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悪役令嬢の歩き方  作者: 高坂千穂
  9月
33/161

33、甘酸っぱいと思えるもの

 夜、リルルは姉のラウラの部屋に行くことに決めて、いますように、とドキドキしながら向かった。

 鍵を使ってドアを開けると、今回はきちんと空間が存在していた。清涼感のある木々の香りや清々しい花の匂いが充満し鳥の鳴き声や羽ばたきの聞こえる温室の中にベンチがあって、ラウラが座って本を読んでいた。窓の外は青いばかりで、ひんやりとした空気に、かなり高い位置にある温室に思えた。

「ラウラお姉さま、」とリルルが声をかけると、白いドレス姿のラウラはゆっくりと微笑んだ。

「リルル、来てくれたのね。」

「ええ、明日には会えなくなりそうですから。今日は、部屋がつながってよかったです。」

 リルルは照れくさくて、もじもじとラウラを見つめた。姉のラウラとこんなに近くで、改まって面と向かって話すことなんてあまりない気がしていた。

「もしかして来てくれたことあったの?」

「ええ、真っ暗で底なしの暗闇で、誰もいないみたいで、あきらめて帰りました。」

「ごめんね、きっと私、誰かの部屋に遊びに行ってたんだわ。」

 ラウラがふっと微笑むと、リルルはやっぱりお姉さまって美人、と思った。同じ両親の子供なのに、ラウラは自分とは違う気がした。

「誰かって誰ですか?」

「秘密よ?」

 ラウラは笑って手招きすると、近寄ってきたリルルにこっそり囁いた。「コニール様の夢を覗きにいったの。」

 夢の鍵は好きとお互いに言い合わなければ貰えない。リルルは目を見張った。

「ラウラお姉さまは、コニール様がお好きなのですか?」

 リルルの問いかけに、ラウラはぱっと真っ赤になって頷いた。

「コニール様も、ラウラお姉さまがお好きなのですね?」

 コクン、と頷いて、ラウラはリルルの手を引いて、自分の隣に座らせた。

「私ね、あなたとコニール様の仲がいいから、羨ましかったの。同じ学校へ通っていても、私はほとんど話なんてしたことなかったの。いつもタッドリーやステイファが近くにいたから、コニール様は近寄ってきてもくれなかったわ。」

 そうだったっけな~とリルルは思った。ラウラは誰にも平等に接していたように思えた。

「だから…、あなたと中庭で話をしている様子が羨ましくて、コニール様に、『私よりリルルがお好きなら、リルルと婚約された方がよろしいのではありませんか? 私が負担なら、婚約は解消いたします』って、つまらないことを言ってしまったことがあるの。」

 頬を染めてリルルから視線を逸らして恥ずかしそうに話すラウラは、とてもかわいらしかった。きっと、そんな感じで伝えたんだろうなとリルルは思った。

「コニール様は…、とってもびっくりなさったあと嬉しそうに笑って、『ラウラ様は私のことを好いてくださっているのですね、』って仰ったの。『私もラウラ様が好きです。一番、この世で好ましい人だと思っています』って、言ってくださったの。」

 あのコニールがそんなことを…! 自分の気持ちを素直に伝えるようあのコニールに仕向けられるなんて、ラウラお姉さまってすごい、とリルルは思う。コニールは、自分の気持ちを話すのは好きではないと思っていた。

「だから私、『コニール様が私のことをお好きな気持ちよりもずっと、私の方が好きですから、きっと勝っています、』って、訳のわかんないことを言っちゃったのよね。コニール様は大笑いされて、『ラウラ様にはきっとずっと勝てません』って、仰って…。夜、寝てみたら、鍵があったの。そこで初めて、あれは『好き』の交換だったって気が付いたの…。」


 ラウラにとってコニールは、最初は『変な人』だった。褒美として婚約したのは、単純に自分の身近にいない人に思えたからだった。家柄も侯爵家で、長子ではないという条件も良かった。

 チェス盤に向かうコニールは飄々としていて、勝っても負けても表情が乱れなかった。

 身近にリルルのような心情がすぐに顔に出る者がいて、ダッドリーやステイファのように余裕綽々としている者に囲まれているラウラにとって、ラウラにあからさまな好意を見せるでもなく嫌うでもないコニールの思考は未知だった。

 負けても悔しくないのかしら、勝っても嬉しくないのかしら。

 コニールのことを考えていると、やがて、自分に似ていると気がついた。女王になるために、勝っても負けた者の気持ちを考えて喜ばず、負けても勝った者に罪悪感を抱かせないために悲しまないように感情を殺して一定の態度を保つ、自分と同じなのだと気がついた。

