28、動き出すと転げていくもの
半日で授業を終わらせ上機嫌で帰っていったロマニールを見送って、リルルは昼食を済ませた後、父の執務室へと向かった。
昨日、あの後、さっそくカロヨンの実家の男爵家に赴いて家族の前で結婚の申し込みをしたロマニールは、カロヨンの家族に大変歓迎されたらしく確かな手ごたえがあったらしかった。今日は午後からロマニールの家にカロヨンを呼んで家族にお披露目するのだと言って笑った。
カロヨンが結婚したらロマニール先生は私の秘密を知っちゃうのかな、とリルルは思った。配偶者は守秘義務の宣誓書にサインすれば、王配である父に二人で呼ばれてリルルの秘密を打ち明けられることになっていた。リディアもチスエルもそれぞれ配偶者と父と話をしていた。
秘密を知る者は少ない方がいいのでは、と彼女達は最初辞退しようとしたけれど、父が、「妻が結婚しても働きたがることを、理由もわからずに納得できる者ばかりではないだろう。出来れば分かち合って欲しい、」と望んだのだった。
時見の巫女であることを面白がる人でないと判っていても、少しだけ、リルルはあんまり嬉しくはないわと思った。
父の執務室には、事前に申し入れてあったおかげでソファアにペンタトニークの姿があった。父は何かの書類に目を通していた。
リルルがロマニールから教わったトリュフの貴重性と販路の話をすると、父は手にしていた書類をリルルに見せた。
「これがリルルの領地のアレナージュ領の昨年度の出納記録だよ。その話がうまくいけば収支がトントンな現状も黒字に変わって行くだろうね。」
ペンタトニークはリルルの話を聞いて、さっそくリルルの領地の領官たちと交渉すべく面会を希望してきた。リルルも父に任せたままの領地経営に干渉するべく、領官と面会する手続きを頼んだ。
「一度、昨年度の収益と収穫高をきちんと領官の口から説明してほしいのですが、お父さま、お願いできますか?」
「構わないよ、リルル。明日にでも呼んでみよう。それにしても、あのよくわからないキノコが金になるとは、文化の違いは面白いね。」
父もキノコがあまり好きではないのだろうなとリルルは思った。確かにこの世界の認識では、キノコはどういう影響のある食べ物なのかよく判ってはいない。
あれは食物繊維の塊でダイエットには欠かせないカサ増し食材なんだよなんて、前世の家庭科の知識があるリルルくらいしか、効果を考えながら食べたりはしていないだろうなと思った。
「先生が仰るには、パスタに風味付けに使うのですって。確かにクリームソースに合いそうですね。」
リルルの頭の中には、刻んだニンニクと荒く挽いた黒コショウのクリームパスタにトリュフを削るイメージが湧いた。
姉リルルの知識だと気がついて、お姉ちゃんはもの知りだったんだわ、と姉リルルを偲んだ。
「家庭教師に師範学校の講師を呼んで正解だったね。世界が広がったね、リルル。そうか、パスタか。お城の料理長にもパスタを作って貰おうか。リルル、構わないかい?」
「ええ、よろしくお願いします。刻んだニンニクと荒く挽いた黒コショウのクリームパスタに、トリュフを削ると美味しそうですよね。」
「ほう…。ちょっとそのように作らせてみようか。私はとんと食には疎い。リルルは本当にいい先生に巡り合えたね。」
「そうですね、カロヨンと真剣にお付き合いもしてくれるようです。」
リルルは昨日今日とにかけての、カロヨンとロマニールのロマンスの話を披露した。ペンタトニークも面白そうに聞いている。
「そうか、それはますます素晴らしいね、」と、父は頷いた。
リルル付きの侍女が結婚するのは素晴らしいことだけど、相手に吟味が必要だった。早速調べないといけないね、と父は手配する書類を作成し、執務官を呼んで持たせていた。
パスタをお母さまも食べてくれるといいな、とリルルは思った。夏の暑さと公務の忙しさに、母の顔色はあまり良くなかった。
※ ※ ※
「リルル様といいご縁がつながりそうで何よりですな、」と言ってペンタトニークが帰って行く後ろ姿を見送って、父は満足そうにリルルに微笑んだ。
トリュフの商談が手応えのある好感触だったので、リルルも興奮していた。
「ペンタトニークへいい土産も持たせられたし、素晴らしいじゃないか。」
「そうなるといいですね。」
「なるさ。今回の旅行の費用や渡航にかかわるすべてをペンタトニークが持ってくれるそうだ。それくらい土産をやっても構わないだろう。」
「どういうことですか?」
「リルルを送り届けることを名目に、正式に遠く東方の国との国交を結ぶために彼も同行することになった。今までは彼の商会の船はあの付近の国までしか、正式な航路を持っていなかったのだよ。直行する船を持てなかった、というべきかな。リルルを送り届けるために我が国の軍艦で行っても構わなかったけれど、どうしてもというので任せることにした。その見返りが渡航費用と支度代だ。」
