リルル、ちょっといいかしら、」と言いながら部屋に入ってきたラウラは、高等学校の制服をきちんと着こなしていた。
「いいかしら、と言いながら入ってくるのはお姉さまの特権ですよね?」
「そうなのかしら? まあ、いいわ。あのね、リルル、学校へ行く前に伝えておかないといけないことがあるの。」
「なんでしょう?」
昨日久しぶりに家族そろって迎えた夕食時に、リルルは留守の間に起ったことを父とラウラから説明を受けていた。母とクリスは黙って話を聞いていて、リルルは食事時にする話題ではない気がすると思いながら、頷きながら聞いていたのだった。
ラウラの婚約が決まったこと、蝗害駆除の事業があったこと、ラウラの誕生日に国中の貴族の忠誠が誓われたこと、王都に火災未遂事件があったことは、ティンクやマックスから聞いていた話とだいたい重なっていた。
「昨日伝えなかったけれど、リルルは来週、習熟度確認試験というテスト週間が待っているわ。」
「え?」
驚くリルルの表情に、リルルの髪をハーフアップにしていたリディアは慌てて可愛らしい白いレースのリボンでくくると、リルルの傍から離れた。込み入った話を傍で聞くのは躊躇われたのだ。
「お父さまがその前後はリルルに公務を入れないようにって、私に振ってたから、間違いないと思う。」
「あ、あの、お姉さま? 2学期の期末試験は12月ですよね?」
「そうね。その前に2カ月間旅行していた分、自習がどれ程進んだかを計るテストをするのですって。」
「い、いらないです、そんなテスト!」
リルルはふるふると首を振った。
「大丈夫、いざとなったら私とコニール様とで家庭教師をやってあげるから。」
「もっといらないです。」
くすくすと笑うと、ラウラは、「大丈夫よ、優しく教えるから、」と笑って部屋を出ていってしまった。
「リルル様、もしかすると、今週末の土日は、お勉強三昧でお過ごしになられるかもしれないですね、」
「ほんとに、」
くすくすとリディアとケイティが笑ってリルルのカバンや荷物を手渡してくれた。
「旅行中、そんなにお勉強されていなかったんですよね?」
「当り前じゃない。毎日貴族と会食三昧だったわ。」
「リルル様は1学期1番をお獲りになってますから、さぞかし難しいテストがご用意されているでしょうね。」
「もう、1位なんか獲るんじゃなかったわ。いつもの程よく落ちこぼれなリルルのままでいればよかった。」
リルルがぶーたれると、リディアは「コニール先生も今日お帰りになる予定ですから、カロヨンにも頼んでみましょう、」と笑った。
※ ※ ※
放課後、リルルは約束していたわけではないけれど、図書館の2階の恋人たちの窓へと向かった。
久しぶりに来た学校は、大きな歓迎はなかった。それなりににこやかに迎えられ、リルルはちょっとだけ感激して、ちょっとだけこそばゆく思った。今までこんなに好意を向けられたことがなかっただけに、居心地が悪く思えたのだった。
隣のクラスのティンクはちらりと見ても不機嫌そのもので、ふた月の間にすっかり、初めてキスした前の状態の『酷いティンク』に戻っていた。
リルルが「おはよう、」と声をかけてもむすっと黙ったままで「バーカ、」としか言わず、「お昼のランチを一緒にしたいな、」と言うと、黙って付き合ってくれたものの、食事中ずっと無言だった。リルルが上目遣いに首を傾げると、目を細めて鼻の頭を弾かれもした。
メンドクサイからもう話しかけない、とリルルも黙ってしまい、放課後を迎えてしまった。なのに気持ちは裏腹に、一日ティンクが気になって仕方がなかった。
しかもラウラに聞いていた通り、課題を出しに行った際に教師からは『特別に習熟度確認試験が用意されている』と言われてしまった。
学校来るの、楽しみじゃなかったけどますます楽しみじゃなくなったわ、とリルルはぶーたれた。
恋人たちの窓に荷物を置いて腰かけると、リルルは試験範囲を教科書に印をつけていった。馬車が迎えに来るまでの時間を少しでも有意義に使おうと持ったのだった。
夢の中のような優しいティンクに現実では会えないのかなと思い、そういえば夢で会うマックスは違う意味で新鮮だったなと思った。
中つ国でシャーロットが中つ国の言語で『あの人好きよ』と言ってくれた後、すぐさま母国語で好きよと返したのに、鍵は手に入らなかった。盗み聞きに勝手に返事をしたのはダメなのかなとリルルは思った。あの人という不明確な表現や話す言語が違うといった、相手を特定できない表現は好きの交換にはならないのだと、いい勉強にはなった。
リルルが教科書から目を離して、ぼんやりとガラス張りの出窓から見える空を見上げていると、誰かの手が頬に触れた。空を渡る白い鳥を目で追いかけながら、その手に、自分の手を重ねた。
「…探したんだぞ、こんなところにいたのか。」
ありがとうございました




