表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/73

11 妾妃が語る私の婚約者

 私がケイティと自室に戻ると、そこには妾妃がいた。居間で紅茶を飲み我が物顔で寛いでいる。


 私の自分への嫌悪を分かっているだろうに、私の自室(領域)で飲食する事を彼女はためらわない。絶対に殺されない自信があるからだ。


 王女(わたし)の侍女が私のために妾妃に毒を盛ってくれるはずがないし……何より私に彼女は殺せない。誰より嫌悪している女でもできないのだ。絶対に。それを彼女は分かっている。全く忌々しい。


 私の心情を抜きにしても妾妃は毒に体を慣らしているため大抵の毒は効かない。それに強力な毒消しを常に携帯している。どちらにしろ毒では殺せない。


「……王女様が出て行かれた後、メアリー妃がいらしゃったのです」


 侍女長が困った顔で告げてくる。


 私がいないと分かっても「戻るまで待つわ」と居座ったらしい。私の妾妃嫌いは周知の事実なので対応に困っただろう。


 私を見ると妾妃はソファから立ち上がり誰もが見惚れる微笑み(ただし私は除く)を浮かべた。


「お帰りなさい。王女」


 ここまではいい。


「アーサー様と結ばれたようで、おめでとうございます」


「帰れ!」


 私は真っ赤な顔で、これ以上はないという大音量で妾妃に怒鳴りつけた。


 侍女長とケイティはぎょっとしたが妾妃は平然としている。


「帰れったら帰れ!」


 子供のように地団駄を踏み喚く私とは対照的に妾妃は微笑んだまま穏やかに言った。


「王女と二人で話があるの。あなた達は出て行って」


 王女の侍女長は妾妃の命令にも反発せず、そそくさと出て行った。今朝から怒り心頭の王女(わたし)の傍にいたくなかったのだろう。


 ケイティはさすがに「今の主は貴女です」と言うだけあって元の主(妾妃)の命令に従わなかった。ただ困り顔で王女(わたし)にお伺いを立ててきた。


「……姫様、どうしましょう?」


 私は溜息を吐いた。いくら私を騙していたからといって今の主(わたし)元の主(妾妃)の間で冷や汗をかく彼女を見て楽しむほど意地悪ではない。


「……いいわ。出ていて」


 ケイティは安堵した顔になると一礼して部屋から出て行った。


「噂は嘘のようね」


 元部下(ケイティ)の事などどうでもいいらしく妾妃は彼女については何も言わない。


「当たり前だ! いくら怒っていてもアーサーは婚前こう……そんな事はしない!」


 私は、あやうく「婚前交渉」と言いかけて言い直した。アーサーの口から聞きたくなかったが自分でも言いたくない。


「その意見は賛同しかねるけど、本当にアーサー様が抱いていたら、アーサー様に怒鳴り込みに行ったり、わたくしに怒鳴れる体力など残ってないわね」


 ……アーサーも似たような事を言っていた。


「……噂の真相を確かめるためなら、もう分かっただろう? 帰ってくれ」


「抱いてしまえばよかったのに」


 妾妃がぽつりと言った。


「あ?」


 私は思わず王女らしからぬ、どすの利いた声を出してしまった。


「抱いて本当に孕んでしまえば、あなただってもう婚約破棄するなんて言えないでしょう? そう周囲に思わせるだけで、あなたに何もしなかったなんて、案外アーサー様は、へたれなのかしら?」