父はにやりと笑った。
「それは、ペンタトニークのおじさまの方が損になりませんか?」
「ならないよ、リルル。これで完全に海運王になれるんだからね。正式な航路を持つということは、この先の収益は中間手数料を取られなくなるだろう。むしろ安すぎると私は思うね。」
「そんなものなのですか?」
「恐らくリルルは会食に付き合わされるだろうし、彼の商会の服を着させられて歩く広告の代わりにもされるだろう。異国の王女が選んだ商会として、ペンタトニークは大儲けだ。」
まあ、大人って怖いわね、とリルルは思った。
「ま、悪いようにはならない。安心して行っておいで?」
父はそう言って微笑んだ。
リルルはロマニールとカロヨンに感謝しつつ、翌日も午後からの授業を減らしてもらうよう打診した。その代わり、土曜に追加して午前中増やして貰ったのだった。
勉強が増えるのは楽しいことではないけれど、未来の伴侶を養う為のお金儲けの話につながっている勉強ならへっちゃらだわ、とリルルはにんまりとほくそ笑んだ。
※ ※ ※
翌日、リルルのささやかな領地の小さな村に住む領官長も兼ねた丸い体形の村長が、ひょろ長い秘書と目の下にくまのある領官と引き連れて、取れたてのトリュフをお土産に持ってお城に現れた。
「リルル様、この度はお召しいただいてありがとうございます。こちら、ご所望のトリュフでございます。」
執務室に入ってくるなりトリュフの籠を差し出して、3人は深々と首を垂れた。
前女王の領地だった頃は余りに小さい領地であまりにささやかな税収の為に忘れられた存在だったので、3人はお城に謁見に来たことすらなかった。
それがリルルの領地になったら、お城に歓迎されて王配にも謁見を許されている。領主と言っても、若くて美しい第二王女リルルなど絵姿しか見たことがなかった存在だった3人にとって、今日は記念すべき日だった。
3人が知っているリルルの噂は、やたらと婚約者が多くて、毎日彼らと面白おかしく暮らしている軽薄な王女様といった芳しくない評判だった。
その王女が自分たちに興味を示すなんて青天の霹靂で、とんでもないことが待っていそうな気がしていたのだった。トリュフをと最初言われた時は、自分の耳を疑い、お互いに聞き返したのだった。
「ありがとう、アールキン。来てくれて嬉しいわ。こちら、ペンタトニーク公。あの海運王なの。聞いたことあるでしょ?」
山間の村にもペンタトニークの噂は届いている。ふっくらとした顔つきで恰幅の良い体形のアールキンは、驚いたようにぽかんと口を開けてペンタトニークを見ていた。
女王と同じリルルの黒髪も珍しかったけれど、ペンタトニークはさらに珍しい存在だった。
王女様とどういう関係があるというのだろう…。
「本物、本物の、海運王、」
アールキンは、もごもごと譫言のように繰り返していた。
狸が泡を吹いているようだわ、とリルルはこっそりと思った。アールキンが狸に見え始めると、秘書は狐、領官は穴熊に見えた。なかなか特徴のあるメンバーだわ。
「はじめまして、アールキンさん、このトリュフを頂いてみてもいいかな?」
動揺して狼狽えているアールキンを面白そうに見つめて、ペンタトニークはしっかりと握手をして微笑んだ。
「はい、どうぞ。今朝取れたてですから、まだ柔らかいですよ?」
目星をつけておいたキノコを持って来て大正解だった、とアールキンたちは鼻息荒く思った。
「おお…、こんなに大粒の…、」ペンタトニークはアールキンが差し出した籠の中から黒い丸いキノコを手に取ると、クンクンと香りを嗅いで、満足したように頷いた。
「リルル様。悪いようにはしません。アレナージュ領で採れるすべてのトリュフを、私どもの商会に扱わせていただけませんか?」
様子を見守っていた父が苦笑いをして突っ込みを入れた。
「悪いようにするなら初めから関わらせないよ、ペンタトニーク。リルルの領地なんだぞ、少しでも収益が上がるように取り計らって欲しい。」
「わかっております。こんな上質なトリュフはなかなか流通していませんからね。ありがたい限りです。これは素晴らしい商品ですよ。」
上せたような表情のアールキンは、ペンタトニークの言葉を夢見心地で聞いていた。
自分たちの中ではどうしようもなかったお荷物がお金に変わるのだから、興奮せずにはいられなかった。
上質とか、素晴らしいとか、今まで聞いたことのない賛辞に、村に帰ったらすべての村民に伝えなくては、と心に決めた。
リルル様の後ろ盾があると、あの海運王ペンタトニークが対等に商売をしてくれるとまで言っている…!