 リルルみたいに素直にコニール様と仲良くなれない。理由は女王は特別な存在を作るべきではないから。

 リルルみたいに感情をコニール様にぶつけられない。女王は冷静が常だから…。

 そう思っていたのに、コニール様はそんな私を好きだと言ってくれた。

 ラウラにとってコニールは、自分のしている努力も好きだと言ってくれる特別な人に思えた。


「ラウラお姉さま、可愛いね。」

 リルルは本心からそう思った。夢の中の姉はころころと表情が変わってとっても魅力的で、いつもの、微笑んでいるけれど実は冷徹なラウラな印象はなかった。

「もう、リルルったら、揶揄わないでよ。」

 ラウラにとって、可愛いなんて自分には縁のない言葉に思えた。

「じゃあ、お姉さまはずっとコニール様を選んでいたのですか?」

「そうね、と言いたいところなのだけれど…、」とラウラは言葉を濁した。

「聞きたいです。教えてください。」

 夢の中のラウラお姉さまは押せばイケるわ、とリルルはちょっと調子に乗った。困った表情をしつつ、ラウラは教えてくれた。

「それが…、能力比べをしてみて初めて判ったこともあって。タッドリーは優秀だけど、どこか傲慢だわ。コニール様は優しいけど、いろいろ諦めているの。だからそういう部分に気が付いてくれて、良くなっていった方と結婚するのかなって思ってたわ。」

「結論は出ましたか?」

「ええ、私はコニール様を選ぶわ。」

「どうしてですか?」

「あの方は、あなたを大事にしてくれるでしょう?」

「私ですか?」

「そう。リルルを使い捨ての、時見の巫女として酷使するような人とは結婚できないわ。私の妹として大事にしてくれる人じゃないと、私は嫌よ。」

 リルルは目を丸くした。お姉さまって意外に熱い人なのかも。

「あなたは時見の巫女だけど、その前に私の妹だもの。結婚相手の妹を大事に出来ないような人と、私は愛を交わすことなんでできないわ。」

「タッドリーはダメですか?」

 リルルはわざと聞いてみた。あの傲慢で無神経なタッドリーの言動を思い出してイラっともする。

「ええ、あの人は、あなたのことを、妹ではなく女として見ているもの。そういうのって気持ち悪い。」

 気持ち悪いって…。リルルは姉の感想にびっくりした。

「女、ですか?」

「あの人、お城で働かせてみて気が付いたんだけど、とっても…、女性を道具としか見ていないような気配がするの。お城で働く女性って基本、見目がいいでしょ? 洗練されてくるっていうのもあるけど、もともと良家の令嬢が多いし、貴族の子女たちだから。」

 リルルの侍女たちも、下流とはいえ貴族の娘で誰も普通に見目が整っている。お城という公的な場でいやらしいことを考えて女性を見ているタッドリーは、確かに気持ち悪いと言えた。

「私の侍女たちを見る目つきが馴れ馴れしいっていうか、学校だと、学生ばかりだから子供ばかりっていうのもあってここで出会う女性が新鮮に見えるのだろうけれど、侍女たちは大人の女性だから余計にそういうゲスな目つきになってしまうっていうか…、」

 清潔そうな姉の口からゲスなどという言葉が聞けて、リルルはある意味感動していた。お姉さまはゲスが何かご存知なのねとテンションがあがる。

「なんとなく、仰りたいことはわかります、お姉さま。」

「まあ、とにかく、とっても不快なことが何回かあったのね。コニール様は全くそういう気配がなかったの。沢山侍女がいても、私だけを見て、微笑んでくださったり頬を染めて照れておしまいになったりして…、かわいらしかったの。」


 あのコニールが可愛いと思えるなんて姉は相当惚れ込んでいるな、とリルルはこっそり思う。

 リルルにとってコニールは構ってくれる優しいお兄さんだった。リルルを特別扱いしないところがいいと思っていた。可愛いと思うことはなくても、この人なら甘えても大丈夫と思える人だった。

 コニールがラウラを好きなのは、リルルにとってとても嬉しいことだった。自分の好きな人がお互いに好き同士なんてとても嬉しいなと思う。


「今日、昼間にあった出来事のことを、お姉さまは何かお聞きになってますか?」

「ああ、お父さまが、タッドリーがティンカードにやっつけられたって話をしていたわね。」

 大体あってる気がする、とリルルは思った。お姉さまは理由は気にならないのかしら。

「私はそれを聞いて、やっぱりタッドリーはダメだったのね、と思ったの。リルルが旅行へ出るぎりぎりを狙って、リルルを取り込もうとしたんだなって思ったわ。お父さまからリルルは無事だったって聞いたけど…、大丈夫だったの?」