 儚げな美貌からは考えられない科白の数々だった。


 今更、妾妃の顔と合わない言動に驚きはしないが愛する婚約者への侮辱は我慢できない。


「……いくら婚約者でもアーサーは無理矢理そんな事はしない」


「あなただってアーサー様を愛している。だったら無理矢理じゃないでしょう?」


「アーサーは私を愛していない。昨夜のあれは私を脅すだ」


「私を脅すだけで本気じゃなかった」という言葉の途中で私は黙った。妾妃が信じられないといいたげに私を凝視していたからだ。


「……何よ?」


「……気づいてないの?」


「何が?」


 きょとんとする私に構わず妾妃は、いつかの王妃のように脱力したようにソファに座り込んだ。


「……嘘でしょう。全く伝わってないの? あんなに分かりやすいのに?」


 何やらぶつぶつ呟く妾妃に私は苛立った。


「何よ? 言いたい事があるなら言えばいいでしょう」


王女(あなた)婚約者(アーサー様)と婚前交渉して、あなたが処女で妊娠が嘘だと周囲に知らしめた。あなたを想ってなきゃ、そんな事しないわよ」


「……婚ぜん……そんな事してないから!」


「……突っ込むのは、そこじゃないでしょう」


 思わず真っ赤になって否定する私に妾妃は呆れた視線を向けた。


「実際したかどうかは、この際関係ない。あなたの妊娠発言が嘘だと知らしめるのが目的でしょう。そうやって、あなたの名誉を回復したんじゃないの」


「……名誉、ね。私の評価など最低なものなのに。今更」


 私は、ほろ苦く笑った。私の態度が演技だと見抜いている一部の人間以外からは馬鹿で高慢な王女だと思われているのに。


「私のためじゃない。自分の面目のためよ。婚約者を他の男に寝取られて孕まされたなんて、いくらアーサーでも許容範囲を超えたんでしょうね。いつも冷静なアーサーが、ものすごく怒ってたもの」


「アーサー様が怒ったのは、自分の面目を潰されたからじゃないわよ。他人に何を言われても気にする方じゃないもの」


「それ以外の何があるのよ?」


「あなたが自分を貶める事をしたからよ」


「意味が分からない」


 国王の命令であてがわれた婚約者だ。その私が何をしても気にしないはずだ。


「自分との婚約破棄のために、あんな下劣な男の恋人になり妊娠したとまで嘘を吐いて。自分を貶めてまで婚約破棄したいのかと憤ったんでしょう」


 ――姫様が、ご自分を貶めてまで婚約破棄する価値など、あの男にはないです。


 ケイティの言葉を思い出した。今なら分かる。彼女は私を心配して言ってくれたのだと。


 確かに、最初は妾妃の部下として私を監視していただけかもしれない。けれど、いつの頃からか、妾妃ではなく私を主だと思うようになったのだろう。


「私が公衆の面前で、あんな科白を公言してもダメージを受けるのは私だけ。アーサーが憤る理由などないわよ。自分の面目が潰されたと思わない限りは」


「……アーサー様は、あなたのあの言動が演技だと気づいているわよ」


「……ええ。さっき聞いたわ」


「まあ、気づかないほうがおかしいわね。あなたのあんな下手くそな演技など」


 私などよりもずっと年季が入った猫を被った妾妃(おんな)だ。何も言い返せない。


「アーサーが気づいている事を、なぜ教えない!?」と妾妃に詰め寄る事はできない。私に教える義理などないし、教えてもらったところで信じなかった。彼の態度から私の演技に気づいた事を全く見抜けなかったからだ。


 今になって、それ(・・)を教えたのは彼もまた素の自分として接しようと決めたからだろうか。それほどに、私のあの発言に憤ったのだろう。今までのように私の高慢な言動を受け流すだけでは駄目だと思ったのか。


「アーサー様は出会った時から、ちゃんと素のあなたを見ている。あなたが思い込んでいるように、あなたをどうでもいいだなんて思ってないわよ」


「……それは、私が従妹で王女で国王が決めた婚約者だから」


 私という一人の女を想っている訳ではない。


「……それだけだったら、エドワード・ヴォーデンを痛めつけたりしないわよ」


「え?」


「……公衆の面前で嘘とはいえ彼の子を妊娠したと公言したくせに、すっかり存在を忘れているようね」


 確かに、妾妃の言う通り、私は、すっかりエドワードの存在を忘れていた。


「あなた同様、謹慎を命じられた後、彼の身に何があったか調べもしなかったみたいだし」


「……意味ありげに言ってないで早く教えて」


「エドワード・ヴォーデンが陛下から謹慎を命じられた後、アーサー様が彼を痛めつけたのよ」


「はい?」


 私は妾妃の言葉をすぐに理解できなかった。


 ――仕事(・・)を片付けていたら、こんな時間に。


 昨夜のアーサーの言葉を思い出した。


「……まさか仕事って、これ(・・)だったの?」


 エドワードを痛めつける事?


 国王が謹慎を命じたのだ。アーサーがそこまでする必要などないだろうに。確かに、誕生日パーティーの騒ぎの元凶は私だけでなくエドワードもだ。私だけでなく彼にも怒りを抱いた?


 そうだったとしても、脳筋の王妃はともかく、いつも冷静なアーサーが、そんな事(・・・・)をするとは正直意外だった。


 ――貴女に私の何が分かるというんだ?


 これもまたアーサーの隠された一面という事か?


「あなたが言ったでしょう? 服の上からは分からないように殴る蹴るの暴行をしたって。アーサー様は忠実に、それ(・・)を実行したって訳ね」


 妾妃は笑いながら言った。その笑顔は見惚れるほど美しく鈴の音のような笑い声は耳に心地いいが誰より妾妃を嫌悪する私だけは彼女の美しさに何ら感銘を受けない。


「……嘘なのは明らかなんだから、わざわざ実行しなくても」


 ――私が同じ事をしても構いませんよね?