「アールキン、このペンタトニーク公がすべてのトリュフを買い上げてくださるのですって。これまで以上に、トリュフを育てて、収穫して、沢山儲けて豊かな領地にしましょうね。」
リルルがにっこりと笑うと、アールキンは平伏さんばかりに首を垂れて、「ありがとうございます、リルル様。村民あげて、大切に育てて守ります、」と誓った。
もしかして、リルル様って、噂とは違って、普通に勉強家なのかもしれない。知識があるから、商売の伝手がある人なのかもしれない。アールキンはリルルを見直していた。
「むやみと収穫して価値が下がらないように、販売計画を立てましょう。一度領地に伺って現地も視察したいですな。」
ペンタトニークが控えていた自分の執事に書類を持ってこさせて、さっそく父とアールキンたちに内容を説明し始めた。契約のサインはリルルが行い、収益の取り分も父が納得する割合で収まった。
よっしゃ、上手くいったら私は将来夫を養えることが出来るようになるんだわ、とリルルは内心バレリーナになってくるくると回って喜びの躍りを舞った。
これで婚約者の誰も選んでも大丈夫だろうとさえ思えてくる。
「王女が儲けを願うなんてはしたない気がしなくもないが、リルルの領地なのだから、リルルが目指すようにやりなさい、」と、珍しくにこにこするリルルを見ながら父は呆れたように笑った。
※ ※ ※
姉のラウラがくれた鍵は菫色のような煌めきのある銀色の鍵で、柄には花のような細工もありとても美しかった。お姉さまらしいなとリルルは思いながら、手に持つ鍵を眺めた。貰って数日たってもなかなか使う気にはならなかった。
祖母が亡くなると消えてしまった鍵を合わせると、父、ティンク、ラウラ、マックスの5人の鍵を今までに手に入れていた。姉リルルの鍵も無くなったので、持ち主がいなくなると鍵は消えるのねとリルルは思った。
リルルの夢の世界は子供の頃からずっと銀の花畑の夜空の世界だった。ティンクの部屋に行って港や海が見えるのもいいなと思ったけれど、思うだけで結局、元の夜空の部屋に落ち着いていた。
花畑の端に、部屋のドアが出現して、「今いいかしら?」と言いながら姉のラウラが入ってきた。入って来ながら今いいかしらはないだろうとリルルは思った。姉の性格はこれが基準なのだろう。
「素敵ね、リルルの世界って物語の世界なのね。」
花を踏みながらラウラは辺りを見渡した。今日は夜空には三日月がかかっている。
「懐かしいでしょう?」
ベッドに腰かけてラウラを迎えたリルルは、隣に腰かけたラウラを見上げた。
「私、お姉さまに読んで貰ったあの物語の世界が好きみたいなの。おかしいよね、本の内容なんてあらすじ以外は忘れちゃったのに、思い描いた映像だけは残っているの。」
「確か…、外国の本で、おばあさまにいただいたのよね?」
リルルがまだ文字を覚える前の出来事で、文字を覚えたラウラが窓辺のソファアに座って祖母に貰った外国のお土産の本を読んでいた時に、声に出して読んでとおねだりをして文字だらけの本を隣に座って眺めたのだった。
姉が構ってくれるのも、異国の物語も珍しくて、幼いリルルは喜びと共に、この物語の世界が好きだった。
「あの本は、私の部屋にまだあるわよ? 自分でも読んでみる?」
両親の病気を治す薬の材料を手に入れるために、魔法使いのおばあさんに貰った手掛かりを頼りに、幼い兄妹が魔法の国を旅する物語だった。
リルルの夢のこの世界は、幼い兄妹が魔法の国に足を踏み入れた最初の場面に似せていた。物語が始まっていくワクワク感に、幼いリルルはとても胸を躍らせたのだ。
「そうですね、また今度、貸してもらってもいいですか?」
「ええ、こんな風に心に残っているのなら、読んでみると面白いかもしれないわね?」
姉のラウラは現実のラウラと同じような背格好で容姿に変化はなかった。リルルも、自分の姿を鏡で確認したことはないけれど、現実のリルルと同じだと思っている。
「あのね、リルル。今日は旅の間の打ち合わせに来たの。」
「そういうのも、必要なのですね?」
「ええ、あなたは時見の巫女だから。」
ラウラの唐突な言葉に、リルルは息を呑んだ。