「ええ。ティンクがやっつけてくれましたから。」

 リルルが微笑むと、ラウラはほっとした表情になった。

「何があったのか、聞いても大丈夫?」

「あんまり楽しい話ではないですよ?」

 リルルはこれまでのラウラの考えを聞いて、こういう考え方なら話しても大丈夫だろうと思って、タッドリーがしたこと、言ったこと、今日リルルが見たことを伝えた。

 ラウラは唇を少し噛んだ後、「そう…、」と小さく呟くと、「ごめんね、リルル、」とリルルの肩を抱いた。

「私からも、あなたの侍女たちやティンカードにお礼がしたいわ。リルルを守ってくれてありがとうって。」

「私は大丈夫です。お姉さまの方が、この後の処理をしなくてはいけないのでしょう?」

「ふふ、タッドリーはちょっとお仕置きが必要ね。ほんと、コニール様とは大違いだわ。」


 私の父を辱め、妹を泣かせ、侍女たちを馬鹿にした報いをきっちりと払ってもらいましょう、とラウラは思った。能力比べがきっかけで被害を被った各塔の小姓たちにも、何か埋め合わせをしてあげないと可哀そうね、とラウラは思う。

 タッドリーめ…。派手に損害を出してくれたわね。


「…明日は旅立つんでしょう? リルル、今日はもう帰る?」

「そうね、お姉さま。お姉さまの部屋も見れたし、お話も出来たし、すごく満足したから帰ります。」

 リルルは来た時とは違って、ほっとした表情になっている。

 ああ、私の部屋に来た理由は、このことを伝えたかったからなのね、とラウラは納得した。確かに現実世界では話し辛い内容だっただろう。

「ありがとう、来てくれて。」

「コニール様のこと、応援してます。」

「ありがと、リルル。」

 ラウラに手を振って、リルルは立ち上がると、温室の奥へと向かって歩き、ドアを見つけると外へ出た。

 自分の部屋に帰る階段を上機嫌で駆け上がりながら、リルルはコニールお兄さまって呼ぶ練習をしないといけないな、と思った。


 ※ ※ ※


 ペンタトニークが寄こしてくれた迎えの馬車で、一行は一路、北東にあるグロケット領の港を目指した。半日ほど馬車に揺られ、途中何事もなく順調に馬車はグロケット領の領都ラテストへと入った。ラテストは領主の城や港を抱えた北東部で一番の大都市で、中央の大陸へ渡る最大の交易都市でもあった。

 風に潮の香りが混じる。美しい港町に暮れる夕焼け空を見ながら、リルルはティンクの夢の中のオルフェス領の港町とは違うわ、と思った。


 リルルたちは港で一番のホテルに一泊し、翌朝には出航することになった。

 このホテルはこの国でのペンタトニークの別荘も兼ねていて、泊まれる客も貴族でなおかつペンタトニークの知り合いでなければ利用できなかったので、安全面では安心だった。

「天候に恵まれてよかったですね、リルル様。」

 サミラの感想に、リルルは「そうね」と言いながら、港を抱えた街の煌めく夜景が広がる窓の外を眺めていた。

 お疲れでしょう、と、クグロワの提案で早めに夕食も入浴も済ませてうとうとしているリルルに、「もうお休みになられてはいかがですか、明日早めに起こして差し上げますから、観光は朝、なさってくださいませ。お時間は調節しますから大丈夫ですよ、」とクグロワが気を使った。


 昨日のタッドリー事件のことは昨日のうちにケイティから聞いていた。クグロワとサミラはカロヨンと一緒に、お城の食堂で旅行前の別れを惜しむべく女子会をしていたのだった。

 夜勤だったカロヨンが出勤したあと、やってきたリディアとケイティとヨネアからタッドリー事件の出来事を聞いたクグロワは、思わず手にしていたハシをへし折ってしまった。

 サミラも怒りで頭に血が上ってしまって、自分が何を話したのか記憶に無かった。


 クグロワの言葉に甘えて主寝室へ「もう寝るね、」と引っ込んでしまったリルルを見送って、戸締りをしっかりすると、クグロワとサミラは面会を希望して来ていたグロケット領の領官に会いに出かけた。


 ※ ※ ※


 ホテルの2階にある喫茶室に出向いたクグロワとサミラは私服姿で、彼女たちの姿を見て手を振った領官を見つけると、手を振り返した。夜の帳が下りたホテルの外への外出は、いくらグロケット領の治安が良くても女性二人では危なく思えて、尋ねて来てもらったのだった。

「クグロワ、久しぶりだね!」

「ハンスこそ! 元気だった?」

「ああ、見ての通り。」

 グロケット公爵家の領管として働いているハンスは、クグロワの幼馴染で、同じ子爵家の出身だった。お城で小姓の仕事を経験した後、初等学校、高等学校へ進み、お城の登用試験を通過して数年働いた後、能力を買われてグロケット公爵家で領官として雇用されていた。