 昨夜のあれ(・・)婚約者(じぶん)以外の男と肌を重ねて子を孕んだと公言した私への仕返しだったのだろう。


 私は未遂だったが(……婚前交渉したという噂は流されたけど)エドワードには、ちゃんと仕返しをした訳か。


「それくらいで済んだのは、彼が本当にあなたを抱かなかったからね。本当にあなたを抱いて孕ませていたら、これくらいじゃ済まなかったわ」


「……あなたが、かつてしたのと同じような事をアーサーもしたというの?」


 妾妃が最初に産んだ息子、私の兄の一人。表向きは突然死だといわれているが実際は王妃の取り巻きだった当時の高位貴族の貴婦人達に殺されたのだ。


 王妃は何の関係もない。彼女達が勝手にしでかした事だ。王妃の息子が死産となれば、妾妃の息子が次期国王になるのは確実だ。


 それを王妃が望んでいないと思い込んだ彼女達は兄(妾妃が最初に産んだ息子)の乳母を脅して突然死に見せかけて殺させた。乳母の息子、兄の乳兄弟を人質にとったのだ。


 確かに王妃は妾妃の息子が次期国王になるなど、できれば避けたいと思っただろう。けれど、妾妃達は撃退しても愛する夫である国王の子を、愛する男性の子を殺すなど彼女にはできない。せいぜい嫌悪の眼差しを向けるくらいだ。


 ――主の気持ちを忖度したつもりになって勝手な行動をする部下など敵よりも厄介だわ。


 妾妃がそう言ったのは、そういう経緯があったからだ。


 この妾妃(おんな)にも多少の母性はあったのだろう。息子を突然死に見せかけて殺されたと知った彼女は、乳母を脅して殺させた王妃の取り巻きだった貴婦人達だけでなく我が子のために仕方なく実行した乳母も葬ったのだ。世間的には行方不明という事になっていて今も死体は見つかっていない。


 ……私の推測だが殺すよりもむごい目に遭わせている気がする。この女なら敵をあっさりとなど死なせない。なるべく長く生かして死んだほうがましだという苦痛をたっぷりと味わわせるだろうからだ。


 さらには息子の死に直接係わった彼女達だけでなく彼女達の生家や婚家も汚職を露見させたり捏造したりで社会的に葬ったのだから結構えげつない。


 兄を手に掛けたとはいえ我が子を人質にとられたのだ。悲惨な末路を辿っただろう乳母には多少同情する。


 どんな理由があるにせよ、自分を裏切った人間を妾妃は絶対に許さない。必ず報復する。それも、その人間にとって最も残酷な方法で。自分の主(妾妃)がどういう人間か見抜けなかった乳母の不運だ。


 無論、兄を殺させた王妃の取り巻きだった貴婦人達や汚職した彼女達の家族には同情などしない。


 けれど、王妃は、お母様は、何の罪もない。


 だのに、この女は――。


「……いいえ」


 私がアーサーにかこつけて責めているのが分かったからだろう。妾妃は哀しそうな顔になった。


 儚げな美貌故に、そういう表情が似合う。彼女の中身を知らない人間が見れば胸が痛くなるだろうが私は何とも思わない。


「……アーサー様なら、わたくし以上に、えげつない事をするわ。あなたは信じないでしょうけれど、あの方は、わたくしと同じ種の人間。いえ、もっと(たち)が悪いもの」


 今は否定できない。その気になれば、アーサーは何だってやる。する必要のないエドワードへの暴力もそうだし……婚約者(わたし)と婚前交渉したと周囲に思わせた事もそうだ。昨夜実際にしなかったのは彼の最後の温情だろう。


「わたくしには大切なものがたくさんあるけれど、あの方には、たったひとつしかない。それ(・・)のためなら何だってできるし、全てを棄てる事もためらわない。そんな人間には誰も勝てないわ」


「アーサーの大切なものって何?」


 私はただ疑問を口にしただけだのに、妾妃は再び信じられないといいたげな顔になった。


「……これだけ聞いておいて、まだ分からないの?」


「……分からないけど?」


 妾妃との会話に重大なヒントがあったという事か? けれど、それらしい事を言っていただろうか?


「……あなたは聡明だけど自分に向けられる感情には全く気づかないのね。これでは、アーサー様も苦労するわ」


 ――貴女は何も分かってない。


 アーサーの言葉を思い出した。


「……もったいぶってないで教えて」


 妾妃は大仰な溜息を吐いて私を苛つかせた後、衝撃の言葉を放った。


「あなたよ」












評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