「いつから知っていたのですか?」
「あなたが最初に植樹の旅に出た頃よ?」
そんな昔から、とリルルは絶句した。
黙ってしまったリルルを見つめながら、ラウラは優しく続ける。
「あなたを海外にお嫁に出さない理由を聞いた時、お父さまから教えていただいたの。ずっとこの国で保護するってね。」
保護って絶滅危惧種みたいね、とリルルは思った。
「女王として守るようにと、お母さまから言われたわ。」
ラウラは少し躊躇うようにして、リルルに向き合った。
「旅行中に、何か夢を見たら、私に連絡してほしいの。私の夢の鍵は持っているでしょう?」
「ええ、この前お姉さまと交換しましたね?」
「そうね、遠く離れているから…、なかなかこの国と中つ国とでは同じ時間に会う事は出来ないかもしれないけれど、なるべく早くに連絡がして欲しいの。」
時差がどれくらいあるのかわからないから、努力してもなかなか難しいかもしれないなと姉リルルの知識でリルルは思った。
「あなた、夢枕に立つ、って知ってる?」
ラウラはリルルの顔を真っ直ぐに見た。
「…夢枕に立つ、のですか?」
「そう。そんな言葉があったのを思い出したの。『皇国の皇王は自分の夢枕に母国の巫女が立って告げた言葉通りに災難を防いだ』って以前伝記集か何かで読んだなあって思いだしたの。」
「巫女ですか…、亡くなったから時見の巫女と公表された方がいらっしゃるんですね。」
「それがね、その伝記には名前の記載がなかったの。最後まで読んだけど時見の巫女としか記述がなかったわ。だから、余計に印象に残っているの。」
公になるにはマズい人物で、時見の巫女なのだとしたら、皇王の姉の先々代の女王だと考えるのが妥当だろうなとリルルは思った。
「…私が、お母さまの後継者を決める時にこの国にいない方がいい理由と、同じですか?」
「たぶん、そうね。」
ラウラは優しく微笑んだ。
「あの方が能力にお目ざめになったのは御結婚されてからだったようだから、そこまでは短命ではなかったようだけれど…、」
「おばあさまのお母さま、ですよね。おばあさまのお姉さまが時見の巫女だったんですよね?」
「ええ。次の女王は時見の巫女の能力のないおばあさまが継がれたの。おばあさまがお話して下さったことがあるわ。おばあさまのお母さまは、晩年は、夢か現実かよくお分かりにならない状態だったそうだから、とても辛かったって。」
おばあさまの在位の期間が長かったのはそういう理由だったんだわ、とリルルは思った。
「私達のお母さまは、時見の巫女を持たないまま即位されて、ずっと気苦労を重ねられたから今とてもお弱りになっていらっしゃるわ。リルルの目覚めが早かったから、幾分かはましになったでしょうけれどね。」
リルルの頭を優しく撫でて、ラウラは微笑んだ。
「リルルには申し訳ないけれど、長生きして貰いたいと思っているわ。私の子供が時見の巫女になるかどうかなんてわからないもの。なるべく長生きして私を支えて欲しい。」
「…私は、自分の人生を生きていくことが出来ますか?」
「あなたが生きている限り、望むことをすればいいと思うわ。結婚もしてもらいたいと思っているし、子供も産んで貰えたらと思う。時見の巫女の子供が時見の巫女である可能性が高いというのは、おばあさま達で実証済みだもの。」
随分淡々と、リルルの心を無視したように未来を語るんだな、とリルルは思った。前世の姉リルルの感覚だと、それは子供を産む機械と言われているようなものだと思う。でも、この世界で王女という立場で国を守る責務を担うのなら、そういう扱いをされても仕方ないのだろうとも思えてくる。
「そろそろ行くわね、リルル。今度は私の部屋に来て頂戴? あなたの好きなお菓子を用意しておもてなしくらいはするわ。」
にやにやと笑って、ラウラは「夏でもチョコレートは夢の中なら溶けないのよ、」と続け、振り返りながら空間に出現させたドアノブに手をかけた。
「この国にいる間に、お姉さまのところへお邪魔しに行ってみます。」
「そうね、そうして頂戴。」
リルルが手を振ると、ラウラは「またね、」とドアの向こうへと姿を消した。
ありがとうございました