 身なりもきちんとしていて顔立ちも悪くない。なかなか洒落た感じね、とサミラは好感を持った。

「どう? こっちの生活は?」

「まあ、ぼちぼちかな。楽しいけど、大変だよ。」

「そう、こっちはサミラ。ケイティの妹よ?」

「こんにちわ、サミラ。君のお姉さんの、ケイティは結婚したの?」

「ふふ、あの姉は、結婚なんてまだしませんよ?」


 リルルの為にしないだろうと、サミラは思っていた。

 サミラが知る姉のケイティの生活はお城がすべてで、家に帰ってきてもリルル様リルル様と、仕事が休みの日にもリルルの心配をしていた。一番下の妹に構うようにリルルの心配をする姉に、サミラはイライラしやきもちを焼いたこともあった。

 姉と働き始めてサミラが知ったのは、自分の姉が大事にするリルルは自分たちとは違う生き物だということだった。

 噂で聞いていたような軽薄さもなければ派手さもなく、男性関係はいたってシンプルで、婚約者が多いと言ってもほとんどが解消されてしまっていた。艶めいた話もなければ色恋の話も皆無に近く、夢を見る時見の巫女でありながら学校の課題に追われている忙しい学生でしかなかった。

 その時見の巫女であることは秘密なので公務もあり、学生でもあるので自分の体調に構う余裕もなく学校へ通い、周りの侍女が心配して世話を焼かないといけないような、そんな脆い王女様だった。


「もうリルル様はお休みなのかい?」

「ええ、昨日いろいろあったから…。」

 言葉を濁したクグロワの表情を見て、ハンスはしたり顔で尋ねた。

「フォイラート公のところのタッドリー様がやらかしちゃったんだろう? ラウラ様から自宅謹慎の訓告が届いたって王都の屋敷は大騒ぎだったって話だよ。」

「あら、耳が早いのね。もう届いたの?」

 昨日の今日の出来事で、グロケット領にはよほどしっかりした情報網があるようだった。ただ、早馬を走らせるようなことなのかしら、とクグロワは思った。

「公爵様はペンタトニーク公と商談をするために昨日はこっちでお過ごしになられたから、王都の様子を知りたかったんだ。うちの公爵様とフォイラート公は、同じ王族との婚約者を息子に持つ同じ立場だからね。理由をみんな知りたがっているよ。」

「ハンス、もしかして、約束の明日ではなく、今日、私たちに面会を求めたのはそういう理由だったの?」

 にやり、と笑ってハンスは頷いた。「それもあるけど、単に君たちのような美しい人はこの領ではお目にかかれないから、早めに至福の時間を過ごしに来たのだよ?」

「あのねえ…。」

 クグロワが眉間にしわを寄せると、サミラは姉から聞いていた『クグロワには昔、結婚を前提に付き合っていた男性がいたことがある』という話を思い出していた。目の前の男がそうなのだろうか。

「情報は私の立場では武器になる。間違った話をあちこちから聞くよりは、近しい君の口から聞きたいなって思ってね。」

「それもそうね、」

 クグロワはひそひそと、タッドリーがリルルの部屋で行ったことを話した。もちろん、ティンカードとヨネアの活躍も伝える。黙って聞いていたハンスは、やがて、「分かった」と呟いた。

「カロヨンの妹はさすがだね。」

「でしょ、血は争えないわよね。」

 うんうんと頷いて、ハンスは首を傾げたサミラにさらっと伝えた。

「昔、高等学校に入ってきた変質者をカロヨンは投げ飛ばしたことがあるんだ、」

 驚くサミラにさらに続ける。「あの時も、カロヨンは平然として、警備の騎士を呼んでって言ったんだよな。」

「そうそう、あのあと柔術を習う女子が増えたのよね。」

「すぐにみんな辞めちゃったけどな。」

「そうそう。」

 カロヨンとハンスは懐かしそうに笑っていた。

「そっか、ありがとう、クグロワ。これ、頼まれてたもの。リルル様によろしく。」

「もう行くの?」

「助かるよ、クグロワ。この後公爵様と作戦会議があるんだよ。フォイラート公爵を蹴落とすチャンスだからね。」

「そう、いつもなら止めるけど、今回は応援するわ。リルル様の敵を討ってね。」

「任せておいて!」

 リルル様はグロケット公爵家にとっては今や神様と同じだもんあ、と思いながらハンスは笑った。マクシミリアン様のご婚約者というお立場で、今回の出来事。リルル様は幸運を呼んでくれる。

「旅の幸運を祈っておくよ、」と立ち去ったハンスを見送って、クグロワとサミラは部屋へと戻った。主寝室を覗くと、リルルがぐっすりと眠っていた。

ありがとうございました

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